わたしたちのアルジェ日記(1)
(1983年4月〜1983年7月)

赴任前に辞令をもらった
霞ヶ関の文部省の前で
(現文部科学省)
左より同期派遣の
F先生(鹿児島県)、
I 校長(北海道)、
筆者(岡山県)


在アルジェリア国日本大使館附属日本人学校校舎 (Hussein-Dey, Alger 現在廃校・筆者写)


 
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<注・以下筆者の日記より抜粋、(M)とあるは妻の日記より、文中(K)は筆者のこと>

1983/4/9-10 日本出発
 Boeing B747(エールフランスサイトより転載)
 

 成田空港よりエアーフランスAF273便にて21:08出発。アラスカのアンカレッジ経由(注・現在は直行便)で、翌10日05:30パリ・シャルルドゴール着。オルリー空港へ市内移動し、AFのアルジェ行きに乗る。10日昼前アルジェに到着。(日本でてから22時間後!)スクールバスで先任者が出迎えてくれる。ここは空気からして日本やパリとは全く違う(乾いている)し、陽光が明るい。寝不足の目には眩しすぎる。



(笑える後日談)
実は、私たち夫婦の履歴書や写真が公式文書として送られていたらしい。妻の写真は、日本の写真館の人が修正しすぎて、見合い写真の顔のようになっていた(らしい)。何の間違いか「大原麗子のそっくりさんが来る!」と評判になっていたという。(そりゃあできすぎ!)当日空港では、「大原麗子が来ていない!」と探した回ったそうだ。(後日、酒の席で先任者から聞いて、大笑いになった話。)実はその写真館は、修正が巧くかなり直すので私たちの市内でも有名であった。写真も直しすぎると、とんでもないことになる−という例である。





アルジェの「マイホーム」


3階は日本人(電気・通信F社のSさんファミリー)
2階は大家族大家ファミリー
1階が私たちのコンパートメント
(人物は大家四女マリカと妻)
地中海を見下ろす丘の斜面にあり、眺望は大変良い 地中海が180度に広がる 丘斜面を横に走る道路からは鍵のかかった鉄の扉を開けて中央の階段を上がると左の写真の下に出る 地上階部分はガレージでその上が庭になっている 庭には「ミント・ティー」用のミントが植えられる 庭の端にはジャスミン、バナナ、ハイビスカスが植えられ一年中花が咲いている ガレージは車が3台入る 内二台分が日本人スペースであった のちにガレージ一台分に大家の親戚が八百屋を開いた 家の周りは高い塀に囲まれている

家は煉瓦を積みコンクリートで固めて作る地震には弱い構造 煮炊きは都市ガスで廊下にガスヒーターがあり、セントラル・ヒーティング 冬場は24時間炊き続けた クーラー・エアコン類は常備は無いが、夏でも湿度が低いのでひんやりし凌げた 水道は水の質は良いが石灰分が異常に多く、飲用は沸かして冷やし珈琲フィルターで濾して作った 大変な日課であった ほぼ毎日夜になると水が止まり、夏でも風呂に入れない日があった トイレは水洗である

4/11
 はじめて学校に出勤。(着任式、職員会議、挨拶回り・・大使館、商社など)すべてが日本のそれとは異なる。あまりに環境が変わりすぎ、慣れるのに少し時間がかかりそうだ。

4/13
 入学式。入学式に大使館の公使が来て祝辞スピーチをするのが、日本とは大違いだ。「大使」でなくてもたいした物だ。

4/14日 アフリカへ来て最初の休日。学校のバスで市場(スーク、マルシェ)へ。はじめての
市場に「感動、感心」。汚いし雑然としているが、それよりなんと買い物を男がしている。女性の姿はほとんどなし。さすが!?「男社会」のイスラム教国

4/15
 私の家のガス湯沸かし器の火がつかない。新居なのに始めからこうとは・・。どうも中古の湯沸かし器をつけたらしい。大家の弟でイタリアの俳優マルチェロ・マストロヤンニみたいなオッさんが、バラして管に塩酸を流し込む。管の中は石灰が詰まっている。ここでやっとここの水道水は「石灰水」だと気がついた。やれやれ、これから毎日が大変だ。

