南米・アンデススキー・顛末記(1)

はじめに
 
 私がスキーを始めたのが齢四十の時、仕事で赴任していたアフリカから帰国した1986年は、折しもあの「スキーブーム」の真っ最中であった。それまで北アフリカに居た私はスキーなぞすることもなくて、何か取り残された感じさえ受けていた。こうして、地元最大で老舗の大山スキー場でスキーを始めた私は、最初のシーズンの終わりには「スキーって面白い!」と思うまでになっていた。

 二年目、三年目は「滑れば滑るほど上達、面白くてしょうがない。」という状態であったが、「もっと良い雪で滑りたい」という欲望に駆られ、翌年北海道のニセコに進出していた。ところがちょうどその頃、ひょんなことから止めたタバコの煙が国内のスキー場で次第に煙たくなり、カナダの西海岸にある北米最大という「ウィスラー・ブラックコム」に転出した。そこは自然も雄大、タバコの煙も少なくて大変気に入っていた。

 この後、スケールの大きいヨーロッパのスキー場(ツェルマットやシャモニーなど有名スキー場)や夏場の雪を求めて南半球のオーストラリアや雪質の良いニュージーランドにまで何度も足を運んだ。以前から「南アスキー」は広告ではお目にかかっていたが、金額が高いこともあって参加することもなかった。しかし今回、私の趣味の旅行も南アメリカだけが「未踏の地」だったということもあったもあって、「体が動く内に」思い切って参加することにした。

 催行会社はずっとお世話になっているスキー・ツアーでは「大手」に属するフェロー・トラベルで、そのサーヴィスにも専門会社らしい心配りが見られていたし、何より添乗員の質が高かった。「南アメリカ・スキー」は海外スキー・フリークの中でも「最後の挑戦」に属する究極に近いジャンルである。金額的にも距離的にも、毎年行ける場所ではない。因みにカナダなら3回、ヨーロッパなら2回は行ける金額である。参加者はそれぞれ「口実」や「理由」をつけて決心、決定するはずである。写真が好きな私は、「アンデスの写真を撮りたい」という理由を、「夏に滑れる」理由に付け足していた。こうして、事前の大阪支店での説明会から参加した。

 

     
















南米・アンデススキー・顛末記(2)

DAY 1
なんでなんで成田泊?!
Day-1
(出発前日)


















Day 1
(出発当日)
 
 今回の「南米スキー・ツアー」の出発は「成田発」である。冬場のスキーツアーは成田発の他、関空発や名古屋発もあるのが普通だが、時期が夏ということや南米という場所柄参加者が少ないということで、最初から設定が少なかった。その上、わたしが最初に申し込んでいた少し早い出発日は参加者が2人しかいない−ということで催行中止になっていた。

 そういう事情から、私たち「地方在住者」は常に「まずは首都圏まで上京する」のが当然のことなのである。ただ航空会社のマイレージの関係から、東京羽田(成田)-大阪伊丹(関西)間の国内線は無料チケットがもらえていた。そうなると、自宅−大阪・伊丹空港間と羽田−成田間は別途、JRきっぷが必要である。幸いなことに10日ほど前まで九州の旅に使っていた「青春18きっぷ」がちょうど2回(人)分残っていた。

 わたしはすでに出発前日には東京まで出ておくことにしていた。この時期は台風が多く、当日に上京するのはリスクがあったし、久しぶりに秋葉原で少しだけ買いたい物もあった。まず昼過ぎのJR西日本で岡山から新大阪まで行き、エア・カナダと同じグループの1900発ANA038便で羽田に行き、浜松町にある宿に宿泊した。これは前もって会員である楽天トラベルサイトからオンラインで予約しておいた。

 当日少しだけ038便にディレイがあったが、夜の2115にはJR東日本直営のホテルにチェックインした。この宿は伊豆諸島航路のある竹芝桟橋にわずかしか離れていなかった。そのため、辺りは釣り道具やクーラーをもった釣り人やキャンプ用品を満載したヴァンなどが多く、いかにも「夏の離島航路のベースキャンプ」といった雰囲気があふれていた。コンビニで最後の食料調達をする姿も多く見られた。

