わたしたちのアルジェ日記(4)
(1984年4月〜84年7月)
<注・筆者の日記より抜粋、(M)とあるは妻の日記より、文中(K)は筆者のこと>



19cのカスバ(油絵)

1984/4/7 
日本人学校始業式 同10日 入学式 大使館から I 公使出席。現在、小中学部計41名在籍。

4/12 休日
自家用車手続き、車検場に持参。例によって待たされるが、最近なぜか気が長くなった。

4/14
新任教諭着任。空港出迎え、バッグ一個行方不明。もう一年経ったかという想いあり。まことに"Time flies."なり。それでも「住めば都」なり。

4/21 日本人開校記念日(創立8年目)
初代学校運営委員長を始め、当地「日本人会」の大変な尽力で創設したという。それにしても、「在アルジェリア日本国大使館付属日本人学校」のステイタスは有り難いものだ。

4/28
同期派遣のナイジェリア・ラゴス日本人学校のA教諭から年賀状が着く。3ヶ月以上かかって「年賀」とは!まことに「アフリカは広い!」 内容は「クーデターあり。政情不安続く」とのこと。 当地アルジェは、昨年末の大統領選にシャドリ氏(軍人)が大勝して、安定している。えらい違いだ。当地の「社会主義」は、イランみたく過激でないので、賢明だ。

4/29 天皇誕生日
校長、教頭が学校代表で大使館出席。教員全員には以前のような「お呼び」はない。

5/2
サハラよりの使者、月光仮面ならぬ「シロッコ」ひどし。庭が茶色になり、大家のマダムが大慌てで水洗い。家の中は締め切っていても、細かい砂で床も家具もザラザラ。

5/10
夜長い停電。ロウソク大いに役立つ。また来年人口が増えるか?(NYCで実証済み!)

5/12
学校遠足(シディ・フリューシュ、全日、5/9に一度雨で中止)

 カビリーのベルベル人の食料、サボテンの実(上の赤色)

5/16

 
非常事態発生!!「赤軍派」アルジェ潜入!!

パリで「ソニー爆破事件」の一味との情報も。一説には「日本人赤軍派3〜4人含む10人とも。「日本人学校の子どもを狙う」との電話が日本大使館にあり。緊急電話連絡網にて全員外出禁止。休日なるも、教員学校に緊急集合。会議を開き、対策を練る。
前夜は、大使館に各商社支店長クラス、および校長、大使館員集結し、対応について協議せり。


5/17 
 
教員・児童生徒 自宅待機

夕方電話にて、「解除」の報あり。ホッとする。
犯人はアルジェリア人一名のみ逮捕。「背後関係なし」という。新聞の切り抜きを多数持参とのこと。それにしても、この「警察国家」の威力まざまざ!。流石だ。


5/18
ドイツ人学校校長ヤーニック氏を自宅へ呼ぶ。巻きずし、キツネ寿司もたべてくれた。「キツネ」は甘いので、日本食が初めての外国人にも評判がいい。巻きずしは海苔が問題だ。妻も準備に頑張った。

5/23
西ドイツ大使館内のドイツ語学院「ゲーテ・インスティチュート」にて、アルジェただひとつのコーラスグループ「南の風」の発表会あり。仏、独、英語で歌う。毎日朝から晩まで、「コーランの詠唱」を聴かされている身としては、新鮮だ。

5/24
ドイツ人学校、フェスティヴァルにて参加。強風のため、昨年より規模縮小。当地の外国人学校はどこも体育館や集会所がとれず、悩んでいる。

5/25
我が大家の長女ウリダさんの「大学院博士論文終了」のパーティーが自宅庭にて。友人、親類縁者50名の盛会。当地の人間はよほどでないと、他人を家や敷地の中に入れない。いわば「血縁・地縁」社会であり、日本的表現で言うと、「浪花節社会」である。「縁故」がなければ、何事も運ばない。わたしの車のナンバーがやや早くとれたのは、大家さんが元「市長」だったこと、そして次男が友人が多く顔が広いこともあった。

5/27
夜、フランス文化センターにて在アルジェ・アーティスト総集コンサートあり。(バッハからジャズまで)巧拙はともかく、良い気分転換。

6/1 イスラム恒例、ラマダーン(イスラム暦第九月)入り
 本日より一ヶ月、モスリムは日の出から日没まで、水食料はもちろんタバコ、自分の唾も飲食してはいけない。それ以後は飲食はかまわないので、夜になったら明け方まで食べて騒ぐ。いわば「昼夜逆転」だ。イスラム歴は太陰暦なので、毎年10日位ずつ早まってくる。これが夏に来ると、最悪だ。学校の運転手も、寝不足とストレスでイライラが募っている。こちらもうるさくて寝不足気味。正直に外国人から言うと、「早く終われ!」という気持ちだ。

