わたしたちのアルジェ日記(2) (1983年8月〜12月)

「自宅」のテラスから三年間見慣れた風景 中央がアルジェ港でその上が「カスバ」 右の海は地中海


モスクの内部(偶像崇拝禁止のため、像や絵画類は一切ない)
(絵はがきから転載)



アクシーシュ一族の「長老」と筆者

8/1
 妻腹痛のため、大使館のN医務官に診てもらう。たいしたことはないらしいが、アフリカのこの地では日本語が通じる日本人の医者はありがたい。こういうときには「大使館」の有り難さが分かる。病状を外国語で説明するのは、大変もどかしいものだ。だいたい専門用語が分からない。

8/3
 妻が本気でフランス語を始めるらしい。職場から「リンガフォン・フランス語」を借りてきた。私もドイツ語をやろうかしらん。

8/7
 夕方から叩きつけるような激しい雨と風と雷である。さすが「大陸」は、日本と違ってスケールがでかい。

8/10 アルジェ出発・・ヴァカンスと買い出しのためパリへ出る
 
ホテルに荷物をおいたあと、早速向かったのは、もちろんすし屋。アフリカの4ヶ月間で、いちばん食べたかったものだ。食べている間は、「日本人に生まれてよかった。」と思える。

8/11
 朝オペラ通りの「東京銀行」に入っている文部省からの私の生活費(在勤手当)を下ろしに行く。これでひと安心。金があると、心が落ち着く。外国で金がないと、日本以上につらいものがある。

 パリで合流したS先生と、車のディーラーの部品屋に行く。アルジェでは手に入りにくい交換、補修部品(Vベルト、オイルフィルター・・)をかなり買う。これで一年くらいはもつかな?それにしても、S先生は一年だけ先輩(先任)なのに、フランス語が結構通じている。個人教師についているらしいが、たいしたものだと感心する。







オーストリア・Tyrol/Imst駅で


8/12 
ウィーン行きの国際列車(アールベルク号)に乗る
 
パリ東駅からウィーン西駅行きのEX469 ARLBERG号に乗る。日本から送ってもらった「ユーレイルパス」の開始印を押してもらう。ヨーロッパでは、行き先で駅が違うのが、日本との最大の相違だ。駅を間違うと大変なことに・・。以下、ティロル−インスブルック−ウィーン−リンツ−ミュンヘンと移動・・・・。やはりヨーロッパの方がアフリカより感覚が日本に近く、落ち着く感じだ。

8/23 
 パリ帰着。アルジェ帰国まで市内のスーパー、デパート、日本食料品店などをまわり、4ヶ月分の日本食材料、生活用品、衣料などを買い回る。それを段ボール箱数箱に押し込む。この苦労は、「日本の人」には決して分からないだろう。












ヨーロッパへの買い出し旅行で手に入れた日本食
(4ヶ月分の買いだめ・左は段ボールケース・帰宅後広げたもの)
日本では得難い「経験」だ

8/26
 午前から昼過ぎまで、アイスボックス買い、氷を買って肉屋でハム、豚肉、ソーセージをどっさり買う。イスラム教国で生活する外国人は皆こうしているらしい。
現地の物だけで生活できる人がうらやましい。(日本人では余りいないだろうが・・)アルジェ帰着。空港の税関の役人は、ボックスを開けて「豚肉」と聞いただけで、すぐ検査を終わってくれた。モスレムには、「豚肉」が有効のようだ。

9/1 
 二学期始まる。子供たちはみんな元気で学校に「復帰」。日本に「帰国」した者やフランスの「子供キャンプ」に参加した者、家族でヨーロッパを回った者などいろいろらしい。日本人学校では、さすがに休み中の過ごし方も「国際的」である。いずれにしても、子供たちにはよい体験だ。語学学習の必要性も体感できる。

9/14
 バングラディッシュ大使館員ジャラル氏が来校し、笑顔も絶やさず日本語で「国際理解」の講話をする。さすがに日本に留学しただけ上手な日本語で、分かりやすく面白いいい話だった。










バングラディッシュ大使館員ジャラル氏
による国際理解の講話


9/16−17
 休みを利用して、教職員家族で小旅行。教員の車数台に分乗して長距離ドライヴ。ベジャイア郊外のホテルで一泊。







ジャミラ遺跡の凱旋門で

(学校教職員と家族))