4/17 シロッコの初体験
 
朝玄関のドアを開けると、ムッとしたすごい熱気、空は曇天で見通しはよくない。一日中暗い感じであった。あとで聞くと、これが有名な「シロッコ」(フランス語でシロック)であった。サハラ沙漠から熱風が砂を運んでどんどん来るのだ。これが通り抜けたあとは、庭は「桜島火山爆発後の鹿児島市内」状態になる。締め切っていても、タンスの引き出しには砂が侵入している。

4/18
 はじめて市内のヴェトナム料理店「サイゴン」へ行く。他に日本料理も中華料理の店もないらしい。在住の日本人多く、大使館のI 臨時大使や大使館員もいた。「独占企業」なので、値段は決して安くはない。

4/21
 夕刻、レストラン「ムーラン」で日本人会、学校運営委員会主催の歓迎パーティーあり。大使館からI公使以下三領事、日本人会長以下、アルジェ市在住の日本人「お偉方」、さらにそのご婦人、ご子弟も列席。壮観である。子羊の丸焼き(ここでの最高の馳走)は初めての体験だ。結構盛会で、最後に日本人学校の子供たちが合唱をして閉会。よい雰囲気であった。

4/23
 
日本人学校創立記念日で特別時間割


4/27 大使公邸で天皇誕生日レセプション
 
 はじめてアラブ風の大使館公邸の中へ入る。アルジェ在住の各国大使が、国旗をつけたベンツでどんどんやってくる。しかし、料理は簡素で、寿司も日本食もなかった。期待した方が悪い?妻はチェコ大使夫妻と話が盛り上がる。不思議なことに、ほとんどの日本人は、自分の属する集団(会社、学校・・)の人とばかり話をし、100人以上いたという外国の大使、公使とは話していなかった。せっかくのチャンスだと思うのだが・・。なぜだろう?地方から来たプラント工事の人が、「エル・アスナム大地震」の話をしていた。体験者なのだろう。閉会直前、妻がバングラディッシュ大使館員とコンタクト。日本語ペラペラで東大や大阪外大へ留学していたという。子供たちのために、「国際理解教育」講話の協力を依頼する。収穫があった。
         


大使公邸の庭でパーティー後に

4/28
 はじめてこの国の
結婚式の車行列を見る。この日は「大安」なのか、何組も行列を見る。先頭の車に花飾り、後席中央にベールを掛けた花嫁。新郎はどれか分からない。ハザードランプつけ、クラクションをならしっぱなしで十台以上続く。トラックが入っている組もあり、荷台に楽士が乗り、アラブ風民族音楽を演奏して、気分を盛り上げる。とにかく賑やかなことこの上ない。見ているだけでも楽しい。

4/30
 この一帯では
、夜8時をすぎると、たいてい水道が止まる。共働きなので、昼に洗濯ができない。遅くまで水が出る同僚のS先生宅に洗濯物を抱えて、洗濯をしに行くが、すでにそこも断水!今日も洗濯ができなかった。当然風呂もナシ。下手をすると、一週間も風呂に入れない!。たまに10時まで止まらないことがあると、大騒ぎで風呂に入るのだ。

5/10 妻の誕生日
 当地へ来て、
初めての米の弁当。これまで、共働きなので朝、学校へ来る途中のパン屋で、バゲットパンを一本買い、それを夫婦で分けて食べていた。だから何となく嬉しい。おかずはオムレツ。妻頑張る。
 
 学校の外より子供4人の投石あり、中庭に生徒の肩に当たる。F先生と二人で追うが、見失う。4時過ぎまたも投石。S先生が追いかけ、内一人を捕まえる。子供は相当抵抗したらしく大騒ぎになり、近所の住人がでてくる。S先生泥まみれで帰還。
 