 さて出発当日の朝、旅行に必要な南米チリ用のACプラグアダプターや旅行小物、それに長い道中用のCDなどの購入のため秋葉原に向かった。ACアダプターは以前から常備品として一通りは持っていたが、調べてみるとチリは3種類はあるようで、果たしてどれが合うのかは分からなかった。そこで「これひとつで世界中で使える」というのがウリのACアダプターを買った。あとはパッキングで入れ忘れた小物を「百均」で買いそろえた。これらが旅行中にはなかなかバカにできないのである。それに例え置き忘れたにしても悔いがないのである。

 秋葉原から東京に向かい、JR 総武快速で成田空港第二ターミナルに向かう。最近この辺りの電車も便利になってきた感じがする。無理に「成田エクスプレス」を使わなくても、快速電車で十分である。大阪の関西空港も特急「はるか」を使わなくても、「関空快速」でじゅうぶん間に合うのだ。なぜJRはこういうものに金をかけるのだろうか?


 <搭乗前の安全検査で「没収」された品々のこと>
 参考:成田空港公式サイト:機内持ち込み禁止の危険物代表例
 
実は今回の旅の始めに搭乗前チェックで「没収」されたものが二つある。ひとつはわたしが日頃から所持している「スプレー式消毒アルコール」である。これは毎日の生活でもかなり使用している。こういう時代であるからわたしは衛生面には気を遣っており、これまでの数多くの海外旅行でも当たり前に所持していた。ところがそれが大阪伊丹空港(国内線・機内持ち込み)で初めて「ひっかかった」。若い男性係官は「これはアルコールですね。持ち込み禁止品ですので、放棄してください。捨てますよ。私:「これは単なる消毒用で薄いし危険はない。海外でも一度もひっかかったことはない。」係官「ふたが開いていますし、中身が確かなものかどうか分からないし・・きまりですから・・」私「では飲みかけのウィスキーはどうなるのか?・・」しかしこれは言い争っても勝ち目はない。彼は「入れ物も捨てますよ」という。その事務的な態度に腹が立っていた私は「中身の放棄は分かったが、入れ物は私の所有権に属する。君に捨てる権利があるのか?」と気色張る。彼「では中身を捨ててきてから中を拭きますが、それで良いですか?」こうして彼は小さなプラスティック容器のなかにティッシュペーパーを丸めて入れ、拭き始めた。このやりとりを見ていた若い女性係官が「お手ふきをいくつか持ってきましたのでどうぞ使ってください。」と気を遣う。私は最後に「初めてのことなので言い過ぎた。君たちは仕事なのだからね。」と謝った。その次の日、また東京のドラッグストアで同一品を買い今回の旅に使い続けたが、海外でも一度も「ひっかかること」はなかった。

 もうひとつはスポーツ中後に使う「携帯用酸素ボンベ」である。これは成田空港(チェックト・バゲッジ)でひっかかった。先の大阪伊丹ではひっかかってもいなかった品物である。しかしこれについては「通らないかもしれない」とは思っていた。「持ち込み禁止物リスト」に入っているからだ。しかし預けるバゲッジ(チェックト・バゲッジ)に入れるし、以前にもスキー用ワックススプレーが何度も「パス」していた。今回の南米スキーはホテルベースが標高3000m、スキー場の上限は3400〜3500mだという。高山でのスポーツはたちまち「高山病」を悪化させるという。そのため日頃からやや酸素取り込み量の少ない私は用心に用心を重ねるに越したことはない。そこで無理を承知で入れてみたのである。係官は事情を聞いてから、気の毒そうに「カンを手渡せるお見送りの方は居ませんか?」私「いないから宅配便で送ってみます」係官「宅配便もここでダメなものは預からないと思いますよ」私「やってみます。ダメなら放棄しますから」カンを持って階下のクロネコに行ったが、案の定断られた。こうしてカンは元の場所にもどって「放棄書」はサインされた。私は「未使用品だから君たちにあげる。使ってね」と言い残しその場を去った。

     ←長い間メールをうって時間をつぶす人も・・
             機内では何時間も点検の結果を辛抱づよく待つ

 成田発でのグループ集合は1600である。コンダクターはフェローの千葉さん、もう何度もチリは経験済みの方である。他のツアーの方たちはいつものように航空券、搭乗券をもらうが、私の場合はすでに国内搭乗があったので、全部の航空券を大阪伊丹でもらっていた。

 全行程で利用するエア・カナダはスターアライアンス・グループなので、地上部分はANA全日空が担当する。出発フロアのWゾーンに荷物を持ってゆく。私は上述のようなハップニングがあったが、他の方たちは問題なくチェックト・バゲッジを預けていた。

