旅にまつわる話・纏わらない話(その7)
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レッヒタール(オーストリア・フォアアールベルク州)
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これは直接的には、スキー場とスキーの話である。しかし、ある面では社会性、社会のあり方、公共性についての人々の意識についての話でもある。日本と海外(主にヨーロッパとカナダ、ニュージーランド)のスキー場の違いを通してそれをみてみたい。
さて、上の写真を見ていただければお分かりになろうが、ヨーロッパアルプスは実に雄大でスケールも大きく奥も深い。識者は「これより大きなエリアはもっとある」と仰る。カナダのロッキーもこれには劣るが雄大である。いずれにしても、我が島国日本は自然のスケールではヨーロッパや北アメリカにはとうてい敵わない。しかしこれは致し方のないことだ。
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Tバー(ブラックコムスキー場・カナダ) |
上の写真を見ていただこう。これは「Tバー」と呼ばれている。T型の固いバーを二人で挟んで尻に当てるものだ。結構腕力や腹筋力、脚力が要る。日本でもまれに見られるものであるが、海外ではこれが実に多い。1人〜4人乗りチェアー(リフト)に慣れた日本人には最初ややツライものがある。しかもこれが結構急斜面の「中・上級者コース」に設置されている。慣れない人は「乗る」のに失敗し、最初に転んでしまうのだ。かく言う私も慣れるまではよく転んでしまったものだ。要するに、「これに乗れない人はこの斜面は滑れません」と言っているに等しい。
日本では、一部のスキー場の初心・初級者用に類似のロープ・トゥーという短いのがあるが、長さでも比較にならない。下の表をみると、この手のものは圧倒的にヨーロッパに多いのが分かる。行ってみても日本だと当然「チェアーリフト」のところがTバーになっている。こういう場所では、日本で見られるような「上級者コースに何故か初心者がいる!」ということはまず起こらない。それぞれの「技量に合った場所で滑る」という棲み分けができている。そうなるとケガや事故も当然減ってくるだろう。
海外にも結構あるロープ・トゥー (ザンクトアントン・オーストリア)
なぜこういうタイプが多いのであろうか。まず考えられることは、スキー場の広さのためゴンドラ・リフト類の絶対数が多いためである。各国の代表的なものを較べて見よう。
スイス・ツェルマット |
イタリア・セストリエール |
カナダ・ウィスラー/ブラックコム |
スキーコース総延長250km
1コース最長16km
最大標高差2200m
登山電車1
地下ケーブル1
ロープウェイ13
ゴンドラ7
チェアリフト18
Tバーリフト31 |
スキーコース総延長400km
1コース最長13km
最大標高差約1473m
総リフト35
Tバーリフト54
(2006年冬季オリンピック会場) |
スキーコース総延長・km
1コース最長11km
最大標高差1608m
総リフト33
(うちTバーリフト9)
(2010年冬季オリンピック会場) |
もう一つは設備投資を減らす意味もあろう。しかし私が滑っていて気がつくことは、「自然を破壊しない配慮」があちこちで見られることである。それは「無理にコースを造成しない姿勢」に見られる。つまり自然をそのまま残してコース作りが行われている。もちろん初級者用コースには自然を残しながらも、日本のようにキチンとバーンを作りグルーミングがなされている。しかし中・上級者用には自然をそのまま残すことが多い。グルームしてないこともあるし、岩もいろいろ飛び出している。それを避けて滑ることも、「中・上級者の資格」なのである。この傾向は特にヨーロッパ、カナダやニュージーランドに強い。
自然そのもの・ザンクトアントン・スキーエリア(オーストリア)
またスキーというスポーツがもともと「自然の中で生活の一部として起こり、楽しむもの」であったので、「わざわざ人工的に変えてしまう」のは不自然という考え方も根強いらしい。今でも海外ではオフピステ(整地・整備されていないところ)のファンがとても多い。この点日本ではコースをできるだけ人工的に整備し滑りやすくはしているが、手を入れすぎて「自然と戯れる喜び」は半減している。また責任問題から来るのか、そういう場所には入らせないようにしている。
