Mr.Conductor のパナマ通信
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第二部 再びパナマから No.7  2016/9/5


 日々通勤と言うのは大変ですね。私は都会で働いたことがないので通勤の負荷には慣れていないのですが、ここパナマに来て通勤に驚くほどの時間を費やすことになりました。今回は私の通勤事情と、それから日本人と日系人に関する記事、それに食べ物の話を少しばかりいたします。


1.通勤事情

通勤はパナマ市に住む者にとっては頭痛の種と言えるものです。子供もいる家庭で十分な広さの家を持つには郊外の方に住まざるを得ません。渋滞がひどいので車にせよバスにせよ郊外からの通勤には大変な時間がかかります。

 一人の友人は朝4時ごろ起きて渋滞が始まる前に車で郊外から市の中心部に出勤し、職場についてから一眠りし、朝食を食べ、それから仕事を始める、という生活をしていると言っています。私のアパートの周辺には路上駐車の車がたくさんあるのですが、私が出勤する朝6時ごろには車の中で寝ている人も良く見かけます。

夕暮れ時から午後8時過ぎまで、首都の街角には長い列がいくつも見られます。これは郊外に帰る人達がバスを待っているのです。ワゴン車のバスが多く、これらは政府が運営している公共のバスとは違って私企業として運営されているのだろうと思っています(未確認)。毎日あの列に並ぶのだろうか、と思うとぞっとします。

私自身も通勤にはだいたい往復3時間を費やしています。東京の人から見ればそう長い通勤時間ではないのかもしれませんが、パナマの田舎で暮らしている他のボランティアなどは職住接近の人が多く、首都での生活の不便な面があぶりだされているように思われます。

1.1.私の通勤風景:出勤

勤務先の大学はパナマ運河の入り口にあります。近くまで行く公共交通機関がないので、次の二通りの方法で出勤します。

(1)バスターミナルまでバスで行き、大学のバスをつかまえる。このバスは朝3便あります。運行時間も決まっています。以前はよくすっぽかされてタクシーを雇うはめになったりしましたが、職員からクレームが出たのか、「最近は」割合きちんと来ます。

(2)バスターミナルの二つ手前の青果市場で降りてそこから50分かけて歩く。歩く道は「アンコンの丘」のふもとを巻いており、散歩道としては快適です。

(1)をとるか、(2)をとるかは半々ぐらいです。所要時間は似たようなものです。

大学とは離れた所にエンジンの実習場があり、そこに直接行くことも多いのですが、その場合はバスターミナルから別のバスに乗るか45分かけて実習場まで歩くかのどちらかです。このルートは歩くことの方が多く、それは途中にコトワコーヒーというおいしいコーヒー屋さんがあって、そこでコーヒーを買うのが楽しみだからという理由があります。パナマで自慢できるものは残念ながら少ないけれども、コーヒーだけは大変に美味しいのです。



朝、バスターミナル側から見たアンコンの丘。
雲がかかっているあたりが歩くときの通勤路。


大学のバス


バスターミナル付近で朝早くから草を刈る人。


朝の渋滞。
ただしこれは短距離の渋滞でたいしたことはない。
実習場に行くには右側の路側帯を歩くのだが、
混んでくるとここに車が侵入してきてやや恐怖。
朝は警官が常駐しているので無茶をする車は少ない。



実習場に行く途中のコトワコーヒー店。なかなかしゃれている。

1.2.私の通勤風景:帰宅

だいたい昼を過ぎると授業も少なく、パートタイムの教授たち(正規の雇用者よりパートの方が断然多い)は次の学校に教えに行くか家に帰る人も多いようです。職員の定時は4時で、これを過ぎると人はほとんどいなくなります。

私は事務所をひとつあてがわれていますが、これは破格の扱いと言っても良いでしょう。(教授は自分の部屋を持っておらず、実験室か図書館などで仕事をしています)