 1700発のAC002便はエアバスのA340、エア・カナダはこの機種をけっこう保有している。やや遅れ気味に搭乗開始、そしてドアが閉まって滑走路に向かって移動を始めた。しばらく動いてから機はピタッと止まった。当日は成田は出発便がかなり錯綜しており、いつもの管制の離陸指示待ちと思われた。

 しかし、しばらく待ってもまったく動かない。「おかしいですね。よほど滑走路が混んでるんでしょうか・・?」それでもアナウンスはなかった。かなり経った頃、やっと機内アナウンスが言った。まず英語、フランス語である。カナダは英仏両語が公用語のためそうなっている。そして日本人アテンダントが続けて言う。「皆さまにお知らせいたします。当機、ただいまエンジン部分に問題が見つかりました。元の場所に戻りまして、メカニックがチェックいたします。ご迷惑をおかけいたします。今しばらくお待ちください。」英語でも最後の結びは「Thank you for your patience.」である。

 こうして「待つ身はつらい」状態が続くが、誰一人文句も苦情も言わないし、大声を出す者もいない。本を読んだり、MP3を聞いたり、メールを打ったり、機内の新聞をじっと読んでいる。大変マナーが良い客ばかりだ。またも機内アナウンスがあったが、同じことをくり返すばかりである。こういうことが数回あった。しかしお茶ひとつでない。「何にも出ないですね。お茶ひとつ出ないし、無茶ですねえ。」なぞと言ってはみるが、何も進展はなかった。

 こうした「機内留め置き宙ぶらりん状態」が3時間以上続いた後、とうとうアナウンスが言った。「当機、地上メカニックがチェックしておりましたが、エンジンの部品に問題があり、その部品は現在ホンコンにございます。早くても明日の午前中に着く見通しでございます。その場合には明日の午後の出発になる見込みになります。従いまして、今夜は成田にお泊まりいただくことになりますが、ただいま会社の方からホテルと交渉中で、もうしばらくお待ちいただくことになります。大変ご迷惑をおかけいたします。・・・」機内には「あーあ」とか「うーん」とか溜息が充満した。

 航空関係いろいろある中で、墜落、胴体着陸、しりもち事故に次ぐ最悪の事態である。だいたい我々の「チリ・スキー9日間」は一体どうなってしまうのか?!仮に中継地トロントに着いても、果たして接続便があるのか?当初の計画では「スキーは4.5日滑れる」ことにうなっていたが、一体何日滑れるのか?私たちは「ああでもない・こうでもない」と話していた。

     
           がっかりして送迎バスに向かう一行(画像加工済)

 結局4時間以上機内で待たされてから、手荷物を持って「入国審査場」に向かった。もうほとんど日付が変わろうとしていた。さすがにこの時間帯には他の客はほとんど居ない。入国審査官にパスポートを提示すると、出国印の上にVOIDの赤印を押した。つまり一度出国した手続きを無効としたのだ。それは出国したことにならないという意味だ。私もパスポートを作り始めて7,8冊目だが、初めての経験だ。

 千葉さんの指示でバスに乗る。ツアーメンバーは疲れと重い気分のため心なしか口数が少ない。バスは20分ほどでホテルに着いた。それにしてもこういう真夜中に、いきなり数百名の乗客を泊められるホテルがあるのも驚きである。「どうせ緊急だから、木造の古いボロ旅館かもしれませんね。」と私は同行のNさんと話していたが、着いてみるとなかなか立派なホテルである。

 
       ラディソンホテル成田エアポート 写真は宿ぷらざサイトより転載

 到着後、本当なら1800までには食べ始めたはずの夕食を食べる。時刻は夜中の12時過ぎ、急なことなのでホテル側も十分な用意がないらしく、簡単な物ではあった。それでも機内でお茶一杯飲ませてもらえなかった私たちには、十分な「食料」であった。

 少し食べて落ち着いた私たちは、「今日の機内食、また明日出すのとは違うでしょうねえ?」と冗談が言えるまでになっていた。こうして部屋に入ったのは、一時を過ぎていた。あー、明日はどういうことになるのやら?不安でいっぱいであった。

成田空港公式HP

     

(C)2005 All Rights Reserved by Kenji Kakehi
Digital cameras: Canon F828 with Carl Zeiss lenses & Olympus μ15

















南米・アンデススキー・顛末記(3)

