リビア砂漠(西砂漠)とオアシス  



写真は西砂漠・白砂漠

 
            <首都カイロから砂漠へ>

                                
                 実をつけたナツメヤシ

 アフリカ一の人口680万人の大都市カイロから、車で30分も走ると、まわりは畑に変わってゆきます。雨がほとんど降らないこの一帯も、ナイル川の水のおかげで、豊かな農業ができています。なつめやし、オレンジ、トウモロコシ、さとうきび、果物、野菜や綿花が栽培されています。上流にダムができたため今でこそ洪水はありませんが、昔はそのために土地が肥えたと言われます。

   

 1時間も走ると、写真のような荒れ地(土、砂)がつづきます。写真のような道路がえんえんと続きます。途中で物を積んだトラックを追い越します。向こうからやってくる車が、ヘッドライトを点滅させて通り過ぎます。道路のわきには、焼けたバスやタイアの破片などが散乱しています。

 

 一部分道路に並んで走る鉄道は、貨物列車が多く、鉱石やセメントなどを運んでいます。列車の長さは1km以上もありそうです。

 

 砂漠には多くの油田があります。タンク・ローリーが何十台もつながって、とれた石油を町や港に運んでいます。まだパイプラインが十分ではないのでしょうか。

 
   

 砂漠の真ん中に、掘り出した原油を精製する工場がありました。燃えているのは、天然ガスです。この煙は遠くからでもよく見えます。

   

 途中に「ドライブ・イン」がありました。まさに砂漠の中の一軒家(いっけんや)で、決してきれいではありませんが、バスの客やトラックの運転手にとっては、オアシスのようなものです。中ではターバンを巻いた男たちや布で顔をおおった女性たちが、砂糖がたくさん入ったお茶を飲んでいました。

 
   

 上の店の中のようすです。ビスケット、チョコレートから飲み物まで砂漠の旅に必要なものはそろえてありました。ここの人たちは甘いものが大好きです。

    

 砂漠の一本道を走るトラックの長さは30mはありそうです。砂漠地帯の建設材料を積んでいるのでしょう。追い越すには時間がかかります。

    

 途中では、このような並木の道になることがあります。左側は実がたわわになったオレンジの木です。オアシスの村の入り口です。このような場所ではたいてい検問所(けんもんしょ)があり、警察官が通行車を調べています。この国では最近テロが多くなったので、こうして観光客の安全を図っています。
     
      *テロ・・・自分たちと考え方が違う人たちに対して、暴力や爆弾などで
            命を奪ったり安全を侵そうとすること(正しくはテロリズム)




 砂漠に向かう道は広くなったり、狭くなったり、真っ直ぐだったり、このような峠道(とうげみち)になったりしながら、どこまでも続きます。写真で見える鉄塔は砂漠地帯に電気を送る高圧線です。テレビや電話を送るおわん型のマイクロウェーブの鉄塔にも時々出会います。



 こうしておよそ360km走って、砂漠の玄関であるバハレイヤ・オアシスに着きました。これは町の入り口の門です。このオアシスはこの辺りでは大きなオアシスです。家の庭には採り入れたナツメヤシの実(ダッツ)が干してありました。
               衛星写真と地図(Google)

   

 町の端にあるホテルに着き、荷物を下ろしました。そして待っていた四輪駆動車(4WD)で砂漠を見に行きました。ここの四輪駆動車はすべて日本製で、世界中の道路が良くない所で走っている仲間です。

   

 ツアーの一行が4WDを連ねてまずは黒砂漠に向かいます。10月だというのに、エアコンも付いていない車内は汗がうっすら出てきます。

   

 100kmほど走って黒砂漠に到着です。きめの細かい砂の上に、つぶの大きい黒い小石が広がっています。そのため遠くから見ると、黒っぽく見えるので、この名がついたようです。その上を四駆は砂をはね散らしながら、登ってゆきます。

 

 途中の別世界のような景色です。ただただ驚くばかりです。


      サイト内リンク:白砂漠と黒砂漠(くわしい大きな写真)

        

 途中で水晶(クリスタル)のとれるクリスタル・マウンテンに寄り、数十キロ走って白砂漠に着きました。白いのは塩かと思いましたが、どうやら貝や石灰岩でできているようです。変わった形の岩や地形は、見る人を不思議な世界に引きずり込みます。

  

 これも近くの岩です。なんかおいしそうですね。自然の造形の不思議を目の当たりにしました。この白砂漠は旅行者から大変人気がある場所なのです。来た人は誰もが感動します。

   

 こうして砂漠の自然に満足してまた同じ道を引き返し、バハレイア・オアシスのホテルに帰りました。このオアシス最大のホテルは、なんとドイツ人男性と日本人女性の夫婦が、経営をしていました。日本から遠く離れたこの地にも、日本人が活躍していました。

    

 夜はホテル内の屋外のレストランで、地元の楽士たちによる演奏が行われました。タイコとたて笛だけの演奏でしたが、リズミカルでアラブ風の調べで、観光客もいっしょになって踊っていました。日本語のほかに、あちこちからアラビア語、ドイツ語や英語が聞こえてきます。

          

 驚いたことに、このオアシスのホテルには、小さな温泉プールがありました。少し離れた場所でくみ上げて、パイプで運んでいます。温度は低めで茶色をしています。これは水に含まれる鉄分のためだそうです。それにしても、水の足りないオアシスで、少しぜいたくな気分です。

     
 
 ホテル側から見たこのオアシスの朝の景色です。家々からは朝食作りの煙がたなびいています。雨があまり降らないためか、家々の屋根は意外とかんたんな造りです。手前左の家は建築中です。白いレンガのような物は、切り出された石灰岩で、これが壁の材料になるのです。このことで、この一帯も太古は海底だったことが分かります。

  

 町に出てみました。屋根に食料、ガソリン、スペアタイアを積んだ4WDがたくさんいました。運転手はエジプト人ですが、客はほとんどがヨーロッパ人です。この辺りは「砂漠四駆ツアー」が盛んなので、テント生活が大好きな人たちが集まります。

  

 近くの小さなおみやげ店です。民族衣装や手作りの民芸品など、きっと奥さんや家族が作った物なのでしょう。売れても売れなくても、愛想のいい店主でした。

これで「砂漠とオアシスの旅」はおわりです
もとにもどって他のものも見てみましょう

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