 帰宅すると、次女がバラの花束と切手をもってくる。今日は妻の誕生日だった。妻は大家へ行って遅くまで戻ってこず、仕方なく一人で焼き飯作りビールを飲む。
イスラム圏でも酒を売っているこの国でよかった。サウジアラビアだと全く飲めないから・・。

5/12(木)休日
 マルシェ(市場)でビールを探すが、今週もナシ。帰宅して大家次男、その従兄と3人で市内を探し回るが、どこにもビールはなかった。この国は一旦なくなると、なかなか手に入らなくなる。

5/17
 学校の帰り、校長、妻と歩いていて、子供に石を投げられる。指で目をつり上げて、
「シノア!」(フランス語で中国人の意)といってバカにする仕草。子供でも腹が立つ。こんな小さな子でも「有色人種」には差別意識があるのだろうか。

5/18
 今日新しいことに気がついた。イスラム教では、豚肉は忌み嫌って食べないのだが、アラブ人より先住の
「ベルベル人」は豚肉も食べるということを聞いた。ウチの大家ファミリーもベルベルだが、食べてるようにはない。みんなモスリム(イスラム教徒)なんだけど・・。


筆者注:
イスラム社会で豚が嫌われる訳
 諸説ある。イスラム教の国々は砂漠などの乾燥気候が多く、農産物などの生産性は低い。こういう国では、草食の牛とは異なり、雑食性の豚は食べ物で人間と競合する。また豚は伝染病の宿主などで病気を感染させやすい。こういうことから、豚は「忌み嫌われた」といわれる。



5/19
 初めてここで此処で売っている米を買って食べる。いわゆる「タイ米」でロングライスだ。これまでは日本人の方に美味しい「カリフォルニア米?」を分けてもらっていた。味は・・・・・・!!!!!?(泣く)。

5/22


当地に来て初めて、激しい雷鳴と豪雨。かなり長時間続いた。ここまで激しいのは珍しいことだ。

アメリカ人はむろん、イギリス人、インド人、
シンガポール人、スエーデン人・・・・・・・
たいへん国際色豊かなアメリカンスクール
(インターナショナル・スクール)
のバザー(アメリカ大使館内)

写真横のファミリーもインド人
5/26 アメリカンスクール・バザー 
(5日遅れの朝日新聞によれば、日本では秋田沖で大地震、津波等で児童13人死亡との報道あり)

 
アメリカ大使館内にあるアメリカンスクール(注:下囲み欄)へ行く日本人学校とは違う素晴らしい環境だ。広いキャンパス、緑の芝生と広い建物、生徒用コンピューターまである。(注・当時に日本人学校には教師用のワープロもなかった)ゴミ捨て場のそばにあって、石が飛んでくる日本人学校とは雲泥の差だ。大使館内だから、一種の「治外法権」である。何とビールしかもデンマーク製のツボルクを10DA(ディナール)(日本円換算500円くらい?)で売っていた。珍しいので買った。当地のすべての大使館は、アルジェリア政府から免税で定期的にビールの「割り当て」があるという。それにしても、アメリカ大使館はすべてが潤沢だ。こういうところに、国力の差を感じる。


筆者注:「
アメリカン・スクール」とはなに?
一般に「アメリカンスクール」と言っているが、本当は「
インターナショナル・スクール」である。現地の学校に入れない外国人は、外国人学校に入学する。アルジェでは、「アメリカン」、ジャーマン、イタリアン、フレンチ、ジャパニーズの5校があった。自国の学校がない外国人は、ほとんど「アメリカンスクール」に入る。したがって、インド、パキスタン、シンガポール、スウェーデンなどの子どもは、すべて「アメリカン」である。ここでは使用言語は当然英語である。日本人家庭でも、両親の教育方針で、ここに入った者も少数いた。因みにアルジェ日本人学校では、国際結婚した日本人の子供以外には、「外国人らしい」生徒はいなかった。そういう意味では、「アメリカンスクール」だけが国際的でグローバルといえる。


5/28 やっと日本からアナカン(別送航空貨物)荷物来る!
 
