2  機内で会った外国語学校の教師、ベティ(仮名)

「アノシマハ ドコデスカ?」

関西空港を離陸して水平飛行に移りかけたとき、隣の白人女性が遠慮がちに訊いてきた。私はたぶんアメリカ人かオーストラリア人だと思ったので、英語で
「たぶん淡路島でしょう。そして、その向こうが四国アイランドの徳島県ですよ。」と答えた。
 

 彼女は日本人のオッさんが無愛想に答えると思っていたのが、 愛想よく英語で答えが返ってきたものだから、安心したのか自分から話をし始めた。それによると、
彼女はアメリカ人でニューヨーク州のシラキューズ市の出身、大学では経済学を専攻したが、 今は日本に来て仕事をしているという。それは金を貯めて、帰国後また大学院へ行き直すためだという。彼氏がいて、彼も同じ目的で日本で金を稼いでいるとも言った。

 かなりのアメリカ人が、高校卒業後にいったんは社会に出て働き、そして学費を貯めてから大学へ行くことはよく知られている。「親の子供に対する義務は、高校卒業まで」というのだ。アメリカの大学は、学費が高いので有名だが、自分で働いた金で勉強すると、授業がハードなのと併せて、日本の大学生みたいには、遊びにくいであろう。良いことではある。

                    ロダン・考える人 

「いま何の仕事をしているのですか?」と聞くと、早口で名前を言った。私はそれが分からなくて、「?」と聞き返すと、いきなり、ロダンの「考える人」のポーズをした。要するに、テレビでも「考え過ぎでした」というコマーシャルで知られた英会話学校の講師である。英米系の人が日本で「手っ取り早く」金を稼ぐには、中学高校や会話学校の「語学教師」がいちばんのようだ。

 両親は今ボストンにいるという。父親はもと税務関係の仕事をしていたが、早期退職制度を利用して53才で仕事を辞め、家具彫刻の学校に行き直し、今は趣味に生きているそうだ。その家にもしばらく帰っていないと言う。

「ところで、クアラ・ルンプールには何しに行くのですか?」と聞くと、
「ホリデー」だという。本当の行先はシンガポール、「彼」とそこで合流するらしい。
彼もまた同じ学校の先生だが、京都校で彼女の大阪校とは勤務先が異なる。
「どうしてホリデーをシンガポールにしたのですか?」
「物価が安いから」
とシンプルな答えである。

        シンガポールのシンボル、マーライオン 

 そういえば、私が働いていた頃、
公立中学校のAET(Assistant English Teacher=英語の補助教員、現在はALT=Assistant LanguageTeacherという)は、春、夏休みに日本国内を旅行せずに、よく東南アジアや中国に出かけていたようだ。何となく分かる気がする。世界的に見れば、「日本は物価が高い」という統計がある。特に地価、ホテル、旅館そして食料品、レストランについては異常なほどである。就中、東京の物価は世界のワーストワンと言われる。私の経験からいっても、確かにアジアは安い。旅行していて嬉しくなるほどだ。私の実感では、物価はタイは日本の十分の一、マレーシアは三分の一、シンガポールは二分の一位だったであろうか?今は特に日本円は、アジアでは強い。           

 さて、ああだこうだと話しているうちに6時間が経ち、「着陸地に近づく」という機内アナウンスがあった。窓の外は熱帯特有のスコールの暗雲がたちこめ、機がそうとうガタガタと揺れた。着陸後、彼女とメールのアドレスを交換し、互いの旅行の無事を祈って別れた。
−とここで話は終わるはずであった。

"You Kenji ?"

 声に気づいて顔を上げると、白人女性が私を覗き込んでいた。イギリスで10日余を過ごし、帰りの乗り継ぎの大阪行きを待つクアラルンプール空港待合室でのことであった。私の頭の中でフラッシュ=バックが起こった。数秒が経った。
" Wow ! Must be Betty ! What a coincidence ! It's a small world, don't you think so ? "
思わず出た私のことばである。イギリスにいて一回も日本人と話さずにいると、何となく英語が出てくるのである。 アメリカ人から見ると、日本人は同じ顔に見えるはずだが、名前と顔を覚えてくれていたのである。よほど特徴があったのか? 訊くと、「ひげとデイバッグの色」だという。
 
 こうして、まるで旧知の友人のように、互いの旅の印象・感想に話が盛り上がり、あっという間に搭乗時間が来たのである。どうやら、良いヴァカンスだったらしい。声がはしゃいでいる。しかし、何故かまたもや彼の姿がない。空港で別れたという。彼はタイを一人で回ってから帰るらしい。不思議なカップルではある。

 帰国後、メールを出すと直ぐに
メールで返事が来た。 曰く、「アナタのおかげで旅が短かった。帰国後は毎日が忙しい。私の学生たちは一生けんめい英語を習いたがっている...。」と書いてあった。きっと彼女の性格だったら、楽しい授業をするだろうし、日本で多くの友人を作って帰国することだろう。そして、一生懸命働いて得た金で、次の大学院で励むであろう。