わたしたちのアルジェ日記(5)

(1984年8月〜84年12月)



<アルジェ港が見えるレストランのパーティーで>

イスラム教が生活規範で、テレビもアラビア語、日本でいう「娯楽」もなく、友人宅を手作り料理、クッキーなどをもって訪問するとか、学校、職場単位のパーティーに参加するとか、知人と麻雀、カラオケするくらいしか娯楽のない当地であった だからタマの休みにヨーロッパに生活用品や食料を買い出しに出ることは、大げさな表現をすれば、「命の洗濯」ともいえることであった

注:筆者の衣装は民族衣装






8/15 
買い出しヴァカンス旅行(スイス、南ドイツ)より帰国 例によって、居間は食料品であふれる これでまた、しばらく(数ヶ月)は食いつなぐのだ

8/16 
我が大家アクシーシュ氏、メッカへ「巡礼の旅」出発 皆が総出で見送る


8/17 
学校へ出勤 たまった新聞を整理する 家へ20日分新聞持ち帰る オリンピックで日本はメダル順位7位とか 当地では、オリンピックの実感がまったくわかない

8/18−19 
学校日直当番

8/20 
サハラ砂漠からもってきた2匹のサソリの内一匹死亡 もって帰ってから半年、とうとう「手乗り」にならず

8/22 
妻、何を思ったか突然、シュークリームを作る 見事失敗!形も味も笑えた!夜、上階のS氏に夕食お呼ばれ 教員Y氏ファミリーも参加  鯛の刺身とお好み焼きの面白い組み合わせ 奥様の苦肉の策か? カラオケで盛り上がった

8/25−26 
学校日直当番

8/27 
アルジェ郊外のアインベニアン港に買いだし 小鯖1kgを買う 冷凍設備がない分、新鮮か?

8/28 
二学期開始目前にて 朝7時から自分で運転して 学校バスコースを下見点検する

8/29 
出校日 職員会議 9月行事の案を確認 昼より学校バスプログラム作成 日本人学校は生徒の出入り激しいので コース作りが大変だ

8/30 
妻が久しぶりに日本の義母に電話する(3分) 元気らしい 夜、日本の在籍校、市教委、教育センターに送る「サハラの砂とサハラのバラ」の荷造りをする

9/1 
始業式 二学期始まる 生徒の顔もやや黒めだ 元気そうで良かった 休み中の話も出る  外国旅行の話が出るのが日本と異なる

9/2 
授業初日 放課後「日本語講座」を担当 「生徒」は3名だけ 
    
9/3 
妻縄跳びのあと風邪引く 発熱 スイカを買ってくる

9/4 
恒例「羊祭り」のため、大家が羊を3頭買ってくる 糞もするし、ガレージが羊くさい!!

9/5 
学校水泳 地中海岸クラブデパンにて
全日 人出は少なし

9/6 「羊祭り」始まる<ライード・エル・アドハ>(以下その説明と手順)

 羊(ムトン)祭り
<ライード・エル・アドハ>







あっ!ここに変なアナが!・・・・・・・→










(筆者後日注)
日本人から見ると、この行事は一見大変「残酷」に見えるが、当地モスレムの宗教上の大事な儀式であり、生活習慣、宗教観の違いと言って良い。日本人の感覚で、この行事の善悪を判断するのはよくないと思われる。しかし在アルジェの日本人のなかには、この行事を「残酷」といって、見ようとしなかった人が多かったのも事実である。(一般的言い方では「自分の文化の価値尺度で、他文化を計れない」ということである。)


大家アクシーシュ家のファミリーのほか、大家の弟ファミリーほか一族集合。朝からあわただしい。日本でいうと、むかしの年末の「餅つき」の感じだ。学校のS先生夫妻、I商事のMファミリーも見学。

 羊の「処理法」は以下の通り(ご注意:以下の写真は2年分を合わせてあります。)
1 暴れる羊の手足を縛る
  (白服は大家の弟氏 
2 みんなで押さえて喉もとを切る
  (左から長男、大家、次男、三女)

 
3 血を出す(抜く)
4 羊は苦しいので暴れ出す

5 頭を中心にくるくる回り出す(一回転)

6 血が抜けてぐったりなる

7 手足の先(蹄)を切り落とす

8 皮と肉の間に太い針金を入れる

9 次にヴィニール・パイプをつっこむ

10 そこに空気を吹き込む

11 羊の体ががパンパンに膨れあがる

12 端から少しずつ皮を剥がす
  13 逆さ吊りにする

14 首を切り落とす



 