9/17
 二日目、ジャミラというローマ遺跡を見学する。モザイクの床は、図柄が分かるほどきれいに残っている。人物の他、イルカや魚のモザイクもあり、クレタ島の海洋文明につながっている感じがする。いつの間にか子供がやってきて、明らかにイミテーションと分かるコインを、ここで掘ったというジェスチャーで売ろうとしつこい。さびた塗装までしてローマのコインに似せている。I 先生の車が故障(ルノー4)。警察まで呼んでガレージまで牽引する。
        
9/18 ムトン(羊)祭りのため休日
 
午前中に家の中庭で、羊を三頭大家さんが「処理」する。足を縛られた羊はのどを切られて、もがき暴れ回る。羊は一頭10万円くらいらしい。この肉をそれぞれ1/3ずつを、大家ファミリー、親戚、そして貧しい人に分けるという。なかなかこの宗教も良いところがある。今の日本では、「貧者」に物を分けることはない。「進歩」とは何かを考えさせられる。







ムトン祭りの生け贄の羊
(喉を切って血を抜く)


9/19 
ムトン(羊)祭り第二日
 
大家さんの家の食事に呼ばれる。上階のF社のS氏夫妻も呼ばれる。最初に羊の焼いた頭が出てくる。お客に出す最高の「料理」らしい。これを勧められるが、食事に「保守的」な私はパス。好奇心の強い妻は、積極的に食べている。「クスクス」という挽き割り麦の料理も出てくる。妻はうまそうに食するが、私はどうも・・・。







大家さん宅で食事(クスクス、ショルバ)
(右は長女、次女)

 
 大家さんファミリーはベルベル人だが、家族同士はベルベル語、テレヴィや新聞は正統アラビア語、他人とのふつうの会話は方言アラビア語、高等教育ではフランス語を使うという。さらに高校大学では英語を習う。だから子供たちはけっこう英語ができる。会話では、わたしたち夫婦が英語を話し、それを子供たちがフランス語やベルベル語に直す、大家さんや夫人がフランス語で話し、それをまた英語に直して、私たちが分かるという手順である。ただしS氏はT大でフランス語(専攻)をやっていたので、フランス語でやりとりをしている。うらやましい。S夫人はT女子大英語科卒なので、やはり英語オンリーである。

9/29,30 日本人学校の運動会予行と運動会
 
 学校には運動場がないため、現地の公団SNSの敷地を借りて実施。当日は日本国特命全権大使D氏、F領事などの大使館の方々も来訪。D大使は伊予国宇和島藩の第何代かの「お殿様」だという。仙台のD家の分家筋らしい。私たちはふつうは会えない人だ。それでも気さくな方で、偉そうな所はみじんもない。

 
アメリカンスクール校長
ソーヤー氏
 
ジャーマンスクール校長
ヤーニック氏
 
イタリアンスクール校長
レヴィゾーニ女史
 
 現地外国人学校校長(上記)も来賓で参加する。こういう体育的行事はお国にないようで(競技会はあるが・・)、興味深く見学。とくに私が担当実施した全校生徒(小一〜中三)による「組体操」には、さかんに感心していた。最後に全員が崩れるところもうまくゆき、一安心であった。妻は英語科担当として、開会式での外国人校長祝辞挨拶の通訳や来賓へのお相手でけっこう活躍した。(拍手)

10/7
 (M) 行商の少年が売っていた鰯をいっぱい買って、鹿児島出身のF夫人から習った「薩摩揚げ」を作る。美味しく、Kからも好評。日本にいたら、こんな面倒くさいことはしないと思う。いわし16DA.

10/8 禁煙開始
 今日よりタバコやめる。くるしーい!喉が渇く!

