カイロ旧市街・オールドカイロ
古いコプト教会とコプト教徒の住む町:アラブのエジプトにもキリスト教徒はたくさん住んでいる



マル・ギルギス通りと聖ゲルギス女子修道院





マル・ギルギス教会に通ずる狭い路地





路地の両側は中世の雰囲気が残る





いかにも古そうな扉・どんな歴史を見てきたのか?





地下鉄マル・ギルギス駅前にあるバビロンの塔(ローマ時代・修復中)
とエル・ムアラッカ教会(向こう側)






10世紀に再建されたエル・ムアラッカ教会(コプト教会・中庭より写す)





エル・ムアラッカ教会より中庭を写す





エル・ムアラッカ教会内部






エル・ムアラッカ教会礼拝堂
薄暗いが木造の落ち着いた雰囲気がよい




ドラゴンを退治する聖ゲルギス(セント・ジョージ)
(上写真中央垂れ布の拡大)





同礼拝堂天井部
木組みの構造がよく分かる





同上・聖人、天使のイコンがある厨子





ステンドグラス






(M)地下鉄マル・ギルギス駅(左)・マル・ギルギス教会(中央)・バビロンの塔(右)







マル・ギルギス修道院入り口






マル・ギルギス修道院(ギリシャ正教)



入り口にある聖ギルギスとドラゴン
(上写真中央左・画像変換済)






マル・ギルギス修道院礼拝堂






同礼拝堂







聖セルギウス教会(アブ・サルガ)入り口






聖セルギウス教会礼拝堂・天井部分





聖セルギウス教会礼拝堂
(中央説教壇には聖母子画がある)





同礼拝堂左側(画像変換済)
左奥(写真中央)にも聖母子画がある






工事中のため閉館中のコプト博物館
小さいけれどコプトに関しては資料が多いという




BACKEGYPT
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                 コプト教について

 
 コプト教は「原始キリスト教」の流れをくむキリスト教である。エジプトではすでにAD42年、聖マルコによって布教が始まったと言われる。その後、アレクサンドリアに教会の礎石が置かれ、上エジプトまで広がったという。

 歴代のアレクサンドリア大司教は「キリスト単性論」を唱えたため、451年のカルケドン宗教会議で、
異端とされた。これ以後、コンスタンティノープル(東ローマ、現トルコ・イスタンブール)とアレクサンドリアは対立を続けることになる。このエジプトの「異端派」を、「コプト(派)教会」と呼ぶ。

 コプト教会は、エジプトがイスラム圏になった後も生き残り、「ビザンツ帝国」対抗という意味でアラブに協力をする。そして彼らは古代エジプト語を源流とするコプト語守り続けた。現在、エジプトの人口の1割、300〜400万人のコプト教徒がいると言われている。この写真のオールド・カイロにも、多くのコプト教徒がいると言われている。


                    (地球の歩き方・エジプトより要旨転載)

                     
→関係リンク:コプト教