15 下足から首の方に皮を剥がす

16 腹を割く




(写真・一番下の部分が剥いだ毛皮の部分、白いのは脂肪)

(大家さんと三女ノラ、長男モハメッド)

17 水道水で洗い流しながら、内蔵を出してゆく
内蔵は金ダライに入れる 

18 すんだら最後は一日中ぶら下げておく

19 切り取った頭は、庭で焼く
   (頭は大変なご馳走!)
 こうして数時間かかって、羊は処理される。以下同様の手順で残り二頭も処理する。

 この日の夕方から夜にかけて、パーティーをし羊の頭(脳みそ=いちばんのご馳走)などが振る舞われた。私たちも参加した。


* なお、羊は食べたり利用して、捨てるところはない。生産性の低い乾燥地帯では、すべてを利用し無駄なことはしない。


*肉の配分は大家、親族、貧しい人々がそれぞれ1/3ずつとのこと。ここがこの宗教の良いところで、常に「貧しい人」のことを考えている。


                                             (ムトン祭りの項おわり)

(筆者注)イスラムでは行事はすべて陰暦(太陰暦)によるので、太陽暦の日本他と違って、「ラマダーン月の断食」を始めとして、毎年同じ月日ではない 毎年11日ずつ短くなる(早くなる) したがって、「断食月」が夏に来ると水も飲めないので、「悲惨」なことになる
            生徒用資料:日本でも明治までは陰暦を使っていた 月の動きなので今でも農業や漁業では使用する
            これはあくまで「非イスラム」から見た表現で、本来は大変「神聖な行事」である




9/7 
中学部S君がロンドンの日系私立R学院へ転校する。父はもちろん、妹も家族もアルジェに残る。海外では常に子供の教育が課題だ。生徒O君も同じく出発する。空港は教員、商社関係の見送り多数。日本人学校で入学し、そのまま卒業するものは皆無に近い。
     

9/10 
朝日新聞によれば、元警官のピストル殺人犯逮捕とのこと。八王子市は39.8℃を記録したらしい。
     

9/12 
シロッコ!
空気よどむ 学校から博物館へ

3,4校時 学校から「国際理解教育」の時間に、アルジェのシンボル「独立記念塔」と下にある博物館に行く。大人5DAこども2DA。兵士が銃をもって起立している。館内は美しく、ゴミ一つなし。アルジェでは珍しい方だ。小火器の展示や絵や写真が多数ある。あとホールで、通訳付きでM社勤務の戦争体験者の話を聞く。まさに映画「アルジェの戦い」そのままの話である。

夕方、西ドイツ大使館にあるドイツ語学院「ゲーテ・インスティチュート」の申し込みに行く。締め切り寸前で、滑り込みセーフ!(1/3半期授業料300DA、テキスト60DA)「フランス語圏でドイツ語なんて」と妻は笑う。自分は、フランス大使館直営の「フランス文化センター」に申し込んでいる。 

9/13
大家さん「メッカ巡礼」から帰国!

大家がメッカから帰ってくる。髭は伸び放題、頬はこけやせ細っている。しかし顔は満足そうだ。巡礼がいかにハードかが分かる。カセットラジオとテレヴィのアンテナが土産だ。何とメッカは200万人の人出だそうだ。今夜は家族だけで水入らずらしい
今日もシロッコ、空気が重い。息が苦しい。
          
本日は木曜日、定休日なので郊外のモノプリなど数軒に行くが、探している米は全くなし! 会社が世話をしてくれる所が羨ましい

夜久しぶりの雨!恵みの雨だ!アルジェリア人は本当に「いい雨ですね」と挨拶する。しかし実際は泥の雨がザアザア降った。庭のテラスも泥色になった。大気中の砂が全部落ちてくる感じだ。本当は今日は私たちの結婚記念日として、レストランに行く予定だったが、妻が電話を忘れてアウト。夫婦ゲンカになる。

9/14 
大家家族、泥の庭を水洗する、妻が手伝う。わたしは酒の買いだし、あとでこの国では珍しい車の「ワックスがけ」 ここの人がワックスがけしているのを見たことがない。フランス人も同様らしい。

9/15 
結婚記念日、6年目突入!よくもっている。
学校バスの視察のため、6時50分出。妻は次女シャプハさんと一緒に、フランス文化センターにフランス語講座受講を正式申し込みに行く。(800DA) 夜はレストラン「ダルディアフ」で食事 (315DA)私たちとしては、ちょっと張り込んだ。