日本では近代ヨーロッパのスキーを明治期に軍隊が取り入れた(下記サイト参照)が、元来冬に「雪と楽しむ」発想さえなかった我が国では、まだまだ多くの人が楽しむ「国民的スポーツ」にはなれていない。
参考:日本のスキーの歴史(長野県・野沢温泉村公式サイト) |
話は戻るが、中・上級者コースはコースの一歩外は崖や急斜面のことも非常に多い。ポールが立てられ、ロープが張ってあることもある。そして「ここはコースではない。スキーパトロールもしていない」という表示がある。それにもかかわらず、その向こうには日本では考えられないくらいの轍(わだち)が多く残る。驚いたことに、10mくらいの崖をボーダーが跳んだ痕跡もある。
しかし、もし禁止区域を滑って遭難したらどうなるか。それは「At your own risk」、つまり「自分の責任」でやらなければならない。どんなことがあっても「100%自分の責任」なのである。一旦事があると、どんなにお金を請求されても仕方がない。いろいろな形で「過保護」にされている日本のスキーヤーでは考えられないことである。滑る者は自分の判断と技量と責任で行うのである。
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左の写真を見ていただきたい。カナダのスキー場の4人乗りリフトから雪に映った影を撮ったものである。右端が筆者である。これを見て何かお気づきのことがあるだろうか。
左の二人は足乗せにスキーをそろえて座っている。右から二番目のスキーヤー(実は中年女性)の板が左一本しかない。この方は「身障者」(英語ではDisabled)である。一人でスイスイ滑ってきて、私たちの間にスポンと座った方である。彼女は明るい性格で、左の二人にいろいろ話しかけている。それを聞いていると、仲間がいて彼らは二つ三つ前のチェアーに座っているらしい。上に着くと、係員は当然のようにリフトのスピードを下げた。その先に両下肢のない男性がソリに座って待っていた。
実は筆者がこういう方たちを見るのは初めてではない。6、7年前、ニュージーランドのクイーンズタウン近くのスキー場に行ったとき、両下肢がない数人の若い男性達が一本ソリに乗り、小さなソリがついたストックを持って、「ヒャッポー」と叫びながら滑っていた。
その上手なことにも驚かされたが、もっと驚いたのは彼らがみんな明るく生き生きしていることだった。私が日本で見る同じ環境の方たちは、もっと静か(非活動的)である。海外の方たちは見なければ「健常者」の方たちと何ら変わらない。私はその時、「ハンディキャップを持つ人でも自分の力で健常者と全く同じに暮らし、それが当たり前にできる社会こそ先進国である。」と気付いたのだった。
最近、パラリンピックのスキー部門で、日本人が活躍し始めたのは喜ばしいことであるが、多くの「身障者」に浸透し、まわりがそれを認めサポートするという意味では、日本はまだまだ「発展途上国」であろう。
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ウィスラースキー場頂上のスキーパトロールの詰め所(カナダ) |
上の写真はスキーパトロール詰め所付近の写真である。スノーモービルやソリつき担架が整然と置かれている。このあたりは日本のスキー場でも似たようなものだが、他の点がやや異なるというか、仕事が徹底している。まず日本ではあまり見かけない「アヴァランチ・コントロール」である。つまり毎日コースすべてを見て回って、雪崩が起きそうな場所には爆薬を仕掛けて人工的に雪崩を起こしてしまう。これは日課であるらしく、スキーをしていても遠くで爆発音を聞くことがある。ニュージーランドで一番高いところまで上がっていったとき、柵があって「立ち入り禁止、ここに爆発物が埋まっている」という立て札があって驚いた。
パトロール員は二人で組んだりまたは単独でコース内の危険箇所の確認、標識の設置などをしているが、その権限も強いようである。スキーヤーやボーダーが危険行為をしたり、指示に従わない場合、スキーパスを取り上げることができるらしい。だからといって不親切ではなく、愛想もよい人が多い。日本のパトロールも怪我人の救助や運搬をするのだが、アルバイトのような人もいたりしてもう一つ「プロ根性」に欠ける。資格がいるのは共通だろうが、彼らはより専門性も強く、より誇りを持って仕事をしているように見える。