10/11
 
 ジャーマンスクール校長ヤーニック氏宅で「インターナショナル・スクール・ティーチャーズ・ミーティング」あり、独伊日米校長+日本人学校教員全員、計30名ほど。日本人教師は「ローレライ、リパブリック讃歌、サンタルチア、さくらを」歌う。それぞれ独、米、伊、日を代表する歌だ。これらは好評であった。立食パーティー形式。盛会。

10/13
 (M)木曜で休日。マルシェ(市場)で買い物。米があった。一袋8.40DA.。他にビーフ60DA、タコ25DA、鯖40DA、キャベツ大根オリーブなども買う。

10/16 「アシュラ」のため休日

10/18
 学校行事で、ババアリにあるSONICの紙工場見学。木もないこの国では、原料は「アルファ草」という乾燥地の草を使う。何となく「い草」に似ている。生徒は紙をもらって喜ぶ。驚いたことに、工場廃液をまったく処理せずに、青い地中海に垂れ流ししていた。日本の昔の姿を見るようで、将来が恐ろしい!!(いつか公害が問題になるぞ!)

10/19
  放課後、学校でやっている「日本語教室」で現地人4人に教える。それにしても日本語を習ってどうするのだろう?。フランス語と違って、「出稼ぎ」には使えず、日本は遠くメリットはないような気がするが・・。余所の国では、大使館内で(又は別の建物で)専門の語学教師が教えているが、なぜ日本だけ学校の教員が学校で放課後に教えるのだろうか?。日本の「対外的文化政策」がお粗末なのでは?。(何でも安易に学校の教員に押しつける所は、日本国内と共通だ)

(筆者注・筆者は「外国人」に日本語を教えることは好きである。実際に日本帰国後、外国人に教えたし、勤務終了後夜に「日本語教師養成講座」にも通った。)

10/20
 
アメリカンスクールで「インターナショナル・ピクニック」。日本人学校も中学部5人中4人参加する。良いことだ。何よりも「国際感覚」が身に付く。折角「外国」に住んでいるのだ。






アクシーシュ家の娘たち
(長女不在、
右から二人目がノラ)

  
10/21 大家三女ノラ、ガス中毒で倒れる。急いで病院に運ぶ。
 昼前、二階の大家宅から、女性のわめく叫ぶような大きな声が聞こえる。すごい声だ。三女ノラが風呂でガス中毒になり、倒れたらしい。大家と次女を乗せて、私の運転でムスターファ病院へ運ぶ。途中の私の車の中で嘔吐をし、シートが汚れニオイがひどい。ハンドルをもっていて、思わず吐きそうになる。病院で酸素吸入してもらい、何とか落ち着く。帰って車のシートを水洗いするが、ツーンとした臭いが取れない。

10/22
 Y先生、「松茸」が手に入ったとかで、松茸ご飯を持ってくる。んんまい!

10/29
 学校の英会話講師、イギリス人ステラさん帰国のため、この授業は休みに。彼女はアルジェリア人と結婚しているから、いわば「里帰り」である。キリスト教の彼女は、この国ではいろいろ大変だろう。

11/1 「革命記念日」のため祝日
 
朝から何組かの日本人とシュレア山へ「松茸狩り」ドライヴ。松茸見あたらず。地元の少年が500gくらいを100DAと高くいうので買わず。とんでもない値段だ!。こんなのを買うのは日本人だけだが、明らかに足元を見ている。相手にしなかった。

11/6
 
シロッコで朝から生暖かい。午後から雨だが、薄汚れ汚い雨だ。





日本人会バザーで
(左からS先生、筆者、F先生)


11/11 
年に一度の「アルジェ日本人会バザー」 (於:学校) 
  こんなにこの町に日本人がいたのか−と思うほどたくさんの日本人が来た。知らない人がいっぱいいる。沙漠の「プラント」の人もいるらしい。日本食品が豊富、みんな争うように買う。妻の作ったティッシュペーパーカヴァーが70DAで売れる。(驚)
 カラオケ大会・・日航の人が「昴」を歌って優勝。教員団は顔を真っ黒に塗って歌うが出来は良くなく、「お騒がせ賞」をもらう。まあ愛嬌だ(上写真)。

11/16
 (M)M商事のHさんとIさんを招待する。Hさんは当地で「
イスラム教に改宗した仏教の僧籍者」なので話が面白い。Mさんはイスラム教に改宗し、アルジェリア女性と結婚する予定。外国人でもイスラム教徒でないと、イスラムの女性とは結婚できないという。!(逆にイスラム男性は異教徒外国人女性と結婚できるのだ・・!呆)