9/18 
夜雷と大雨

9/20 
大家のメッカ帰りの祝いのパーティー

夕刻7〜9 大きいスイカを差し入れする。大家の「正装」写真を撮ってあげる。郵便局、電話代280DA
    
(本日のレート;米ドル=245.6円、英ポンド=308.26円、ドイツマルク=80.05円、仏フラン=26.28円)
    
9/21 
ベイルート・米大使館へ爆弾車突入、33人死亡

妻とシェルシェルまでドライヴ。博物館見学。クレオパトラ7世の胸像あり。モーリタニア王国の特別展あり。

9/23 
昼、妻がアイン・ベニアンのステラさん(学校英会話教師)宅訪問。夕刻迎えに。

9/26 
「アシュラ」 イスラム暦の1月10日 祝日

中英、香港返還に仮調印 I社M氏ファミリーとブイラ経由でティジ・ウズへドライヴ。ホテル190DA。

9/27 
アイン・エル・アマン〜コルド・ティルルダ峠〜アイン・タヤ。 5時過ぎアルジェ帰着。

9/29 
夜、ドイツ語初レッスン、於西独大使館、先生はドイツ人女性、説明がフランス語で十分分からず。
     
9/30 
8月6日発のリヒテンシュタインからの船便到着。1ヶ月23日かかる。!地中海一つでもヨーロッパは遠い!

10/2 
ドイツ語の授業のクラス替わる。英語を喋る先生で美人だ。これでいける!。

10/3 
上階のS氏夫妻とY君を夕食に招く。妻としては、乏しい材料で頑張った。
(豚と野菜の中華炒め、コロッケ、揚げ出し豆腐、五目きんぴら、キュウリと穴子の酢物、煮豆、焼き豚)

10/4 
丸粒イタリア米、発見!

S氏よりランクル60借りる。アフリカで初めて4WDを運転する。アイン・ベニアンまで行き、丸粒イタリア米を発見!!!!!やった!!!! 次はいつのことか分からないので80kgも買ってしまう。日本だったら決してしないことだ。

10/5 
昨日のせいではないだろうが、風邪を引き一日寝る。長女ウリダさんの結婚式の写真撮影を頼まれる。結婚式も初めてそばで見られる。

10/6〜9 
雨、夕立、雷雨などここ数日こんな感じだ。雨量も多い。地中海気候でもけっこう降るものだ。

10/10 
午前中、停電 全日土砂降り。妻は大家家で結婚式準備手伝い。

10/11 

<アルジェリアの結婚式>

大家長女・ウリダさんの婚前パーティー


・午後3時より〜 またも雨 
女性は左隣の家のホールで、参加者の踊りと花嫁ウリダさんの「色直し」6回、
男性は近くのアパートの集会場で食事会
      
 
       
・夜の部 8時より〜
同じ場所にて花婿の親族も来て、「ヘンナ」の儀式をする 
ヘンナは顔料で、西アジアでは一般的に使われる。
<このあと花婿の家でも同じことをするという>
花婿へのプレゼントをみんなの前で披露する  みんな一緒に踊り回る 
    
     (下の美人女性のがベルベルの民俗衣装)
    

 筆者は写真撮影担当にて、「女性だけの部屋」も入室可!!死ぬまでに二度とないチャンスだ!
男は筆者だけ! 〜夜中の1時半まで賑やかだった。

     
             女性だけの部屋!中央が花嫁 妻の衣装は借り物

10/12 
ウリダさんの結婚式当日

午後3時より〜 金曜日 久しぶりの晴れ

ここでは新郎新婦の車を先頭に、十何台で町中をクラクションを鳴らしながら、パレードをする。筆者も車を出して列に入る。プープーブーブー鳴らしながら走るのでうるさい。こうしてエル・ハラッシュの新郎の家まで一時間くらいかけた。家の庭はテントを張り、アマチュアバンドを呼んで、ダンス・パーティーが続く。喧噪と熱気。
 

     
                                   新郎新婦も乗ってダンスに参加

     
→結婚式の詳しい写真はココ


10/13 
Y先生より松茸をもらう 今年は雨多くアトラスでは豊作とか 
     

10/18 
運動会準備 EMSグラウンド
      
10/19 
学校運動会
 放送担当 EMSグラウンド
前日、本日とも休日 企業に勤めるお父さんのために休日に実施 親子参加プログラムもあり 当地の皆さんも楽しみにしている
 

       放送係の筆者 EMSグラウンドで

10/20 
代休 アルジェ郊外 ブラン岬(カップ・ブラン)にドライヴ

10/21 
代休 グラン・マルシェでは栗が登場 妻フランス語、文化センターへ送る
       
10/22 
同じアフリカからのエアーメイルが半年かかって到着
  タンザニア・ダルエスサラーム補習校のA先生(同期)から「ダルエスサラーム便り」来る 何と4月15日発のエアーメイル!!!!(ちょうど半年、ワウ!アフリカは広い!)

