日々通勤と言うのは大変ですね。私は都会で働いたことがないので通勤の負荷には慣れていないのですが、ここパナマに来て通勤に驚くほどの時間を費やすことになりました。今回は私の通勤事情と、それから日本人と日系人に関する記事、それに食べ物の話を少しばかりいたします。
1.通勤事情
通勤はパナマ市に住む者にとっては頭痛の種と言えるものです。子供もいる家庭で十分な広さの家を持つには郊外の方に住まざるを得ません。渋滞がひどいので車にせよバスにせよ郊外からの通勤には大変な時間がかかります。
一人の友人は朝4時ごろ起きて渋滞が始まる前に車で郊外から市の中心部に出勤し、職場についてから一眠りし、朝食を食べ、それから仕事を始める、という生活をしていると言っています。私のアパートの周辺には路上駐車の車がたくさんあるのですが、私が出勤する朝6時ごろには車の中で寝ている人も良く見かけます。
夕暮れ時から午後8時過ぎまで、首都の街角には長い列がいくつも見られます。これは郊外に帰る人達がバスを待っているのです。ワゴン車のバスが多く、これらは政府が運営している公共のバスとは違って私企業として運営されているのだろうと思っています(未確認)。毎日あの列に並ぶのだろうか、と思うとぞっとします。
私自身も通勤にはだいたい往復3時間を費やしています。東京の人から見ればそう長い通勤時間ではないのかもしれませんが、パナマの田舎で暮らしている他のボランティアなどは職住接近の人が多く、首都での生活の不便な面があぶりだされているように思われます。
1.1.私の通勤風景:出勤
勤務先の大学はパナマ運河の入り口にあります。近くまで行く公共交通機関がないので、次の二通りの方法で出勤します。
(1)バスターミナルまでバスで行き、大学のバスをつかまえる。このバスは朝3便あります。運行時間も決まっています。以前はよくすっぽかされてタクシーを雇うはめになったりしましたが、職員からクレームが出たのか、「最近は」割合きちんと来ます。
(2)バスターミナルの二つ手前の青果市場で降りてそこから50分かけて歩く。歩く道は「アンコンの丘」のふもとを巻いており、散歩道としては快適です。
(1)をとるか、(2)をとるかは半々ぐらいです。所要時間は似たようなものです。
大学とは離れた所にエンジンの実習場があり、そこに直接行くことも多いのですが、その場合はバスターミナルから別のバスに乗るか45分かけて実習場まで歩くかのどちらかです。このルートは歩くことの方が多く、それは途中にコトワコーヒーというおいしいコーヒー屋さんがあって、そこでコーヒーを買うのが楽しみだからという理由があります。パナマで自慢できるものは残念ながら少ないけれども、コーヒーだけは大変に美味しいのです。
朝、バスターミナル側から見たアンコンの丘。
雲がかかっているあたりが歩くときの通勤路。
大学のバス
バスターミナル付近で朝早くから草を刈る人。
朝の渋滞。
ただしこれは短距離の渋滞でたいしたことはない。
実習場に行くには右側の路側帯を歩くのだが、
混んでくるとここに車が侵入してきてやや恐怖。
朝は警官が常駐しているので無茶をする車は少ない。
実習場に行く途中のコトワコーヒー店。なかなかしゃれている。
1.2.私の通勤風景:帰宅
だいたい昼を過ぎると授業も少なく、パートタイムの教授たち(正規の雇用者よりパートの方が断然多い)は次の学校に教えに行くか家に帰る人も多いようです。職員の定時は4時で、これを過ぎると人はほとんどいなくなります。
私は事務所をひとつあてがわれていますが、これは破格の扱いと言っても良いでしょう。(教授は自分の部屋を持っておらず、実験室か図書館などで仕事をしています)
午後になると訪ねてくる人もないし、学生も大半は帰ってしまうので静かで集中できます。事務所のある図書館は午後6時に閉まるので、それまでここで仕事をすることにしています。それから帰ると最近は少し薄暗くなるぐらいの時間になります(日の入り時刻は年間で1時間ぐらい変化する。今は日暮れが早い。)。
青果市場のバス停まで歩いて行くのですが、たそがれのこの通勤路はなかなか風情があります。この時間になるとかなり涼しくもなり、歩くのも快適です。運動着を来て走っている人たちにもよく出会います。バスもこの時間になると渋滞にかかることも少なくなって順調に走ります。
通勤路周辺はもとアメリカの借地で、アメリカ人が建てた建物がそのまま使われています。この地域はごみもさほど落ちておらず(市内の道路はごみだらけが普通)、木が多く、建物もしゃれていてほっとします。
下の写真は帰宅路の様子です。
パナマ運河庁。
正面の階段(108段ある)を上がり、運河庁の建物
の右わきを通過してアンコンの丘のまき道に出る。
アンコンの丘のまき道。
人通りは少ないがこの先に警官が常駐しているので比較的安心。
運河庁の建物のところから見たバルボア港のコンテナヤード
2.パナマにいる日本人と日系人