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左=一人で乗る者専用ライン、右=ティッシュペーパーとゴミ箱(二枚ともカナダ・ウィスラー)
左上の写真を見ていただきたい。ここはカナダのリフト乗り場である。「SINGLES=ひとりもの」と表示がある。だからといって、「独身者」をここに並ばせるためではない。この場合は「一人でリフトに乗る者」という意味である。日本では仮に「4人乗りリフト」の場合、カップルが乗ると残りの二席は空いたまま運行されることが多い。これでは輸送能率が極端に落ちる。繁忙期ならリフト待ちの列が長くなってしまう。このシステムの場合、「ひとりで乗る者」は「シングル」の列に並ぶ。そこは並ぶ人数が少ないから、どんどん前へ行ける。だから他の列に並ぶより早くリフトに乗れるというメリットがある。中にはカップルでも早く乗るためこの列に並ぶ者もいる。(最近やっと日本でもこのシステムを取り入れたスキー場が増えてきたのは良いことだ)
前に進んでゆくとリフトの手前で列が合流するのだが、そこにたいていは日本にはいない整理係の係員がいる。ひとつ空いていると、「そこの君、ここに入りなさい」と指示をする。「シングル」はそこへスポッと入る。これでスムーズに席が埋まってゆくのである。では係員がいない場合はどうか?。これが驚きであるのだが、「ひとり者」がカップルに「You
are two?」などと聞いて、「Yes」というと「Thanks」とかいって入れてもらう。これも実に自然に行われる。日本ではまずこの「やりとり」がない。
そういう列も実は最初は5列も6列もあって、それが「八の字型」や「H型」でいろんな方向から集まってくる。それが少しずつ合流しながらリフトに向かう。日本のスキー場に行ったことがある人は、「合流するところではどうなるのだろう?」と思われるかも知れない。カナダの場合、結論から言うとこれが実にうまくゆくのである。つまり「交互合流」が大原則である。係員がいなくても必ず代わる代わる一列になってゆく。誰も割り込む者はいない。みんなが自分の順番を知っていて、他の人が入るスペースを空けてあげるのだ。うっかりしている人には、「おまえの番だよ」と先に行かせる。
私は最初これを見て驚いたものだ。彼らが何か「日本人よりエライ人間」のような気がした。彼らは「ルールが当たり前に守れる人間の集団」なのだ。「割り込み」もほとんどない。世界中からいろいろな人間の集まった「移民の国」なのに、ここまでできている。ここでは「国の歴史の古さや伝統」など関係ない。またタバコの煙も漂ってこない。大体こういうところで吸う人も少ない。私はこういう国では、「日本より心安らかにストレスなくスキーができるしあわせ」に浸っていられる。ヨーロッパの大変歴史があるフランスのシャモニー・スキー場でも日本と同様の「無秩序ぶり」であった。「秩序はできるのではなくて、作るもの」なのである事がよく分かる。
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右写真の表示を拡大した物
「子どもはチェアーの外側に
乗せてください」とある |
竹の棒を持って列を整理するスキー場係員(カナダ・グラウスマウンテン) |
右上の写真は上述の列を整理する係員である。このスキー場はカナダ西岸の大都市、ヴァンクーヴァーを見下ろすスキー場である。従って此処の性格上、家族連れや子どものグループ、初心者が大変多い。つまり、先ほど述べてきたことができていない人が多いのである。
例えば、「暗黙のルール」を無視して先にゆこうとする子どもや「交互合流」を知らない大人などが結構いたりする。そこで写真の係員の手のある竹の棒を見ていただきたい。これは今述べたような者たちを制止するための棒なのである。つまりルールを守らない者の前に差し入れたり、肩を突いて「君は下がりなさい」と指示する棒なのである。そういう動作の間中、かれは大声で注意しまくっているのだ。こうして初心者達は「スキーのルール」を教え込まれてゆく。日本では見られないことである。
もう一つは上の黄色い看板である。此処には 「子どもはチェアーの外側に乗せてください」と表示されている。大人で子どもを挟むより安全らしい。筆者も「ちょっと待って!この子のそばに座って!」といわれた。日本でも年輩の係員がたまに言うこともあるが、ここでは「誰の子であれ、子どもは大人が守る」という姿勢が見て取れる。日本では市井でもこういう姿勢が消えかかっている。