10/24 
スクールバスが税金他の問題で、いちどマルセイユに出ることに。運転手マムード出発。一週間留守でおかげで特別プログラム作成 ブツブツ

10/25 
休日。グラン・マルシェ(大市場)で松茸が2.3kg=125DA安い!!なんと缶詰に価格ラヴェルが貼ってあった。初めてだ。さらに包装の袋に入れてくれた。またシュラガのOFLAで当地製のバターが綺麗な箱入りで売られたり、ビックリすることだらけだ。この国も少しずつ・・・
      
*海岸の「国民解放軍通り」では、11月1日に向けて、観覧席作り、銃をもった兵士も立っている。前の道路は、舗装に大童。夜中の1時、2時もゴォーと音がしている。突貫工事だ。

10/30 
日本大使館でレセプション。校長出席。日本より「革命記念日」のための代表団来ア。自民党岡崎氏。

10/31 
夕方から停電、ロウソクで夕食。夜8時よりメイン道路通行止め。夜中12時にキャノン砲30発の礼砲と花火打ち上げあり。

11/1 


独立記念日 (祝日) 大パレード (アルジェリア独立22周年)

左・シャドリ・アルジェリア大統領/右・ブルギバ・チュニジア大統領
(共に当時/アルジェリア国営放送中継画面)


夜10時から15分、独立記念塔で花火打ち上げ。綺麗だ。
TVでは特別番組流す 大家宅にて見学(上写真)
特別フィルム・「アルジェリアの起こりから現代まで」
      <軍事パレード>
       列席者・シャドリ大統領夫妻、ブルギバ・チュニジア大統領夫妻、
       
アラファトPLO議長、ベッタート国民議会議長 他全閣僚
       
      9時30分 シャドリがジープにて登場(周りは騎馬兵の護衛)ー国家斉奏
            ムジャヒディンが独立戦争の英雄の顔写真もって行進  
            アルジェの歴史あらわすトラックの行進
            軍隊コマンド駆け足で
            ミグ戦闘機
            警察、ジャンダルメ
            T54タンク、T64タンク、T71タンク
            ミサイル自走砲、対空レーダートラック
            装甲車
            空・9機の戦闘機による煙幕貼ったデモ飛行
            士官学校生・・・・・民間まで延々と続く
      夜中12時11分まで    


11/2 
校長、「アフリカ日本人学校校長会」でエジプト・カイロ出張


11/8 
木・休日 ウィラヤ(役所)に行く。車のナンバーが分かる。
フッセンデイの警察に行く 書類が来ていない! またウィラヤに 担当者不在! 15日延長の証明書もらう
何という非能率!
          
ジルベール=ベコーのコンサート(salle omnisport)

夕方 フランス人シャンソニエ、ジルベール=ベコーのコンサートに行く(100DA) しゃがれ声だが、流石エンターティナーだ。最後の「詩人が死ぬとき」は会場全体が大合唱になる。ここの人もよく知っているらしい。
            
11/10 
バス新プログラム 朝6:30からバスに乗る。大家の新車ルノー4が来る。
      
11/11 
校長エジプトより帰国
 S先生出迎え 車書類 「カルト・グリース」入手(10ヶ月目!)、妻と次男でウィラヤへ行く。彼の友人がいてすぐに作成してくれる。これで車のアルジェのナンバープレートが手に入る。

11/13 
夕方 アメスクのソーヤー氏宅でパーティー、国務省役人が視察で来ア。誰が来てもパーティーだ。

11/15 
マイカーのナンバーやっともらえる 車の緑色プレートを注文(3枚で225DA) 日本のように役所がくれるのではなく、業者に自分で注文してつける仕組みだ。

11/22
朝、日本の義姉より電話 在籍校より健康保険証送れとのこと(更新時期)
車のナンバー・プレ−トをつける 汚い出来だ 日本なら「不良品」だ
4919-66-16
(大使館職員用ナンバー:16はアルジェの番号、66は大使館関係の番号、大使等車は別型式、地色の緑は反射式)

