今はない「東ドイツ」の「東ベルリン」 ドイツの旅(3) "Ost-Berlin," "D.D.R.", 1985

今はもう消滅した「東ドイツ・東ベルリン」側から見たブランデンブルグ門 元は「プロイセン(プロシャ)王国」の凱旋門であった
その栄光の門が「東西冷戦」のシンボルとなった 「ウンター・デン・リンデン・シュトラッセ(菩提樹下通り)の突き当たりである
写真中央の白い部分が「ベルリンの壁」 柵があってこれ以上は近づけなかった 向こう側は「自由圏:西ベルリン」


参考写真


上記写真と同じ日に「ベルリンの壁」の「西ベルリン」側から同じ門を撮った写真
写真下方にあるのが「壁」でこちら側には「西側の人間」が落書き(メッセージ)を書いている
いちばん下のは「ロシア人はアフガニスタンから出て行け!」とある 当時、「ソヴィエト」はアフガニスタンに侵攻していた
下中央右の看板は「注意!あなたは西ベルリンから離れようとしています!」と警告している




「東側」への入り口・・・「チェックポイント・チャーリー(チャーリー検問所)」


「東西冷戦」の当時、「東ドイツの東ベルリン」に入るのは、米・英・仏軍共同管理のここ「チャーリー検問所」からであった 手前左の白い建物が連合軍の検問所、ここでは検査は全くなかった 向こう奥の白い部分が「ベルリンの壁」 その手前のバリケード脇に東側検問所があって、機関銃と大きなサーチライトが「西側」を向いていた
「東ベルリン訪問一日ヴィザ」はここの建物に入り、お金を払って入手した(筆者は「オフィシャル・パスポート」だったので、フリーチャージであった)
「東」側の車輌出入り検査は厳しく、室内・トランクはもちろん、車の下まで大きな鏡で見ていた 通り抜けるまで大変緊張した










映画の撮影か戦前の自動車が集結、人々の服装もオールド・ファッションで統一されていた







同上映画の撮影の終了直後 全員の顔の開放感がまたいい(ウンター・デン・リンデン通り)







ドーム(左)とテレビ塔(365m)







噴水で遊ぶファミリー






今もある旧「東ベルリンの博物館が集中している「博物館島」

--世界遺産--
World Heritage


「博物館島」にあるペルガモン博物館 エーゲ海、バビロニア、トルコ・ペルガモンなど東方の遺物が集められている







この博物館の「目玉」のひとつ、バビロニア王国・バビロンのイシュタール門







イシュタール門につづく長い壁にあるライオンのタイル







タイル壁のバビロニア戦士たち








この博物館の名前にもなった小アジア・ペルガモン(現・トルコ・ベルガマ)の「ゼウスの大祭壇」 「目玉」だけあって、その大きさに圧倒される














同じ「博物館島」の旧国立美術館 19世紀西洋美術コレクションではドイツ最高峰といわれる




ペルガモン博物館 Wikipedia TBS世界遺産

   
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これらの写真は1983-86年のスライド(KODAK/EKTACHROME, AGFA/CHROME)をスキャンして再生した物です
20余年の長期保存のため、写真中にキズや色ムラ、退色等があることをご了承下さい
Cameras: Canon FTB Analog & Nikon F3 Analog camera, Transferred from analog reversal film to digital photo data