DAY 2
なんでなんでナイアガラ観光?!・・長〜〜い一日


成田のホテル朝食




 
 疲れていたのかいつの間にか眠っていた。「どうせ昼までは飛び立てないのだから、ゆっくり寝たらいいですね」とNさんと話して寝ていたのだが、突然のモーニングコールに起こされた。「伝言です。出発が予定より早まったそうです。9時にホテルからバスが出ます。それまでに朝食をお済ませください。」

 急いでNさんと下のラウンジに下りる。もうかなりの人が朝食にかかっていた。ノース・ウェスト航空やKLM航空のパイロットやクルーが目立つ。ここは彼らの定宿だそうである 。ノース・ウェストは経営が傾いている会社、KLMは他のヨーロッパ航空会社に経営テコ入れされそうな会社で、共に危ない会社だ。(帰国後、ノース・ウェストは会社更生法を申請したという報道があった。)

 朝食は「ヴァイキング形式」で気が楽である。最近はこの形式のホテルが多い。ホテルも人手を省けるのだ。私にとって嬉しいのは野菜がたくさん食べられることと好きなものが食べられることだ。これらの料金も当然、エア・カナダ持ちである。食事後部屋に帰り、自分で荷物を持って一階ロビーに下りた。全員が集まったが、出発情報不足のため何となく顔色がさえない。

 バスに乗り空港に向かう。再び入国審査に入り、1114搭乗開始。昨日の機体の昨日の席に乗る。従ってチェックト・バゲッジは積んだままだ。電光掲示板のこの便の表示は「AC002D」となっている。「D」はDelay(遅延)のDだろうか。なぜかまたもや離陸が遅れ、テイクオフは1228。水平飛行になってやっと肩の力が抜けた。この時点で予定より19時間半の遅れである。

 しばらくしてコンビニで売っているようなオニギリが配られた。それでも食べながら「やっと飛び立てたことの喜び」を味わう。その後で朝食、サケかトリかがチョイスできる。先は長い(12時間25分)ので、しっかりタダ酒を味わう。

 
 その後は国際線おきまりの映画鑑賞、かなり長いがそれが済むと室内が暗くなった。毎年のようにカナダは訪れるが、体内時計は「昼・夕」なのに、機内は到着地に合わせて「夜中」である。よほどでないと寝られないが、そこは酒の力と機内の気圧(高度2000mくらいに設定)でいつの間にか眠る。

 「Good morning・・・・」のアナウンスで目が覚める。外はまだ暗い。地平線が次第に明るくなってくる。しばらくして「おめざ」の軽食、一般的には着陸の一時間前がふつうだ。

 


着陸前のトロント郊外
 
 着陸する頃にはすっかり明るくなった。大平原に農地と町が広がる。少しの揺れもなく、着陸態勢に入る。静かな着陸はトロント時間1045。

 添乗の千葉さんは全員そろったところで話をする。聞くと次の出発は夜中の2300!!ワウ!これから12時間以上も先だ!しかも行く先はアルジェンチンのブエノスアイレス!!そこ経由でサンチアゴに向かうという。
    →
エアカナダタイムテーブル
 「まだ何とかサンチアゴ行けるからイイか」と思いながら聞いていると、」新提案があるらしい。時間があるので、空港では時間をつぶせない。ナイアガラ滝が近いので、急遽見学はどうですか?ただし適当なアシがないのでバスをチャーターすると、一人US$50掛かるという。私は初めてだから異議はないが、他の人たちは何度もきている人も居た。それでも彼らは行くという。こうして今回のツアーになかった「ナイアガラ観光」が入った。「南米スキーツアー」に北米のナイアガラとは「すてきな取り合わせ」である。




トロント・ピアソン国際空港 Toronto L..B. Pearson Int'l Airport, ON, Canada




簡単な昼食を食べながら歓談
(画像加工済み)
 
 千葉さんの話によると、エア・カナダ側から昨日のお詫びとして「15000マイルのフライト・ボーナスと10カナダ・ドル相当の食事チケット」がオファーされた。1320さっそくこれを使って全員簡単な昼食を摂る。私はカナダドルの手持ちがなく、ビールはお預けとなる。

 こうしてチャーターバスが来るのを待つことになった。今回のツアーのメンバーはほとんどが初対面なので、こういう機会が自己紹介と意志疎通の場となった。



トロント空港でチャーターバスに乗る
(フェロー・千葉氏撮影提供)
 空港からバスは南下、ハミルトンへ向かう。道は広く流れているので快適である。途中でトラフィックジャムに遭遇したが、これは事故のためらしかった。 
 