11/23 
父母参観日 あとクラス懇談 父母バレー大会

11/25 
学校、修学旅行出発
 アルジェ空港よりガルダイアへ(小5,6年、中学部)バス特別プロ  
日本人会バザー用バナナの傷みが早く、学校の児童へ一人5本ずつ配給、予期せぬことにみんな大いに喜ぶ。

11/27 
小学校4年以下は動物園に遠足 サハラ砂漠に行った修学旅行団帰校(パンク2回、マフラー脱落とか)

11/29 
3:30pm ゲーテ・インスティチュートへ ドイツ人学校クリスマス会 新校長Herr Homburg、伊校長レヴィゾーニ女史も参加 あとでレヴィゾーニさんの新宅へ 姪のサブリナさん(ラテン語教師)がいる レヴィゾーニさんは伊、仏、英、独、西、羅各語堪能とか!うらやましい!

11/30 
日本人会バザー
 於学校 11am〜 在アルジェの日本人はみんな待っていた。何とたくさんの日本食品があった。日本人学校関係者は商社、会社関係とは違い、日頃これが手に入らないので、日本食品は「高級品」。お呼ばれの時も、みやげはこれだ。思わず買いまくって、1000DAも使ってしまう。
       
カラオケ大会・・14人参加 優勝はH組の I さん(与作)・・商品の航空券はアルジェー東京間1名、アルジェーパリ間2名

12/1  
夕方ドイツ語 先生が休み もっと美人の先生が代理で来る ワオ!

12/2  
東京学芸大、野田先生の「海外日本人学校社会科アンケート」(9月)に 世界の日本人学校、日本語補習校で3人だけ誠実に答えたとして採用される。清書を求められる。

12/4  
夜中中雨よく降る モハメッドの誕生日イヴ ローソクを家屋敷中灯す 最後は爆竹でシメ


12/5  
ガルダイアにドライヴ
  アルジェ朝7:30発 600km離れたガルダイア・オアシスに15:30着 休憩入れて8時間で600km走る よく飛ばしたもんだ  ホテルがすごい!トゥインで60DA きたないベッドにノミ、風呂なし、便所はアラビック式  1000DA相当の大きな絨毯とアルジェからもってきた靴たくさんと物々交換
      
12/6  
ガルダイアで小タピ520DA、中タピ700DAを550DAとソーラー計算機で交渉成立  260km離れたエル・ゴレアにゆく  サソリとアンモナイト化石破片を妻のチョッキ+9DAで子供と交換

        エル・ゴレアの住宅地区で子どもたちと

12/7  
途中砂漠の雨に会う ガルダイアからアルジェまでぶっ飛ばす 夜アルジェ帰着  往復約1400km。

12/10 
ある先生宅に泥棒!
 睡眠中に多額の現金とカセットデッキ、服を盗む。複数のプロのしわざ。心配になり、大家に外の鍵は夜10時にかけてもらうようにする。

12/11 
妻はフランス語テスト満点、クラス一番になり家で大はしゃぎ。わたしドイツ語22回目。

12/13 
イタリアンスクール クリスマス会 午前中

12/15 
アメリカンスクール生徒来校
 5校時各クラスにて交流 6校時歌と日本語教室 挨拶  妻の通訳はまずまず
ドイツ語教師Mrs. Djebouaが12月から昼に替わる 1月より新先生とか  彼女の夫がアルジェでも有名なタイル師とかで見学申し込む
      
12/16 
英会話最終日  来春帰国の3人の教師に手続きの書類が文部省から配られる(1/9提出)  F先生、やっとナンバープレートもらう ウチとはコネの違い すみませんね

12/24 
やっと二学期終業式 長かった。いろいろあった。
 この間に、アルジェの町は少しずつきれいになり、物も種類が多く豊富になっている。私たちもずいぶんここの生活に慣れ、楽しめるようになった。ここの人たちとも人間関係ができてきた。毎日5回、モスクから流れるコーランのお祈りの「放送」も気にならなくなってきた。まことに「住めば都」とはよく言ったものだ。人間は環境に適応できる能力があるようだ。その早道は、「その国が好きになること」、つまり「人間を好きになること」である。
ここまで拙文をを根気強くお読みいただき、誠にありがとうございます。以上は1983〜86年頃のわたしたち夫婦の生活や見方です。本当は続きがあるのですがこの辺りで。しかし他の日本人ではまた生活形態もおつき合いの仕方も考え方も全然違うと思います。あくまで「一個人が見たアルジェリア(参考資料)」です。以上、「サハラ砂漠・イスラム教・北アフリカ・石油/天然ガス産出・元植民地・・・国」の「異文化理解」に少しはお役に立てましたか?

                                
< 終了>