11/17
 マルシェ(市場)でオレンジを4kg買った。当地のオレンジは小振りだが、味は濃くて美味しい。日本で売ってるアメリカのサンキスト・オレンジなぞ目じゃあない。まさに、「天然物」と「温室栽培」くらいの差である。日本人は現在、「食べ物の本来の味」を忘れてしまった。

11/18
 (M)遠足の下見で、「クレオパトラの墓」へ行く。

11/20 パスポートなど貴重品紛失?!→(当ホームページ「海外のちょっと怖い話」参照)
 
朝、大使館の人と税関へ行く。後でグラン・ポスト(中央郵便局)に行き、切手を買う。そのときショルダーバッグを置き忘れる。
(パスポート、身分証明書、国際免許証、車の書類、家の契約書のコピー、革のカバン)

11/21 
 大家の次男ムハメッドといっしょに郵便局へ行く。なかったので、警察に届け出。






日本人学校
カスバで社会見学
(国際理解)


11/23 初めてカスバを見学
 学校の社会見学で、中央モスケ、カスバを見学。迷路と階段ですごいところだ。

11/24
 またもムハメッドと警察をたらい回しにされ、やっと「紛失証明書」をくれる。何という警察の非能率さだ!!。

11/25
 (M)買い物/タコ50DA、イカ95DA.、パン、オレンジ。大家さんへ電気代94.79DA、ガス代88.66DA支払い。

11/26
 大使館へ行き、K領事より旅券再交付のための書類一式をもらう。














学校遠足

「クレオパトラの娘の墓」といわれる
モーリタニア王家の墓

11/30
 「クレオパトラの娘」の墓へ遠足(学校・全日)無事終了、生徒満足。
 
夕方、オーストリア大使館主催の弦楽四重奏を聴く(フランツ・シューベルトSQ:ハイドン、シューベルト、スメタナ)。生は久しぶりだ。こんな所で生のクラシックが聴けるとは・・!嬉しい。飢えていたから。

12/5 
外務省よりパスポート再発行許可下りる

12/7
 パスポートでてくる!
 
朝、アイン=ベニアンという漁港へ買い出しに。カジキマグロの輪切りを売っていた。日本人はこれを買って、外をそいで中を刺身で食べる。(肝炎が心配なため) 我が家はそれも怖いので、買わず。午後、警察が来校、パスポートだけもってくる(他はナシ!)

12/11 文部省役人視察来アルジェ
 文部省大臣官房と国立教育研修所の二人が視察。昼より授業見学。夜校長宅にて接待。管理職は大変だが、奥さんはもっと大変だ。ヒラで良かった。(民間会社でも事情は同じらしい)
 
12/15〜 三連休のためサハラ沙漠へドライヴ(二名除く教員家族)
 ガルダイア泊

12/17 モハメッド誕生日祝日
 夕6時アルジェ帰着
 (全行程1920km、ガソリン157l.=12.2km/l.、ホテル2泊150DA、食事375DA、計682DA)

12/21
 終業式。ここの生徒は、休みの間友人と会えないので寂しいらしい。

12/22 パリへ出国
 昨日パスポートの件(有効性)で大使館より連絡あり。一悶着ありしも、一応解決、出国できることに。アルジェ空港へ滑り込みセーフ。何とかパリへ出られる。悪いことに、AH(アルジェリア航空)オーヴァーブッキングで遅れる。

12/24 
 AF(エールフランス)にてパリ・オルリー空港よりマドリッド・バラハス空港へ。着陸寸前は激しい濃霧で視界悪く、数日前に起きたこの空港での南米機炎上のニュースを思い出す。機体は時間をかけて旋回し、ドカンと着陸する。他の乗客も同じ気持ちか、安堵のため息があちこちから聞こえると同時に、期せずして拍手がいっせいに起こる!不思議な体験だった。
 マドリッドは物価安く、二流の中華料理店ではビール飲んでたらふく食べて、二人で日本円1000円くらいだ!。いっぺんにこの町が好きになった。

12/25
 カヤオ広場で映画ブルック・シールズ主演の「サハラ」を見る。スペイン語吹き替えで何にも分からないが、この手の映画は何となくストーリーが分かる。愛あり戦闘あり自動車レースありで、とにかく面白かった。アルジェではこういうものが見られないから、いい息抜きになる。映画そのものは三流だが・・。