私たちの日常のアルジェ生活(1983−1986)
アルジェリア・アルジェ市 今から二十年以上前のある日本人の生活 Our life in Alger in 1980's (Revised Edition)
 アルジェでも目抜きのモハメッドサンク通り(Bd.MohamedV)からの眺め フランス植民地時代に作られた町並みはまさにフランスそのもの 「フランス人は都市作りの天才」とはどこかで読んだ言葉 当時のアルジェリア人はフランス支配が大迷惑だったが、きれいな町並みだけは「フランスの置き土産」だ 写真中たった一つの「アラブ」は奥にあるアルジェ中央郵便局(グランポスト) このすてきな新マウル様式の建物は夜間照明されて白い壁が輝く アルジェ市の美的建物の三本指に入るだろう わたしたちは新しい切手がでるたびにここまで買いに来ていた 当時発行された美しい切手は全てスイス製であった



アルジェ中央郵便局(グランポスト)

モハメッドサンク通りにつながるディドゥーシュ・ムーラッド通り(Rue Didouche Mourad) この道路沿いにはスイス航空など外国系航空会社のオフィスも多い 私たちもヨーロッパに食料品の買い出しやヴァカンスにでるときには毎回ここにやってきた ヴェニス国際映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞(イタリア・アルジェリア合作)の往年の名画「アルジェの戦い(La Bataille d'Alger)」の実際もロケもここで行われた 近くに名門アルジェ大学があるため学生の姿も多い

町中にあるスーク<通称グラン・マルシェ(大市場)>(El Souk/Grand Marche) 固定はしてあるが、輪島や高知の朝市のような仮設風の屋根と台がずらっと並ぶ 当時、野菜・果物の種類は多くなく、泥がついたままで売られ店主の愛想も良くなかった 買い物をしているのはイスラム教国らしくほとんどが男性! 既婚女性は「ハイク」を被って頭や顔を隠している 顔を出すのは未婚女性の印である このスークでも次第に松茸が潤沢に出まわるようになったが、日本人しか食べないので日本人と分かると値段をふっかけてきた 卵も輸入品に頼っていたので、半月くらい姿を消して探し回ったたことがあった

アルジェから東西南北に広がる国道の農園脇には「生産者直売の露店」がでている 農民から言うと現金が手に入るメリットがある 在アルジェの日本人は休日の郊外ドライヴの帰りに車を止めて値切る 写真は妻が習い立てのフランス語で交渉している様子 アルジェリアは南にサハラ砂漠があり、その北に大アトラス山脈、国の北端は地中海沿岸でいわゆる「地中海性気候」、油を絞るためのオリーヴ、ワイン製造のためのブドウも多く見かけるが、とりわけ大きな木にスズナリのオレンジは大きく甘く美味しい それは流通手段と保存・冷蔵設備が十分でないので、遠くまで運ばずに木で最後まで熟させてそのまま売るからである このオレンジは世界でも少ない濃い味である 例えれば、「100%濃縮還元ジュースに強い香り」をつけた感じで、これは先進国の果物がすでに失った味である

アルジェリアには両隣のモロッコ、チュニジアの計三国(マグレブ三国)にまたがる大山脈アトラスがある その傍系のカビリー山地(La Grand Kabylie)などには松茸が多く採れた ところが、元フランス植民地だったこの国では、トリュフ以外のキノコ類は食べないらしい 現地在住の日本人は後任者を連れて延々とドライヴ、穴場まで「キノコ狩り」に出かけた 私たちも先任に連れられて数時間で写真のような成果を上げた ところがいつしか外国にも知られるようになり、パリの日本レストランが買い付けにきてからは、現地人も採取するようになった スークにも出まわる代わり、価格はうなぎ登りになった 採取した松茸は帰宅後、松茸ご飯・松茸お吸い物・松茸のバター炒め・松茸の佃煮・・などになって一週間ほどは飽食した しかし香りそのものは、韓国の輸入松茸のようで国産よりははるかに落ちた

魚市場での妻の値切る姿である 写真の頃はまだ赴任したてで、ただたどしいフランス語で通じたり通じなかったり・・・ だから笑い話も多い 店主がある魚を指して「サバ、サバ」と言うので、見るとそれは全く別の魚だった 先任者に訊くと「フランス語で良いという意味ですよ」 もっと初歩的なミスは、三匹買うつもりで「三」と言ってしまったら、五匹入っていた フランス語で「サンク」は5の意味で、当初そういう失敗談が絶えなかった この国は輸送や冷蔵・冷凍設備が未熟だったので、比較的「今朝上がった新鮮な魚」が多かったが、夕方近くの売れ残った魚には消毒用の塩酸を掛けていた これを見たときはさすがに恐ろしかった 本当に良い魚を買いたい日本人は郊外まで車を飛ばして、地中海岸の漁港アイン・ベニアン(Ain Benian)まで買いに行っていた そこではマグロをブツ切り(漫画ギャートルズのマンモスの足の輪切り風)にして売っていたが、神経質な人は帰宅後、外を削いで刺身にして食べていた(肝炎対策) また住宅地にはリヤカー様の車に「今朝上がったイワシ」を行商にきていた 新鮮であったので、それを擂り身にして「さつま揚げ」を作っていた 鳥も羽をむしっただけの丸裸の物が店頭にぶら下がっていて、日本のようにサランラップのパック入りはなかった  従って「鳥・魚を解体・捌(さば)く」ことは、アルジェ在住の外国人奥様方には「当たり前の仕事」であった

やはりアルジェのスークの精肉店頭の様子 これはほとんど夏の時期なので、普通の日本人なら「うわー!」と驚くだろう しかもハエがたかりまくっている 衛生的に疑問が生ずる やはり冷蔵設備の問題かもしれない 「これでは腐敗しないか?」と思ってしまう また日本のようにガラス製ショーケースがないので、客はいちいち注文する 日本でいう「すき焼き用薄切りスライス」がないので、「特に薄く切る」のは特注となる この店は比較的外国人が多かった評判の店であった

これは市場ではなく目抜き通りの精肉店の店頭で、さすがにショーケースがある しかし子牛や羊の頭が並んでいるのは、日本では見られない光景である これを丸々焼いて中の脳みそを食べるが、高級料理である イスラム教国は「豚は食べない」ので、陳列のソーセージ類もすべて牛や羊肉である ポークや普通のソーセージが食べたい場合は、ヨーロッパまで出たときに買って帰るので、アルジェでは「貴重品・高級食材」である 空港検査でバッグの「豚肉類」を見たアルジェリア人検査官があわててジッパーを閉めて、他の中身の検査を全くしなかった(ラッキー!)・・という話が当時在住日本人内でまことしやかに広まったことがあった いずれにしても「豚(肉・ポーク)はイスラムではタブー*」なのである

*注:イスラム教でブタがタブーの理由
イスラム教が起こった地域は乾燥地域で食料の生産性は非常に低い 豚は雑食性で人間の食料と同じである また蚊による伝染病はふつう豚が媒介すると言われる その理由で豚をタブーにしたと解釈されている

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旅のイマージュ
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(スイスで印刷されていた当時のアルジェリア切手)





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