スクールバスで今年赴任した校長、F先生、ウチの3件に各戸配送。衣類、本、文房具ばかりで、口に入るものナシ。「大使館臨時職員Extra chancellor」という肩書きのためか、荷物はまったく開けた形跡はなかった。ただし手数料か税金かは分からないが、500DA(25000円)がいるらしい。高いぞ!
 
日本から大使館気付で別に送った小包は、
一つ開けられ、中はバラバラ。もう一つは、OK。しかし、税金で63DA(3150円)とられる。この国では、鉛筆、消しゴムなんかに3000円も税金かけるんかい!(怒)

私の身分証明書
日本人学校教員は「在アルジェリア日本國大使館臨時職員」というステイタスなので、
<大使館・領事館勤務の事務職・技術職>として
アルジェリア外務省発行の身分証明書を常時保持することになっていた

5/29

 
仕事を早引けして、
ウィラヤ(役場=日本でいう区役所)へ「外国人登録」をしに行く。(大家さんと息子、我々夫婦の4人、持参物:アルジェリア政府発行の身分証明書、写真2枚、借家契約書など)この日、隣りのチュニジア・ブルギバ大統領来アルジェリア、3日間滞在の予定。

5/31
日本からの船荷着く!
 船荷がこんなに早く着くのは、当地では新記録だそうだ。ただし、3月5日に出した我々の分と4月に出した他の人の分が同時だった。嬉しいことに、荷物そのものに異常はなかった。噂では、港に置いてある間に、盗難に遭うと聞いていたので、一応安堵。2ヶ月経って、やっと送ったすべての荷物が揃った。
 妻2ヶ月分の給料(初)をもらう。金がなかったので、助かった!お金を借りていた人に返さなくては・・。本当にこの4月5月は先住の日本人にいろいろ世話になっている。ありがたいことだ。

6/1
 学校より生徒連れて
「国際見本市」へ。日本館で「淡水化プラント」の水を飲ませてもらう。やや塩分が感じられた。しかし、こういう沙漠の国では、これが日本からの大切な「商品」なのだ。こういう平和的な物なら良いが・・。

6/2
 大家さんと次男、我々2人で地元の
警察へ「外国人登録」へ行く。アッという間にすんだ。

6/8
 夜S先生宅へ行くとき、たむろしていた若者達にタバコをせびられる。断ると、
「バカ」「アホウ」と日本語でののしられ、石を投げられた誰がこんな日本語を教えたのだ!。情けない!。

6/9 
ドイツ人学校(ジャーマンスクール)フェアへ参加
 

コーヒーとケーキがタダででる。(招待だから当然?)新任の英語の女教師と話す。私がドイツ語の先生を探しているというと、
「ゲーテ・インスティチュート」があると紹介してくれた。夜レストラン「オーベルジュ・ムーラン」で「日本人婦人会」あり、妻参加。

6/16
 (M)Kが風邪で寝込む。熱7.6℃。午後から発疹。

6/19 
「革命記念日」につき休日

7/1 頼んで置いたフランスからの車輸入の件で、残金を商社に払う。(M)大家さんが家の駐車場は別料金と言い出した。これは問題だ。

7/3 濃霧で地中海まったく見えず。午後から赤黒色の泥の雨が激しく降り、坂道を流れ落ち、すごいことになる。「世紀末」のような不気味な一日であった。

7/5 
「独立記念日」にて休日
 再び
「泥の雨」が降る。いかに大気中に砂が含まれているかがよく分かる。

マルセイユに外貨振り込みと生活用品買い出し旅行
旧港のフランス陸軍装甲車の傍で

7/12 フランスのマルセイユへ買いだし旅行 
 イスラムの重要行事「ラマダーン月の断食」連休を利用して、飛行機で地中海対岸のマルセイユへ(50分)。国内みたいに近い。ハガキで予約していた安いホテル「インペラトール」は、地元のタクシーの運転手も知らないくらいの超マイナー。外見もボロ。部屋に入ると、汚くてシャワーも出ない。のみシラミがいて、朝、カバンからはゴキブリが十匹飛び出した。日本では味わえない素晴らしい体験!?だ。

7/13 マルセイユで買い物。日本から送ってなかった不足物を買い足す。海一つで物の量が違う。

7/14 マルセイユは
「パリ祭」で全市休み。アルジェリア、エジプト、ユダヤ人らの店だけは開いていた。(ソーセージが買えた!。)アルジェ帰国。

7/16 休み取って大使館へ。今日も車が取れなかった。何が何だか分からない。

私が「捕まった」アルジェ港空撮
左写真の赤矢印の場所
7/19 アルジェ港で筆者憲兵に捕まる!
 