 カナダ・オンタリオ州・観光局公式サイト(日本語)
     
 やがて車窓からブドウ畑が見え始める。ナイアガラフォールズ周辺のワイナリーは、ナイアガラの滝から車で30分以内の所に10カ所以上点在しているらしい。テイスティングしてから好きなボトルが買えるというが、今回は団体行動のため、そういう時間はなかった。


 近くのナイアガラ・オン・ザ・レイクという町である。19世紀ビクトリア朝時代の町並みの散策はすてきである。林の緑がいっぱいで、あちこちにある公園にはリスが走り回る。リスは私たちを見ると、懸命に走って木の上に登っていった。
 古い町なので、町中にはバスを留める大きな駐車場はない。少しはずれにある大きな駐車場でバスから降り、無料の連絡ミニバスに乗る。5分くらいで中心部に着く。


 ナイアガラ・オン・ザ・レイク商工会議所公式サイト(英語)

 「Good Old Days=古き良き開拓時代」の雰囲気がいっぱいの町だが、全体的に手入れも良く、街角のハンギングや植え込みには季節の花があふれる。此処がいかに観光に力を入れているかがよく分かる。日本でいうと「木曽路の宿場町」だろうか?


レインボウ・ブリッジとアメリカ滝


オンタリオ州観光局公式サイトより部分転載

 ナイアガラ・リバーの船着き所などを経て、ナイアガラ滝駐車場に到着。バスは我々を降ろしてどこかに消えた。乗客の一部は「霧の乙女号」(左写真)に乗ったものもいる。
  ナイアガラ滝の写真

 滝上にはいつも大きな虹が架かっている。観光客は世界中からきているらしく、英語の他、スペイン語、ドイツ語、朝鮮語、中国語が聞こえてくる。なぜか異常にターバン、サリー姿のインド人らしき姿が多い。ツアーなのだろうか。

←カナダ滝前の筆者 

エア・カナダの搭乗チェックイン

(画像加工済)
 観光後、ナイアガラから約2時間かかって2205にトロント空港帰着。さっそくチェックイン。大きな荷物は「バゲッジ・スルー*」のため、楽ではある。


 *バゲッジ・スルー(スルー・バゲッジ)Through-baggage・・・目的地までに飛行機を1回以上乗り継ぐ時、預けた荷物(Checked-baggageチェックト・バゲッジ)は中継地では受け取らず、最終目的地で受けられる仕組みのこと。CP発達のおかげでうまく機能するようになった。同じエアラインや同じ航空グループ内では通常このようになっている。(ただしカナダなど一部の国では例外がある。参考までに機内持ち込み荷物はCarry-on-baggageキャリーオンバゲッジという。)


私たちの荷物が放り出された
メイン滑走路下のトンネル
 
 なぜか成田でもトロントでも搭乗はゲートから直接ではなく、大きな構内バスで運ばれ、階段を上るようになっていた。飛行機は空港ビルから離れた端に近い場所に止まっていた。この空港は現在国際線ターミナルが新設工事中で空港内の移動が大変である。バスの窓には「今国際線新ターミナルを建設中です。2007年完成までご辛抱ください」という意味のスティッカーが貼ってあった。バスは主要滑走路の下のトンネルを横切って進む。

 その時、グループの仲間が前を指して、「あれあれ!」という。前方を走る機内格納荷物を積んだ牽引車の台車が波打って蛇行していた。そして台車の内の一台が横転し、中の荷物の一部が飛び出した。それらのバゲッジには黄色いタッグ付いている。私たちのツアーのバゲッジだ!

 私たちのバスはその障害物を避けながら、その牽引車を追い越す。見ると運転中の黒人女性は耳の大きなヘッドフォーンを付けて、あたかも音楽に体を合わせるかのようにリズムを取っている。まったく気が付いていない。いい気なモンだ。こちらの女性運転手が追い越しざまに合図でもするのか-と思ったが、まったくそのような素振りは見せなかった。果たして私たちの荷物は搭載されるのか?みんなが心配になっていた。

 
 2355、やっとの事でAC094便、ロングレンジのトロント発ブエノス・アイレス経由サンチアゴ行き(飛行時間・待ち時間合計で14時間40分の予定)が離陸した。こんなに遅い時間なのに、緯度が高いのと高空のため、残照があり空は明るい。離陸後一時間で食事が出る。
 
