私たちのアルジェ生活
(ひとびとと生活環境)



「クーバKoubaの我が家」

 丘陵地の地中海面の斜面にあるため、まず地上階(シャッターのあるガレージ階)があり、 中央の階段を上がると写真の下部分に出てくる その上に煉瓦造の四階建がある まず倉庫にしている一階部分があり、その上の二階部分(右写真では一番下)が「マイホーム」で、上の三階が大家のフラット、四階が他の日本人家族の居住部分であった 当然町並みや港や地中海の見晴らしは抜群であった


写真中の人物は大家の四女マリカ(左)と妻


アルジェリア国・アルジェ市
Alger, Algerie








「クーバの我が家」のテラスから見た昼と夜の景色(アルジェ市と地中海)



にあった  (昼)窓を開けると紺碧の地中海が広がる 中央向こうがアルジェ港で、港内の大きい船の左上が
有名なカスバ(Casbah)である 世界のいずこも「良港」はすべて坂道の広がる「丘の町」である



(夜)アルジェ港とその上のカスバ地区(中央右) 夜のアルジェはアメリカ、日本のようなネオンサインの
派手さはないがシンプルに美しい夜景である 写真左丘上は当時の最高級ホテルであったオラッシー



大家さんの家族 Landlord's Family

 
 大家一家は先住民族ベルベル人の家族だが、彼らはインテリが多くプライドも高い この大家さんも元学校長でフセインデイ区の元区長、穏やかな人格者で一度も声を荒げたことがない 長女は大学教師で博士、夫は公団高級幹部、次女はアルジェ大学英文学科で通訳志望、三女は専門学校生、長男はリセ(高校)教師・・・・母親は「キリスト教のマリア」のような慈母である(男性社会イスラムにおける「理想の女性像」が外国人には不明) 日本にもむかしこういうタイプの女性が多くいた


民族衣装の私たち 大家さんの家族と

 (上左)イスラム教徒の服装の筆者とベルベル人女性の生活服を着た妻 時々他家訪問などはこの格好をした



(上右)大家家の食事会に呼ばれた我々夫婦 お礼に妻は日本食を作って浴衣などを着て持参した 甘いきつね寿司はとくに人気があった 写真中央の三女はこの家一番の美人で、右の次女は妻とお互いに「日本語・フランス語」を教えあった 妻はさらに「フランス文化センター」に通ったので、帰国前にはまったくフランス語は困らないくらいまで上達した 当家の女性はモスレム*らしく皆働き者であった
*注:モスレム・・・イスラム教徒をモスレム、モスリムという



(上)別の日、大家家の食事会に呼ばれた我々夫婦 「クスクス」などアラブ独特の料理が毎回提供された




料理する大家夫人と美人の三女ノラ 男性と比べて当地の女性たちはおしなべて働き者である




大家アクシーシュ一族の長老と筆者 髭は「男の象徴」であった 筆者も当時は口ひげを伸ばしていた




大家夫人に借りたベルベル人の正装 やや大きいのがなんともご愛敬




大家長女、Dr.ウリダさん(中央左)の結婚式 筆者は公式記録員(写真)を担当した 女性だけしか入れない部屋で撮影


イスラムの日々の戒律と行事・「ライード・エル・アドハ」
Islamic Religious and general customs



左・大家(現在死去)が屋内でメッカに向かって祈っている姿 帰国前特に頼んで撮らせてもらった 祈りは一日5回が必須である

上・大きな行事の一つ:
「ライード・エル・アドハ」(羊祭り)
ゆとりある者は家に生きた羊を買って屠殺・解体してから、「我が家用・親戚用・貧者用」の3つに分ける
貧者にも分け与える」のがこの宗教のすごい(すばらしい)ところである
一夫多妻制」も「貧者への施し」ももとは初期の多くの戦争で未亡人や主人を失った家族救済に由来するという そこのところを他の宗教のものは誤解している 実際にはアルジェではほとんど見られない

参考:もっともきな行事は
ラマダーン月に行う「断食」である 「日の出から日没」までは水分を絶つ 厳密には、自分の唾さえ飲み込んではいけない こうして「貧者の気持ちになる」のだという この起源もやはり初期の対外戦争で多くの犠牲者が出たためだという イスラムは基本的には「貧者の立場に立った宗教」ともいえる