午後になると訪ねてくる人もないし、学生も大半は帰ってしまうので静かで集中できます。事務所のある図書館は午後6時に閉まるので、それまでここで仕事をすることにしています。それから帰ると最近は少し薄暗くなるぐらいの時間になります(日の入り時刻は年間で1時間ぐらい変化する。今は日暮れが早い。)。

 青果市場のバス停まで歩いて行くのですが、たそがれのこの通勤路はなかなか風情があります。この時間になるとかなり涼しくもなり、歩くのも快適です。運動着を来て走っている人たちにもよく出会います。バスもこの時間になると渋滞にかかることも少なくなって順調に走ります。

 通勤路周辺はもとアメリカの借地で、アメリカ人が建てた建物がそのまま使われています。この地域はごみもさほど落ちておらず(市内の道路はごみだらけが普通)、木が多く、建物もしゃれていてほっとします。

下の写真は帰宅路の様子です。


パナマ運河庁。
正面の階段(108段ある)を上がり、運河庁の建物
の右わきを通過してアンコンの丘のまき道に出る。



アンコンの丘のまき道。
人通りは少ないがこの先に警官が常駐しているので比較的安心。


運河庁の建物のところから見たバルボア港のコンテナヤード

2.パナマにいる日本人と日系人

 パナマにいる日本人は約
300人とも言われています。パナマに住むことになりますと、現地の住民票を取ることになります。また、在パナマ日本大使館に在留届という書類を提出します。もし何か大きな災害があったり戦争が起こったりすると、日本大使館はこれをもとに安否確認を行いますので、在留届はきちんと現状を反映していなければなりません。

パナマに住んでいる日本人は大きく二つのグループに分けられます。ひとつは日本から派遣されて来ている人たちで、もうひとつは自分の意志でパナマに住んでいる人たちです。

日本から派遣されてきている人たちは、大使館員、日本人学校の教員、日本企業の現地事務所の従業員、JICA職員および専門家やボランティア、各種団体職員、自然科学や社会科学の研究者などがいます。

  一方、自分の意志でパナマに住んでいる人たちは様々な職業についています。たとえば日本大使館やJICAでも現地採用されている人たちもいますし、日本人を相手にした観光業や通訳をやっている人もいます。芸術家や技術者などもいるようです。

これらの二つのグループの人たちは生活環境などがかなり異なります。日本から派遣されて来ている人たちはいわば日の丸を背負って来ている人たちなので、何かトラブルがあったりするとたちまち日本の代表者としての責任を問われます。たとえば会社の名前に傷がつくなどという心配をします。

 このため、たとえば現地のバスには乗らないで自家用車で移動する、少しでも危ない地域には行かない、現地の人と親しくなりすぎない、などといった用心をしなければなりません。かなり窮屈な生活を余儀なくされているように見えます。従って生活も日本人社会の中が多くなります。その代り、そのような生活ができるように十分な手当てが支給されます。


 一方、自分の意志でパナマに住んでいる人たちは基本的に自由です。また、現地の給料(日本の団体に勤めていても、現地で採用された人は安月給です。)では現地の人とかけはなれたような豪華な生活ができるはずもありません。したがってこれらの人たちの生活は現地の人と同じと考えて良いでしょう。

日本から派遣されている人のうち、JICAのボランティアは特別な存在のように思います。日本の代表者としての自覚を要求される一方で、現地の人の目線でものを見ることが要求されます。たとえば車がもてるほどの生活費はもらえませんから、交通はバスを利用します。バスは日本ほど安全ではなく、犯罪や交通事故に巻き込まれる危険はありますが、そうであっても「現地の目線」を優先してあえて現地の人と同じような生活をすることになります。

 特に青年海外協力隊の生活費はときとして「これで本当にやっていけるの?」と思えるような金額になります。私のようなシニア海外ボランティはそれよりはだいぶ余裕はありますが、それでもそうそう贅沢ができるほどではありません。もちろんこれらは皆さんが支払った税金の中から支出されていますから、必要最小限なのはあたりまえと言えます。