 学校の児童生徒にも、「学校の運転手、ガードマンの前で、水は飲まないこと。思いやりを持とう。」と指示が出る。私たちは、この国に住まわせてもらっている。風俗習慣は尊重せねば・・。

6/3
妻が自宅へ本校英会話教師を招待。Mrs.ステラはイギリス人、夫はアルジェリア人、娘は前夫の子で、今年フランスのマルセイユ大学に留学した。

6/6
アメリカン・スクールが近々「日本を舞台にした劇」を上演するので、妻が頼まれて指導に行った。聞くとどうやら「日中混同劇」らしい。これは国際理解でなく、「国際誤解」。

6/7
アメリカンスクール恒例バザー。この売上金は学校運営資金の一部となる。「アメスク」は純然たる「私学」であり、米政府より教員派遣といった「支援」もない。ここが日本人学校とは異なる。それでもなぜか、広大なアメリカ大使館の敷地の一部を使っている。然るに、教員は政府派遣(わたしは出国前に文部大臣から辞令をもらった)で、「在アルジェリア日本国大使館付属日本人学校」といいながら、ゴミ捨て場に隣接した民家を借り上げている本校−と違うのはなぜだろう?。

6/11
大家の次女シャプハさん(アルジェ大学文学部英語学科)、自宅にてわが妻を教師として日本語レッスン開始。妻はフランス語を習い、英語も直してあげている。

6/13
学校から「国際理解」として、市内のバルド美術館と古代美術館を見学。アウストラロピテクス、ネアンデルタール人、クロマニヨン人の頭骸骨の化石があり、詳しく説明すると中学生が喜んだ。

館内では、現地の子どもが寄ってきて、「追い払う」のに一苦労だった。彼らの学校は一日三部制らしく、暇でウロウロしている。先日の「写生大会」では、小二生がカバンを盗られた。

夜に校長宅で、「在アルジェリア外国人学校校長会」あり、アメリカ校長夫妻と、ドイツ校長(独身)、日本人教頭、日本人会会長夫妻、学校運営委員長夫妻、それに妻が通訳で参加した。商社の人は英仏独語などが堪能で、外国語が話せないのは学校教員だけだったという。イタリア校長所用で欠席。フランス人学校とは、全くつきあいがない。

6/16
日本人学校中学部生徒、アメスクの例の「劇」を見学。

6/19
本日「クーデター記念日」にて祝日。激しい「シロッコ」が来て、暑く空気はよどみ、息苦しい。

6/21
 
 ドイツ人学校ヤーニック氏、本国帰国のため、パーティー開く。彼の故郷ハンブルクでは、大学院へ行くかも-という話が出る。本来、「学者肌」の人だが、彼にはドイツ語をはじめいろいろなことを教えてもらった。後任はホンブルク氏。

 Danke sehr, Herr Janik. Aufwiedersehen ! Alles gute!

6/25
新任教諭の船荷がやっと着く。男性教員が手伝いに行くが、何と食料だけで「田舎の万屋」くらいもあった。日本食のない当地では、正直うらやましい。

6/30
ラマダーン明け休日。外国人には嬉しい日。やっと普通の生活の戻れるぞ!。

7/5

夜、ヤーニック氏の大家宅に招待される。主人はリタイアした歯科技工士。女性ばかりの女系家族だ。長女のハズはフランス人。次女(右から3番目)のハズはコーラス・リーダー、三女ジャミラさん(右から5番目)は歯学部をでて今インターン中。24歳でなかなかチャーミングな人だ。四女(右から4番目)は目の大きな高校生。借家をたくさん持っており、金持ちだ。アルジェリアは「社会主義」というけれど、貧富の差が日本以上に大きい。「本当に社会主義って何だろう?」


7/8
シロッコ!暑くて寝られない!昼の公式発表気温は、なんと43℃!

同日放課後、日本人学校にて「外国人のための日本語講座」(私らが外国人だよ!)わたしが担当した。こういうのもなかなか面白い。

7/18
日本人学校、終業式。この日で帰国する子、「アメスク」へ転校する子などあり。明日より夏休み、こどもたちは日本国内とは違ってヨーロッパを中心に多くの国に行くのだろうか。