注:イスラムは太陰暦なので、全ての行事は毎年すこしづつ(11日)早くなってくる だから真夏時の水も飲めない時期の断食は過酷である


                                  <お断り>
1 このぺージの写真はすでにこのサイト内の他のページに掲載して重複しているいる物も多くあります
  また二十数年前のアナログ写真をスキャナーで読み込んでいますので、画面の色むら・退色・傷などがあります
2 このページの記述は1980年代のものなので、すでに古い情報です またイスラムの風習等について
  これの内容などから日本人の価値観だけで偏見等をお持ちにならないように願います この宗教の教えは人々の生活規範となっています

休日・休暇の過ごし方



お世話になった商社マンファミリーとカビリー地方にドライヴ 山中の道に大きな落石が!




地中海岸のアルジェからサハラ砂漠最大のオアシス・ガルダイアにドライヴ(往復約1300km)




砂漠ドライヴ中に会ったサハラ砂漠の遊牧民 彼らは全財産をラクダに載せて移動中であった
左の族長からタバコをねだられたが、筆者は吸わないのでオレンジを渡したらさっと行ってしまった
イスラムでは「持てる者」が「持たない者」に施すのは一種の義務である





民族の装飾品(ビジュー)見たさに海岸アトラス山脈のベルベル人の家を飛び込みで訪れる
見知らぬ外国人でも家中に入れて暖かく接してくれた




年に一度の結婚記念日(9/15敬老の日)などにはそこそこのレストラン「オーベルジュ・ムーラン」などで食事をした


「日本食品」はすべて国外で購入し飛行機で持ち帰る(休暇時) これが大変!!



 北アフリカのアルジェリアには「日本食品店」はまったく存在していなかった 年数回の休暇にはヨーロッパの国まで「買い出し」をした 写真は一回分の買い物で、日本の新婚さんの家よりも品数・量は多い 料理用日本酒、かつお節、スシ酢の元からインスタントみそ汁、ザーサイ、煎茶パックなどなど多種多様に渡った またイスラム国なので「豚はタブー」で食べない このため外国人はヨーロッパからハム・ソーセージなどをクーラー・ボックスに入れて持ち帰った

 これらの物は自家用というより日本人、外国人、大家用のもてなしに使うことが多かった 日本食品店はパリ、ローマ、マドリッド、ジュネーヴ、ロンドンなど日本人が多い都市にあったので、飛行機に段ボール箱数箱を載せ持ち帰った これらは日本から来た品物なので、買う時も国内の約2〜3倍の値段がしたうえ、一度にまとめて購入したので結構な金額になった 「休暇中の海外旅行」といってもほとんどの時間は生活物資購入に当てられた


Inner Link: Diary in Alger
私たちのアルジェ日記

Alger, Algerie, (C)1983-1986 Kenji Kakehi

ウチのカミさんの
アルジェリアの伝統工芸体験記

(C)1983-1986 Masuko Kakehi

             
          「写真集で見るアルジェリア」内部リンク集

(1)首都アルジェ/ElDzezair,Alger,Algiers,Algier1983-86
(2)アルジェ郊外/SuburbsOutskirts1983-86
(3)サハラ西砂漠とその周辺/WesternSahara1983-85
(4)「フツーの日本人」があまり知らないアルジェリア/UnknownAlgeria1983-1986
(5)ローマ・ティムガド遺跡/RomanRuinsTimgad1983
(6)結婚式とパーティー/AlgerianWedding1985
(7)カビリー山地の宝飾村/Bijoux1985
(8)サハラ東砂漠とエル・ウェド/EasternSahara&ElOued1985
(9)地中海・遺跡と田園風景の旅/AlongtheMediterraneanSea1983-84
カスバ、サハラ、古版画1983-86Kasbah,Sahara&etc.
アルジェリア写真・資料1983-86AlgerianTypicalScenes,etc.


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旅のイマージュ
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(スイスで印刷されていた当時のアルジェリア切手)





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