パナマにも日本人社会というものがあります。日本人会がありますし、日本人学校に子供が通っていることによるつながりもあります。日本人は少ないのでたまたま会う機会があると積極的につながりを持とうとします。「昨日日本人に会ったんだけど」「えー、私の知っている人かなあ」というような調子で互いに情報を交換してネットワークが充実していきます。それでもうるさいほどの付き合いにはなかなかならないのは、数が少ないことがきいているのでしょうか。

ときどき「日系人」という人たちに出会うことがあります。日本国籍はないが、日本人の血をひいている人たちです。個人情報にかかわるので詳しくは書けませんが、たとえば「私の夫の祖父は日本軍のスパイだったのよ」と言う私と同年輩ぐらいの女性の教授がいます(その人自身は日系人ではありませんが、日系人と結婚したということです)。その人の夫の祖父は戦時中パナマ運河を通過する米軍を監視していたらしく、戦後アメリカに抑留されてそこで亡くなったとのことです。

私の通っている海事大学の学生にも日本名の学生がいます。「おじいちゃんは日本人です」と彼は言っていました。彼の歳からするとおじいちゃんというのは私より十歳か二十歳上ぐらいでしょうから、戦後パナマに来たのでしょう。なんでもエンジンにかかわる仕事をしていたとかで、私と同業者のようです。何かの理由でパナマに来てそこで家族を持ち、今でもパナマに住んでいるとのことでした。

以前かかっていた歯医者は日系三世でした。日本の大学で勉強したとかで日本語が通じて便利でした。その人が親しくしているパナマ人の友人の祖父も日本人で、パナマで結婚して子供をもうけたが、日本に帰ってそこにも家族がいるという話を聞いたことがあります。JICAの現地職員にも日本名の人がいますし、顔を見たことはないけれども空手の先生が沖縄出身だとか、どこかの音楽の先生が日本人だとか、断片的な情報も含めると「日本人や日系人」という人たちがパナマにもけっこういるのだと思われます。

日本人だけれども、何かのきっかけでパナマにやってきて、パナマに骨をうずめるつもりだな、と思える人たちもいます。これらの人たちはいわば「現役の日本人」だが、日本に帰るつもりはない、という人たちです。夫婦とも日本人の場合もありますし、どちらか一方が日本人という人もいます。独身の人もいるかもしれません。

たまたまパナマ人と知り合って結婚し、パナマに住んでいると言う人もいます。知り合ったのは必ずしもパナマ国内というわけでもなく、むしろ日本で知り合ったというケースが多いようにも思われます。このような話は思ったよりも頻繁に出会います。「こんなところに日本人が」というテレビ番組がありましたが、本当にある話なんだということを実感します。

日本に未練を残さず、パナマで満足して暮らし、パナマで死んでいくつもりだ、と言う人もけっこういるわけで、その人たちから「祖国」というのはどのように見えているのだろう、と思ったりします。住めば都という言葉もありますから、生活の上でのストレスがなければそれでよいのかもしれません。むしろ日本での生活にストレスを感じている人がいても不思議はないですね。

江戸時代の少し前にアルゼンチンで日本人奴隷が売られたという記録がある、という記事を最近読みました(Wikipediaで「日系人」の項にある)。ポルトガル人が日本で奴隷を買い付け、国外に連れて行ったという話は比較的確かなようで、それが南米まで流れ着いたというのはあり得る話かと思います。想像の域ではありますが、戦国時代は日本の国内でも生きていくのは大変だっただろうと推察され、ひょっとしたら「内戦による日本人の難民」というのもあったんじゃなかろうかなどとも考えます。

また、日系人の逆の形として、江戸時代の日本にはポルトガル系人、とかオランダ系人とかもいたのではないでしょうか。当時の日本は閉じた国だとなんとなく思ってしまいますが、どこかには国際間の人の流動もあったのではないかと思うのです。


3.麺

東洋人は麺類が好きですね。うどん、そば、中華そば、スパゲッティ、フォー、ビーフンなど。春雨や糸こんにゃくを麺に含めるのはやりすぎかもしれませんが、汁の中にぷかぷかとあの長いやつが浮いているというのが東洋人にはたまらないのかもしれません。

