全館禁煙/全面禁煙の話
旅にまつわる話・纏わらない話(その12)
 
 「オーナー」ことがわたくしがタバコを止めて早18年が過ぎました。家でも「完全スモーク・フリー」の生活ですし、外食も「禁煙席」がある店しか行きませんが、週何日も行く以前入っていたフィットネスクラブは、休憩室に喫煙コーナーがあり、それが衝立だけしかなく部屋全体に煙が行き渡り、廊下にも煙が流れてきていました。私はその前を通るときは、息を止めて早足に通っていました。休憩室を利用している多くの女性たちも煙そうにしていました。実は彼女たちはお弁当をそこで食べていたのです。

  現在入っているクラブはオープンエアの屋上でしか喫煙できない

 ところがある時ひょんなことから、同じ会社の他のクラブは「全館禁煙」ということが分かりました。ある日ついに、私はマネージャーにこう申し入れました。「健康増進を目的とするこのような施設で、しかも閉鎖された空間でタバコが吸えるのはおかしい。副流煙の害も多大なものがある。喫煙室を設置し、完全分煙にして欲しい」と。彼は早速、会社の上層部と相談して結論を出しました。次に会ったとき、彼はこう言いました。「来月から館内全面禁煙にします。もうしばらく待ってください。いずれ掲示も出します。」オーナーの申し入れよりもずっと進化した内容でした。「日本という遅れた国だから完全分煙でも仕方ないか」と思っていた私は、会社のより前向きな姿勢に感謝を述べました。

 アメリカ、カナダ、オーストラリアなど先進国では、とっくにレストランなどでは、「分煙」でもなく「完全禁煙」でそれが常識でした。当時日本ではそういう法律もありませんでしたし、人々の意識も低く「人間関係を壊してまで他人に禁煙を強制できない」と方向違いの話になってしまうのです。悲しいことですが、こういうところまで「島国根性」が染みついてしまっているのです。「個を殺しても、集団の調和を大切に」するのです。

 私は今ではリタイアの身ですが、現役時代の最後の十年はすでにタバコを止め、「アンチ・タバコ派」になっていました。しかし職場は「前近代化」の状態でした。私の仕事は一応「かたい」といわれる仕事でしたが、職員も上司も意識は「遅れて」いました。タバコを吸わない女性職員でさえ私の「職場の分煙」案に対して、「私の主人もタバコを吸うから慣れている、別に気にならない、そこまで言わなくても・・・。」と取り合ってはくれませんでした。その職場には若い妊婦もいたのです。

 上司に至っては、「分煙といってもスペースも予算もない・・・。」とニベもない返事でした。「来年考えよう。予算を取ろう。」というのでもありませんでした。職場の忘年会、歓送迎会も同様の「煙づけ」でした。以後私はそういう会にはいっさい出席することはありませんでした。

 タバコを止めた身には、他人の出す副流煙が苦しく、咳は出るし頭も重くなる。最悪なのはストレスが貯まることと「人間不信」になることでした。職場でも何度も窓を開けにいきました。しかし冬場は窓を開けると、「寒い寒い!」とすぐに閉められました。まるで「たばこの害より寒い方が悪い」といわんばかりでした。これがどんなに辛かったことか、吸う人には決して分からないでしょう。かくいう私も、喫煙していた時代には、吸わない人が煙そうにしていてもまったく気にも留めませんでした。今から思うと、罪なことでした。悔やまれてなりません。

 さて話は元に戻りますが、こうしてわがクラブはタバコのない世界になりました。すでに何人かの愛煙家からは苦情があったといいますが、今では休憩室は「平和なスペース」となっています。これに先立ち、この5月1日より「健康増進法」が施行されました。やはり日本という国では、人の善意、良識を期待するより、厳しい法律を作った方がよい」と思っています。もう世界的には「タバコ、喫煙は遅れている」といわれるようになりました。喫煙はすでに「カッコワルイ」のです。あのJT(日本たばこ産業)でさえ、「他人や環境のことを考えよう」というPRをしているのです。それを言うならタバコの販売を止めればいいのですが・・。アメリカではタバコ会社が裁判で敗訴し、天文学的賠償金を取られていますから。

 まだまだ禁煙席のない飲食店が多くあるなど、「公共の場所の禁煙」がじゅうぶん進んではいませんが、公共交通機関の禁煙がふつうになり、病院では建物内だけでなく「敷地内全面禁煙」が登場してきました。やはり「健康増進法」のおかげでしょう。こういう時代の傾向を喜ばしく思っている昨今です。

(この項、旧「オーナー近況」、2003年6月掲載分を若干手直しをして再掲いたしました)

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