旅にまつわる話・纏わらない話(6)
  アルゼンティン女性・マリア(仮名)さんのこと 


 
 2003年4月の初旬、岡山駅で列車を待っていた。私の愛用の「青春18キップ」が残っていたので、神戸の「布引ハーブガーデン」に行こうと思っていたのだ。後ろから「アノー、コレハヒメジユキノバショデスカ?」と声がした。振り返ると、小学生を連れた黒髪であまり背が高くない白人女性だった。「そうです、ここでいいのですよ。この位置に立っていればいいのです」 それにしても、彼女の日本語はかなり巧い。子どもはと見ると、「ハーフ」の雰囲気である。「失礼ですが、どちらの国の方ですか?」ここから会話が始まった。列車が入ってきたが、乗ってそのまま三人で座った。

 彼女は滞日16年のアルゼンチン人女性で、通訳をしている日本人男性と結婚し、二人の男の子がいるという。それにしても、ここに子どもは一人しかいない。「青春18キップが二人分しかなくて、下の子はおばあちゃんに預けてある。今日は姫路城へ行く」そうだ。その間も彼女は大変上手な日本語でハキハキ話す。こちらの質問にもすぐに返事が返ってくる。難しい単語も使うし、話も理路整然としている。かなりのインテリらしい雰囲気だ。

 「国際結婚」など珍しくもない昨今だが、「地球の反対側」から日本に来た訳を聞いてみたかった。ここからの話はいささか長くなる。かい摘んでまとめるとこうなる。・・・・・彼女はアルゼンティンの首都、ブエノスアイレスから800km離れた田舎の町の出身、まわりはパンパ(大草原)で牧場地帯だという。そんな彼女が初めて「日本人」と会ったのが、現地の「日系二世」の同級生、親は日本から来た沖縄県出身の移民一世であった。彼女の家に遊びに行くと、「別世界」が迎えてくれた。仏壇、線香、ロウソク、提灯、茶碗に箸に米の飯、そして浴衣にうちわ、まるで日本が引っ越してきたようだった。(彼女は「小さな日本」ということばを使った)ここで彼女の好奇心が「一斉に花開いた」らしい。

 アルゼンチンの大学がすむと、彼女は日本の大学に留学することに決めた。来日してしばらくは、東京で日本語の語学学校に通った。それから大学に入り、本格的な勉強をはじめた。専攻は「比較家族論」、つまりアルゼンチンと日本の家庭のあり方を調べ、比較考証するのである。<カトリックのキリスト教徒でパンと牛肉>の彼女が、<仏教で米と魚の国、そして高温多湿の国、風習の異なる国>で、最初は相当「カルチャー・ショック」があったらしい。それでも、東京辺はまだスペイン語を話す者がいたから、「ホームシック」にはなることはなかった。

 やがて友人が一人の日本人男性を紹介してくれた。英語の大変得意な男だった。「この男」が現在のご主人である。「わたしは大学がすんだら、アルゼンチンに帰る予定だったのに、とうとう帰れなくなりました。」と案の定、うれしそうに笑った。こうして結婚後16年が経ち、現在は男児二児がいる。母の話を退屈そうに話を聞いていたその子は、サッカー好きで少年団に入っていた。「混血」としてはやや小振りなその子は、「もうすぐ中学生」だと言った。

 
 「息子がもうすぐ中学に入学する」という話から<彼女の日頃思っていること>が出てきだした。学生服のことだ。「学生服は変です。どうして学校で卒業した生徒の学生服を置いておいて、次ぎに入ってくる生徒に貸さないのですか?学生服を買っても、もう社会へ出たら使えません。学生服は大変高い。大変ムダです。これが分かりません。アルぜンチンだったら、給料の1ヶ月分以上の値段です。これはダメ、ムダです。」彼女は息子が入る中学校に聞いたらしい。「でもダメでした」と言った。「それにあの黒色はおかしいです。」とも言った。

 彼女は日本の生活が長くなるほど、「分からないことが増える」とも言った。「日本人は考えていることが、顔に出ません。ことばを話していても、顔は同じ、これは分かりません。アルゼンチンなら顔の表情で分かる。どうして日本人は、うれしいこと、悲しいこと出さないのですか?」外国人からは「分かりにくい国民」なのである。

 次は「ことばと本当(心の中)が違う」のだそうである。「口で言ったことと心の中が違って分からない」のだそうだ。いわゆる「本音と建て前」のギャップである。これは「外国人」にはわかりにくいだろうと思う。何か頼んだら「考えときます」という。次の日に行ったら、何も考えていない。やはり答えはもらえない。「これは変です。

 彼女は「お金がかかる」から、2〜3年に一回しか、母国に帰れないと言う。「でも帰ったら、親戚みんなに引き合わせるし、アルゼンチンのいいところ、悪いところ、みんな見せるし教える。従姉妹とも仲良く遊ばせるし、家族の中の仕事(役割分担)もきちんとさせる。」「でも、日本の家庭は子どもが仕事(役割分担)をしていない。」という。

 アルゼンチンは「国の経済が破綻し倒産した国」だが、親子家族は仲が良くて、親の誕生日は子どもや孫が一堂に会するし、日頃でも電話などで連絡を取り合う。一族のつながりは深いらしい。「日本は金持ち」だけれど、「みんなが仲良くない」と感じるらしい。アルゼンチンは経済がどん底のため、帰るたびに「すごいインフレ」になっているが、逆に米ドルをもって帰ると、「たくさんお金がもらえて、親にもたくさんお金をあげられる」のが、たった一つ良いことだと言った。

 そして最後に彼女は言った。「わたしは日本人と結婚して、多分死ぬまでアルゼンチンに帰れない。でも時々帰って親兄弟、従姉妹に会って話しをし、元気になって日本に帰ってくる。子どももアルゼンチンの血が入っていることを教えるために連れて帰る。こういうことによって、私は日本人と仲良くなれるし、これからもずっと日本に住める」と。

 こうして彼女は、われわれ日本人が日頃感じない「アイデンティティー」について考えさせてくれたのであった。ご主人以外に、こんなに日本人に話したことはないのではないか−と思われるくらいよく話した。そしてわたしは、姫路駅で親子とも握手をして別れた。彼女の笑顔が素敵だった。