パナマ人が麺類を食べる光景はほとんどお目にかかりません。パナマにはこのような細長いものを食べる習慣がないようです。東洋系の店に行きますと、うどんやらラーメンやらを売っています。中華料理屋に行けば麺を食べることもできます。東洋人は中華料理屋の麺を食べて故郷をなつかしんでいるのでしょうか。

インスタントラーメンは人気と見えて中華の店にはたくさん置いてあります。しかし、メーカーは90%が日清です(製造所はアメリカか東南アジア方面らしい)。袋麺はもっぱら「出前一丁」で、カップ麺は「カップヌードル」です。

これらを買ってきて食べて見ると、それが日本で食べる「出前一丁」や「カップヌードル」とは似ても似つかない味であることにびっくりします。決して食べられないようなものではないのですが、日本の味を期待して食べると肩透かしを食います。インターネットで調べて見ると、香港製の出前一丁は20種類以上も種類があるとか。

数は少ないのですが、韓国の袋麺を売っていて、これは私にはとてもおいしいように思います。ただし、値段も高く、「出前一丁」の倍ぐらいします。この韓国麺はとても辛いので、とうがらしが苦手の方には食べられないかもしれません。


 
韓国袋麺。右は調理した様子。この赤さ加減で味が想像できる。

(注:右の写真は現物の赤みを再現するために色を調整しました)


4.干しレンコン

中華食材店などに行きますと、大根、白菜、チンゲン菜などを売っていて日本でおなじみの野菜などもかなり手に入ります。しかし、レンコンを売っている店はパナマ市内で一か所しか知りません。またこれは季節商品で、8月から11月にかけて出回るようです。ゴボウはもっと見る機会が少なく、私はたった一度だけ中華食材店で見たことがあります。

レンコンは好きなので、店頭にあれば必ず買うのですが、売っている店まで行くのが大変で、最近は買う機会を逸しています。ところが先日中華食材店で干しレンコンというのを売っているのを見つけました。試しに買ってみると、生のレンコンほどではないけれどもそれなりに噛み応えがあり、味もレンコンっぽいような味がします。それで今日は干しレンコンと手羽先の煮ものを作ってみました。

干しレンコンは水で戻して適当な大きさに切り、それと手羽先を日本風の味付けで煮たものです。生のレンコンに比べるとかすかな酸味があり、ちょっとふにゃふにゃしているのですが、レンコンと思おうとすれば思えないこともなく、それなりには美味しかったと言えます。

ちなみに冷凍の和風混合野菜というのも売っていて、この中にもレンコンが入っていました。しかしこちらはレンコンの「かす」、というようなもので全く美味しくはありませんでした。

        干しレンコン

       水でもどしているところ

       干しレンコンと手羽先の煮もの
                     
                                              (この項おわり)

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第二部 再びパナマから No.8  2017/3/12

                                                 
                        パナマだより 8号

年末から年始にかけて、大学のエンジン実習場ではエンジンのモニターシステムを換装するという大工事をやりました。それで忙しくてパナマだよりもしばらく出さなかった・・・という言い訳です。

今回はパナマの技術レベルの話からです。このテーマは私の仕事の基本的な部分にかかわっていて、ああでもないこうでもないと長年頭の中で転がしていていました。私自身の考えも二転三転して落ち着かなかったのですが、ようやくまとめてお話できるぐらいの段階になったかな、と思い、ここに発表します。かなりお固い話になってしまうかとも思いますがごかんべんを。

1.パナマの科学技術と大学のありかた

私はパナマ海事大学という大学の航海学部機関学科で仕事をしています。この大学は日本の東京海洋大学のような大学で、その中でも航海学部は昔の商船大学と良く似ています。船舶職員を養成するための学部なのです

私はもともと商船大学の機関科で学んでいますし、その後造船会社で船のエンジンを作る仕事をしてきましたから、ここで仕事をするのはまずぴったりの人間だと言えます。

ですが、じゃあいったいここで何をするのか?