日本の「海外子女教育財団」に依頼されたアルジェの写真を撮りに、先任のS先生とアルジェ港へ行った。そこで憲兵(MP)に捕まる。(くわしくは当ホームページの「海外のちょっと怖い話」に掲載)通りかかった上官の判断で釈放。本当に「冷や汗もの」であった。「外国では港、駅、空港などは軍事施設並み」という「常識」を軽く考えていた「報い」であった。以後気をつけるべし!

7/20 終業式(21より生徒は「夏休み」)

7/23
 やっとマイカーが手に入る!(フランス製・プジョー104ZS)
 
大使館員付き添いで港へ、書類忘れ、書類不備で午後になる。港に十何日も置いてあって、ほこりだらけの車と対面。F先生の車の方は鍵がなくて、またもや入手できず。気の毒だ。一連の輸入代行・手続きをしてくださったM社には大変お世話になった 感謝の言葉もない

買ったばかりの新車で
地中海岸を走る

(ナンバー75はパリのもの)
後にアルジェリアの
大使館職員用ナンバー
(緑色)に変更した
7/24 初めてマイカーでロングドライヴ
 ローマ遺跡のあるティパサへ妻と。地中海を横目に気持ちよく走る。車も1300ccにしてはよく走る。これからは生活圏が広がりそうだ。買い物も一人で行ける。

7/27 
やっとビール入手!
 ずっと探し回っていたビールがやっと手にはいる。お世辞にもうまくはないが、ないとまた困る代物だ。本当にアルジェリアでよかった。サウディ・アラビアに行った人たちは気の毒らしい この国は旧宗主国フランスの影響で?飲酒は構わない 改めて感謝!



筆者注:
イスラム教とアルコール
イスラム教國では原則として、「アルコールは禁止」だが、国によってかなり事情が異なる。フランスのもと植民地でブドウの大産地だったアルジェリアでは、公認でアルコールが製造販売される。また国民は飲まないが、外国人観光客は飲んでいるという国もある。後日、サウジアラビアで勤務した方に訊くと、そういう国では「それなりのアルコール入手方法」があり、何とか入手し飲めたという話を聞いた。


    筆者後日注:(2010年8月現在)  アルジェリア産ワインが日本国内で入手可能である
    株式会社 一色(東京都新宿区) キュヴェ・ドゥ・プレジドン始め8種が格安(\1362-¥1578)
                          ファックス、代引きで購入できる 事前確認をされたい。



7/31
 他の先生はヨーロッパへ「買い出し旅行」に出かけ始める。私は4日間「日直」で留守番と電話番。海外子女教育財団から船便で教材・教具などが到着する。大きな荷物だ。ここで送ってもらえないと、来年まで教材・教具がないわけだ。いなくなった先生(帰国)が去年頼んだ物があった。これは使われないかも・・。
 
 
                       























「それなりのアルコール入手方法」とは?
 この話は「アルコール入手が公に不可能な国」在住経験者から聞いた話である。
そういう国は国境が砂漠に中にある。つまり、鉄条網も柵も塀も監視の兵士もいない場所である。こういう国では、「アルコール密売人」が存在する。彼らに頼むと、彼らは金を持って砂漠の国境に向かう。そして決まった地形の決まった場所に金を埋めておく。後で隣の国の「商人」が酒を持ってきて埋め、金を持って帰るのだそうだ。そうすると、また「密売人」がやってきて酒を持って帰るという。
 もう一つは「外交ルート」を通して入手することがあるという。これの詳細は不明である。

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