話は変わるが、日本ではすでにあのバブル期の「スキーブーム」が消え、それを支えていた世代がスキー場から姿を消した。代わって登場したのが、若いスノーボーダーたちである。今の日本のスキー場は、彼ら無しでは経営も覚束ない。そういう経緯から、ボーダー達は以前のスキーヤー達とは接点も交流もない。だからわずかでもあったルールというよりマナーさえも学ぶ場所がなかった。スキーの場合は、最初はたいていヴェテランのスキーヤーに連れられて行った。そして転び方からリフトの乗り方まで教えられたものだ。
具体的に言うと、ボーダー達はコースのど真ん中にボードをはいたまま3、4人で横座りをするとか、他人が滑っている傍でジャンプして回転するとか、安全面から言うと大変問題という現実がある。しかしこの世界は年長者がいないので、だれもかれらを「教育」する者がいない。またスキー場もそういう啓蒙活動はあまりしていない。
ところが不思議なことに、カナダなどでは上に述べた様な人間が大変少ない。これはスキー場が広く気にならないということもあるが、オフピステ(林や岩場、コース外)では跳んでいても他人がいると跳ばないのである。たまにそういうのがいるので、よく見ると「日本人ボーダー」だったりする。この違いは一体何なのだろうか?
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さて話は変わるが、海外のスキー場の特徴は若者たちに加えて家族連れや中高年が多いことである。中には初老の婦人が3人で滑っていたりする。日本では、「若いときにはスキーはしたが・・」とか、「この歳になって女同士で何をわざわざ・・・」という現実なのである。普通はこの歳のオバサンなら温泉旅行である。
また家族でも「小さな子連れ」でなく「歳のいった親子」も多い。日本なら二十代の若者なら中年の両親とは一緒にはスキー場には来ない。もし来るなら仲間かカレシかカノジョである。こういうところを見ると、日本ほど親子関係がコワレテいないようである。日本では子どもは大きくなるほど親から離れてゆくが、オーストラリアでもアメリカでも家族の精神的に仲がいい関係はずっと続く。
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右の写真をごらん頂きたい。これはホテルの朝食風景ではない。カナダのこのスキー場には、「フレッシュ・トレイル」というものがある。日本語でいうと、「朝の初滑り」というくらいの意味である。普通は連絡ゴンドラは8:30からだが、それより一時間前から別にパスを17ドル(日本の1360円くらい)で買うと、他のスキーヤーより早く山の上に上がれる。そしてロッジでこのような「豪華な食事」にありつけるのだ。(この写真はほんの一部)コーヒーに始まってソーセージ、クロワッサン、ケーキ、フライドポテト、フルーツなどお代わり自由の「食べ放題」である。
筆者も若かったら思い切り腹一杯食べたのであるが、この仕組みは若者にはきっと歓迎されているに違いない。中級ホテルの朝食より内容が良いのであるから・・。現に当地の学生達は私の二食相当分を食べていた。
そうして腹ごしらえができると、、新しい雪の上を「初滑り」できるのである。もっともこの仕組みは、いくら「食べ放題でもそうしていたら良い雪の初滑りができない」という矛盾を根本的に抱えている。だからたいていの者は食事もそこそこにロッジを出てゆくハメになる。
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カナダ・ウィスラーの「フレッシュ・トレイル」の朝食 |
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以上述べてきたことが海外のすべてのスキー場に当てはまるとは限らないが、日本との制度の違い、人々のあり方の違いを考えさせるヒントにはなると思う。筆者個人はカナダのシステムと人々の親切な気性が大変気に入っている。その「安全性・合理性とみんなでスキーを楽しむ姿勢」が素晴らしいと思うのである。こうしてみると、ウィンタースポーツひとつにしてもまことに「世界は広い」のである。
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