よく大学で学生に教えているという風にとられることが多いのですが、学生に教える仕事はごく一部で、その他にJICAが昔供与した機器の整備や修理をしたり、教官の仕事を手伝ったり、そうして教官に技術を教えたりしています。教官に教えるってすごい、と思われる方もおられるかもしれません。確かに私の持っている技術は「パナマでは」一級品とも言えます。日本だったらたいしたことないけどね。

実はシニア海外ボランティアに応募した時、パナマの海事大学で技術を教える、ということに不安を覚えたものでした。私の持っているような技術がはたして大学教授にわざわざ教えるような技術であろうか、という不安です。

その不安は当たりませんでしたから、まあ良かったのです。JICAが我々に言うのは、高度な日本の技術を教えてパナマの技術レベルを上げ、より良い船員教育を実現する、というものでした。わかりやすいですし、できそうな気がしてくるでしょう。しかしパナマに3年以上滞在してこの仕事をしているうちに、「ちょっと違うんじゃないか」と思うようになってきたのです。

日本の科学技術系の大学を卒業しますと、研究、開発、設計、製造、販売、運転、アフターサービス等々、いろいろな場面でその技術を生かすことができます。それだけ道も開けているわけです。製造会社もたくさんありますし、そこからのニーズで公立の研究所や工業試験所などもたくさんあります。それに加えてエンジニアリング会社、機械装置の販売会社、先端の装置の運転手、それを売る人、修理やメンテナンスをする人など、実に多様な「理科系」の人たちが仕事をしているのです。大学ではそれらすべてに通用する技術を全部教えるということはできませから、基礎だけ教えてあとは仕事をやりながら勉強しなさい、ということになります。

大学はいわばその科学技術の頂点にいるわけですから、いろいろ高度な研究もやります。学生はそういう高度な研究をやる教授たちの後姿を見ながら育って行くわけです。ひるがえってパナマではどうか?

パナマには製造業というものは食品関係を除いてはありません(砂糖と乳製品の工場は見たことがある)。私が教えている学生たちは、せいぜい販売、運転、アフターサービスの仕事に就けるだけで、物を造ったり開発したりという場面に参加できる機会はないのです。彼らは大学を出れば即戦力としてたとえばエンジンを運転したり、整備をしたりといった仕事をすることになります。その時に、「基礎は知ってますが、仕事の方はこれから学んでいきます」などと言ったら、「おまえはいらん」と言われるのがおちなのです。

従って、私の大学では実習がとても大事です。大学の実習用のエンジンプラントで実際にエンジンを運転する練習をします。船のエンジンは車のエンジンと違ってキーをひねるだけでスタートするというわけにはいきません。エンジンをスタートさせるためにはいろいろ複雑な手順があり、それを学生は一生懸命学んでいくのです。

その中でたとえば私が「エンジンと言うのはこういう風に燃料が燃えて動くんだ」というような少し高度な燃焼理論みたいな話をしたとしましょう。そうすると皆がとても感心してくれるのです。しかしそれが必要な知識と彼らが思うわけではありません。それよりは具体的なエンジンの運転や整備の方法などを知りたいと思うのが普通なのです。

それは日本の専門学校のようなところで学ぶ内容で、大学で学ぶことではないんじゃないの?と思われる方もおられるでしょう。日本人が見る大学の基準からしたらそうでしょう。しかしパナマの基準では「それが大学で学ぶこと」なのです。大学は社会に貢献できる人材を育てるところで、それは日本もパナマも変わりません。だからこそ、パナマの社会に貢献できる大学の目指すところは日本の大学とは違うのです。それは社会が違うからです。結局JICAが言う、「日本の高度な技術」は実はパナマでは必要とされていないのです。