パナマにいる日本人は約300人とも言われています。パナマに住むことになりますと、現地の住民票を取ることになります。また、在パナマ日本大使館に在留届という書類を提出します。もし何か大きな災害があったり戦争が起こったりすると、日本大使館はこれをもとに安否確認を行いますので、在留届はきちんと現状を反映していなければなりません。
パナマに住んでいる日本人は大きく二つのグループに分けられます。ひとつは日本から派遣されて来ている人たちで、もうひとつは自分の意志でパナマに住んでいる人たちです。
日本から派遣されてきている人たちは、大使館員、日本人学校の教員、日本企業の現地事務所の従業員、JICA職員および専門家やボランティア、各種団体職員、自然科学や社会科学の研究者などがいます。
一方、自分の意志でパナマに住んでいる人たちは様々な職業についています。たとえば日本大使館やJICAでも現地採用されている人たちもいますし、日本人を相手にした観光業や通訳をやっている人もいます。芸術家や技術者などもいるようです。
これらの二つのグループの人たちは生活環境などがかなり異なります。日本から派遣されて来ている人たちはいわば日の丸を背負って来ている人たちなので、何かトラブルがあったりするとたちまち日本の代表者としての責任を問われます。たとえば会社の名前に傷がつくなどという心配をします。
このため、たとえば現地のバスには乗らないで自家用車で移動する、少しでも危ない地域には行かない、現地の人と親しくなりすぎない、などといった用心をしなければなりません。かなり窮屈な生活を余儀なくされているように見えます。従って生活も日本人社会の中が多くなります。その代り、そのような生活ができるように十分な手当てが支給されます。
一方、自分の意志でパナマに住んでいる人たちは基本的に自由です。また、現地の給料(日本の団体に勤めていても、現地で採用された人は安月給です。)では現地の人とかけはなれたような豪華な生活ができるはずもありません。したがってこれらの人たちの生活は現地の人と同じと考えて良いでしょう。
日本から派遣されている人のうち、JICAのボランティアは特別な存在のように思います。日本の代表者としての自覚を要求される一方で、現地の人の目線でものを見ることが要求されます。たとえば車がもてるほどの生活費はもらえませんから、交通はバスを利用します。バスは日本ほど安全ではなく、犯罪や交通事故に巻き込まれる危険はありますが、そうであっても「現地の目線」を優先してあえて現地の人と同じような生活をすることになります。
特に青年海外協力隊の生活費はときとして「これで本当にやっていけるの?」と思えるような金額になります。私のようなシニア海外ボランティはそれよりはだいぶ余裕はありますが、それでもそうそう贅沢ができるほどではありません。もちろんこれらは皆さんが支払った税金の中から支出されていますから、必要最小限なのはあたりまえと言えます。
パナマにも日本人社会というものがあります。日本人会がありますし、日本人学校に子供が通っていることによるつながりもあります。日本人は少ないのでたまたま会う機会があると積極的につながりを持とうとします。「昨日日本人に会ったんだけど」「えー、私の知っている人かなあ」というような調子で互いに情報を交換してネットワークが充実していきます。それでもうるさいほどの付き合いにはなかなかならないのは、数が少ないことがきいているのでしょうか。
ときどき「日系人」という人たちに出会うことがあります。日本国籍はないが、日本人の血をひいている人たちです。個人情報にかかわるので詳しくは書けませんが、たとえば「私の夫の祖父は日本軍のスパイだったのよ」と言う私と同年輩ぐらいの女性の教授がいます(その人自身は日系人ではありませんが、日系人と結婚したということです)。その人の夫の祖父は戦時中パナマ運河を通過する米軍を監視していたらしく、戦後アメリカに抑留されてそこで亡くなったとのことです。
私の通っている海事大学の学生にも日本名の学生がいます。「おじいちゃんは日本人です」と彼は言っていました。彼の歳からするとおじいちゃんというのは私より十歳か二十歳上ぐらいでしょうから、戦後パナマに来たのでしょう。なんでもエンジンにかかわる仕事をしていたとかで、私と同業者のようです。何かの理由でパナマに来てそこで家族を持ち、今でもパナマに住んでいるとのことでした。
以前かかっていた歯医者は日系三世でした。日本の大学で勉強したとかで日本語が通じて便利でした。その人が親しくしているパナマ人の友人の祖父も日本人で、パナマで結婚して子供をもうけたが、日本に帰ってそこにも家族がいるという話を聞いたことがあります。JICAの現地職員にも日本名の人がいますし、顔を見たことはないけれども空手の先生が沖縄出身だとか、どこかの音楽の先生が日本人だとか、断片的な情報も含めると「日本人や日系人」という人たちがパナマにもけっこういるのだと思われます。