さて、ではパナマの大学は高度な技術に全く無関心なのか、というとそれも少々違うのです。やっぱり大学なのでパナマをけん引できるような高度な技術を保持し、それを発展させ、学生にも教えていきたい、というような理想を持っています。しかし「ありていに」言ってしまえば、それに割ける資源、つまり人、もの、金などはほとんどないというのも実情なのです。それに加えて、多くの教授たちは研究なんてしたことがありませんから、実験装置をどう作るのか、データをどう解析するのか、そうして論文と言うものはどういう書式で書くのか、など、かけらも知りません。全くの初心者なのです(すべての人が、というわけではありませんが、まあ平均的な話です)。

最初にこの大学で働きだしたとき、研究活動の推進という話が出ました。「田中さん、研究活動を手伝ってやってください」、「我々もやりたいんですよ」というような話です。そのころ私は、大学の研究というものがパナマの社会にどう役に立つかというようなことまでは深く考えなかったので、「いいですよ」と軽く引き受け、JICAに頼んで実験装置を作ってもらい、ひとつの研究を始めました。実験もし、解析もし、日本の学会に投稿までしました。学会誌に載った記事は今でも金字塔としてこの大学では扱われています。なにしろ日本の学会誌にパナマの海事大学の名前で載るなどということは前代未聞だったからです。

この研究は私が良く知っている分野の摩擦に関係する研究でした。日本の学会誌に載せるということを考えたので、あんまりありふれたテーマではだめだと思い、特殊な材料を使った研究にしました。いわば重箱のすみをつつくような研究だと言えます。日本では研究者たちが血眼になってテーマを探して研究していますから、他の人がやっていない前例のないような研究テーマはおいそれと転がっているわけではありません。かといってみんながやっているような研究でトップを走るためには最先端の機器や優れた研究者を得なければ無理と言うものです。よってそれはあきらめ、ニッチといいますか、あんまり人がやらない分野の研究をしたのです。それでも日本ならそういう研究がたくさん寄り集まって高い技術レベルを維持していくというのは可能です。つまり、たくさんの人がそれぞれ小さな分野で高度な研究をすることで、全体として高くて大きな山を築いていける、ということなのです。それは日本の大きな人口と科学技術立国という日本の運営方針によって、広いすそ野が形成されていて、レベルの高い様々な技術をその上に積み上げることができるからなのだと考えます。

しかし、パナマではどうでしょうか。パナマの人口は岡山県二つぶんぐらいです。工業というものはありません。その中で重箱のすみをつつくような研究の成果を発表したとして、それがパナマの科学技術になんらかの貢献をする可能性があるでしょうか。そんなことはあり得ないと三年以上たって私はようやく気が付いたのです。パナマの科学技術に貢献できる研究とは、もっと基礎的でわかりやすい、そうして日本だったら学会にばかにされて発表できないような幼稚な(あるいは現場的な)ものなのではないか。それこそがパナマに求められる研究であるのではないのだろうか。

パナマは科学技術のすそ野は日本よりだいぶ小さいと思います。小さいすそ野の上には高い山が築けないのです。仮に日本の技術の山の高さが富士山ぐらいとすると、私は現場の技術者ですからその五合目ぐらいにはいるのかもしれません。一方パナマのすそ野の大きさからすると、どうがんばってみても高尾山ぐらいの山しか築けない。パナマの大学教授はその高尾山の頂点にいるということですから、富士山の五合目にいる私の方が高いレベルを持っているのはいわば当然と言えます。それは別に私が優秀でパナマの大学教授がバカだということではない。私だってパナマに生まれればせいぜいそのレベルまでしか行けないのはわかりきっている話です。

ところで、パナマの教授は研究については初心者だと、かなり失礼なことを言ってしまいました。しかしこれはまあまあ事実です。経験がないからです。その大きな原因のひとつは、パナマの主要大学は卒論を義務化していないということだと思っています。もし卒論が義務だったら、学生も教授も大学もそのためにかなりの努力をしなければなりません。研究も必要になって来ます。教授だって論文を書いたり書かせたりしなければなりませんから、当然経験も豊富になります。しかし卒論が義務でなければ、そんなしんどいことはしなくても良いのです。もし本当にパナマの大学の研究を活発にしたかったら卒論を義務化すべきだと私は思います。

しかしこれは大学のありかたを根本的に変えるような大きな決断です。もしそうなったら、それによってパナマの大学はパナマの役に立つ大学になるのでしょうか?。ひょっとしたら、「否」という答えが返って来るかも知れません。

2.バッシーカメ・ノルドンボスコ

毎朝通過する停留所のひとつに、「バッシーカメ・ノルドンボスコ」という名前の停留所があります。初めアナウンスを聞いたときには?????という感じでした。しかし最近は車内に電子式の掲示板ができまして、そこに停留所の名前が出るのです。だからそれを見ればわかるはず、というわけで、掲示板を見ると、Don Boscoとしか出てきません。あんまり字数の多いものは出せないようなのです。確かにドン・ボスコ教会の前なので、そこはわかります。では「バッシーカメ・ノル」は何でしょうか。

これはどうしてもわからなかったので同僚に聞きました。そうしたら、Basilica Menor なんだそうです。つまり、停留所の名前はBasilica Menor Don Boscoだというわけです。これは、ドンボスコの小さな教会、という意味なんだとのこと。

私は、バッシーカメ・ノルドンボスコと最初に書きましたが、これは切り方が間違っていて、バッシーカ・メノル・ドン・ボスコと切るべきものなのですね。

ところがバスのアナウンスを聞くとどうしても「バッシーカメ・ノルドンボスコ」としか聞こえないのです。どうしてもメとノの間に区切りが聞こえてしまうのです。

多分どこの国でも車内アナウンスと言うのはわかりにくいのでしょう。日本でもきっとわかりにくい駅の名前があるに違いないでしょう。


3.
おもしろいスペイン語

日本人から見ると「へえ」と思えるようなスペイン語を紹介しましょう。

(発音)         (綴り)       (意味)

ども                       domo                ドーム

ばか                       vaca                  牝牛

あほ                       ajo                     にんにく

じゃまめ               llama me         電話をください

じゃまじゃ           llama ya!         お電話一本で大丈夫でございます

だめ                       da me               おれにくれ

本論                       jonron              ホームラン

ばば                       baba                 よだれ

べそ                       beso                  キス

えっさ                   esa                    それ(人称代名詞eseの女性形)

ほや                       joya                  宝石

けったる               que tal             ごきげんいかが

これこれ               corre corre       走れ走れ!

てけたき               este que esta aqui  そいつはそこにある

(パナマではエスを発音しないことが多く、このような発音になる)

しげしげ               Sigue! sigue!           続けて!

4.パナマの習慣(日本と違うやりかた)--Panama Tips

① マイクテストのとき数を数える(ウノ、ドス、トレス・・・・)。日本ならアーアー、マイクテスト、とか言いますね。昔は「本日は晴天なり」というのが決まり文句でしたが今は聞かない。

② タクシーをつかまえるには腕を水平に出し、手のひらを下に向けます。バスに乗車を知らせる方法も同じ。

                

写真はちょっとさまになっていません。パナマのおばさんはこのとき手を下に揺らして、おいでおいで、という感じのサインを出します。

③ 朝食パーティーをする

パナマ人が主催する夕食のパーティーというのはどちらかといえば少ないと思います。職場では誕生祝のパーティーなどを朝します。朝っぱらからあちこちで買い集めた食べ物を持ち寄り、もちろんアルコールは抜きでお祝いをするのです。

        

誕生祝の朝食パーティー。このときは私が連れて行った二名の日本人も参加した。

④ くそっ、なんてやつだ、と思ったら、手のひらを少し丸めて上に上げます。このとき指先が上を向く方向に上げます。運転している時に強引に割り込まれたり、乗りたいバスに無視されたりしたときによく使います。運転席の窓からわざわざ手を出してやるやつもいます。

                   

パナマに長くいてだんだんパナマの習慣がびっくりするようなものでなく、あたりまえのように思えてきてしまいます。日本へ帰っておんなじことをしたらびっくりされるだろうな。

                            
                                             (この項おわり)
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