日本人だけれども、何かのきっかけでパナマにやってきて、パナマに骨をうずめるつもりだな、と思える人たちもいます。これらの人たちはいわば「現役の日本人」だが、日本に帰るつもりはない、という人たちです。夫婦とも日本人の場合もありますし、どちらか一方が日本人という人もいます。独身の人もいるかもしれません。
たまたまパナマ人と知り合って結婚し、パナマに住んでいると言う人もいます。知り合ったのは必ずしもパナマ国内というわけでもなく、むしろ日本で知り合ったというケースが多いようにも思われます。このような話は思ったよりも頻繁に出会います。「こんなところに日本人が」というテレビ番組がありましたが、本当にある話なんだということを実感します。
日本に未練を残さず、パナマで満足して暮らし、パナマで死んでいくつもりだ、と言う人もけっこういるわけで、その人たちから「祖国」というのはどのように見えているのだろう、と思ったりします。住めば都という言葉もありますから、生活の上でのストレスがなければそれでよいのかもしれません。むしろ日本での生活にストレスを感じている人がいても不思議はないですね。
江戸時代の少し前にアルゼンチンで日本人奴隷が売られたという記録がある、という記事を最近読みました(Wikipediaで「日系人」の項にある)。ポルトガル人が日本で奴隷を買い付け、国外に連れて行ったという話は比較的確かなようで、それが南米まで流れ着いたというのはあり得る話かと思います。想像の域ではありますが、戦国時代は日本の国内でも生きていくのは大変だっただろうと推察され、ひょっとしたら「内戦による日本人の難民」というのもあったんじゃなかろうかなどとも考えます。
また、日系人の逆の形として、江戸時代の日本にはポルトガル系人、とかオランダ系人とかもいたのではないでしょうか。当時の日本は閉じた国だとなんとなく思ってしまいますが、どこかには国際間の人の流動もあったのではないかと思うのです。
3.麺
東洋人は麺類が好きですね。うどん、そば、中華そば、スパゲッティ、フォー、ビーフンなど。春雨や糸こんにゃくを麺に含めるのはやりすぎかもしれませんが、汁の中にぷかぷかとあの長いやつが浮いているというのが東洋人にはたまらないのかもしれません。
パナマ人が麺類を食べる光景はほとんどお目にかかりません。パナマにはこのような細長いものを食べる習慣がないようです。東洋系の店に行きますと、うどんやらラーメンやらを売っています。中華料理屋に行けば麺を食べることもできます。東洋人は中華料理屋の麺を食べて故郷をなつかしんでいるのでしょうか。
インスタントラーメンは人気と見えて中華の店にはたくさん置いてあります。しかし、メーカーは90%が日清です(製造所はアメリカか東南アジア方面らしい)。袋麺はもっぱら「出前一丁」で、カップ麺は「カップヌードル」です。
これらを買ってきて食べて見ると、それが日本で食べる「出前一丁」や「カップヌードル」とは似ても似つかない味であることにびっくりします。決して食べられないようなものではないのですが、日本の味を期待して食べると肩透かしを食います。インターネットで調べて見ると、香港製の出前一丁は20種類以上も種類があるとか。
数は少ないのですが、韓国の袋麺を売っていて、これは私にはとてもおいしいように思います。ただし、値段も高く、「出前一丁」の倍ぐらいします。この韓国麺はとても辛いので、とうがらしが苦手の方には食べられないかもしれません。
韓国袋麺。右は調理した様子。この赤さ加減で味が想像できる。
(注:右の写真は現物の赤みを再現するために色を調整しました)
4.干しレンコン
中華食材店などに行きますと、大根、白菜、チンゲン菜などを売っていて日本でおなじみの野菜などもかなり手に入ります。しかし、レンコンを売っている店はパナマ市内で一か所しか知りません。またこれは季節商品で、8月から11月にかけて出回るようです。ゴボウはもっと見る機会が少なく、私はたった一度だけ中華食材店で見たことがあります。
レンコンは好きなので、店頭にあれば必ず買うのですが、売っている店まで行くのが大変で、最近は買う機会を逸しています。ところが先日中華食材店で干しレンコンというのを売っているのを見つけました。試しに買ってみると、生のレンコンほどではないけれどもそれなりに噛み応えがあり、味もレンコンっぽいような味がします。それで今日は干しレンコンと手羽先の煮ものを作ってみました。
干しレンコンは水で戻して適当な大きさに切り、それと手羽先を日本風の味付けで煮たものです。生のレンコンに比べるとかすかな酸味があり、ちょっとふにゃふにゃしているのですが、レンコンと思おうとすれば思えないこともなく、それなりには美味しかったと言えます。
ちなみに冷凍の和風混合野菜というのも売っていて、この中にもレンコンが入っていました。しかしこちらはレンコンの「かす」、というようなもので全く美味しくはありませんでした。
干しレンコン
水でもどしているところ
干しレンコンと手羽先の煮もの
(この項おわり)
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