 南米行きタイム・テーブル
 注:上の時刻表で明らかだが、南米行き(サンチアゴ・ブエノスアイレス)は週四便あり、ブエノスとサンチアゴに交互で先に着くようだ。私たちは一日遅れたために、わざわざ隣の国に行くハメになってしまった。

 機は真っ直ぐ南下して、アメリカの首都ワシントン上空を通過、一路メキシコ湾を南米大陸に向かう。このまま行くと、ブラジルのアマゾン上空を飛ぶはずだ。すでに外は見えなくなっていた。映画の後は暗くなった。ナイトキャップをいただき、「おやすみなさーい」

トロント・ピアソン国際空港

     






南米・アンデススキー・顛末記(4)

DAY 3
なんでなんで「ストライキ」なの?!
<アマゾン上空を飛ぶ>
 朝目が覚めると、窓の外は明るかった。またも酒の力でよく寝た。ディスプレーの表示はブラジルのマナウス上空、つまりアマゾン川流域である。外を覗きさかんに河の姿を追うがまったく見えない。一面の雲と密林らしい緑色だけである。アマゾンの航空写真を予定していたので、少しガッカリである。


←カンポの沼沢地帯
  朝食がすむ頃には機外はすっかり明るくなり、大平原が広がってきた。中学や高校地理で習った「パンパ」であろうか。牛や小麦の大産地である。

 ブラジルからウルグアイを過ぎるとアルゼンチン。高度を次第に下げてゆくのが分かる。集落も大きなものが見えてくる。



←←空から見たブエノスアイレス
ブエノスアイレス空港のエアカナダ機→

ストで職員が誰もいない空港


日本では珍しいアルゼンチン航空機
 
 12時13分たいした揺れもなくブエノスアイレス空港着。私たちはただの「トランジット客」(乗り換え客)なので、1時間ほど待って飛び立つ予定であった。ところが千葉さんが大変なことを聞いてきた。「この空港がさっきストライキに入った」というのである。「ストライキ」・・私たち日本人が最近めっきり聞かなくなった言葉である。「本当に先ほど始まりました」という。では私たちの着陸時はまだ「スト前」だったのか?それとも?それを考えるとおそろしい。

 そうだった。思い出した。この国・アルゼンチンは何年前だったか「倒産、破産した国」だった。それでもまだ国があるから良い。「国破れても山河」もありまだ生きながらえてもいる。こういう国では給料の未払いや遅配があるはずだ。外を見ると本当に誰もいない。(左写真)やはりそうなのだ。

 今回の旅はもうそうでなくても何十時間も遅れている。「ええい、もう好きにしろ!」という感じで、ツアー仲間と二人でバーにビールを飲みに行った。「まあアルゼンチンのビールを味わう絶好の機会かも?」しかしビールを飲んでいると、半分飲んだか飲まない内に、呼びに来た。「ストが中止になったようです。」「なんじゃそりゃ!もう終わりかい?それなら始めからするな!ここの労働者は根性がない!」と私は悪態をついていた。残りのビールを立ったまま一気に飲むしかなかった。


パンパ(大草原)


機はアンデス山脈を越えて
サンチャゴへ向かう

 「ストライキ解除」といっても職員たちはゆっくりゆっくり「職場復帰」したので、結局機は1525になってやっと離陸した。

 機は一路西へ、アンデスへと大草原パンパの上を飛ぶ。やがてむこうに雪を被ったアンデスが見えてきた。山上部分だけが白く、下は岩のままである。(下写真)

     アンデス山脈
 
 17時過ぎ、やっとやっとチリ・サンチアゴに到着した。カナダ・トロントを出てから17時間27分後、成田を出てから39時間42分、このツアーそのものが始まってから、59時間経っている(成田一泊分を含む)。それでもまだ目的地には着いていないのだ!地球は広い!まったくすごい旅だ!

 話は変わるが、私は個人旅行には格安航空券を使う。アジア系航空会社の格安券には時間が掛かるものが多い。つまりヨーロッパに行くためにはまずその会社がある国に行き、乗り換えて目的地に行く。例えば私の使ったマレーシア航空の場合、クアラルンプールで乗り換え、ロンドンまで飛んだ。接続が悪かったので、計23時間ほどかかってしまった。長かった。今回はその2倍半以上である。

 17時22分空港にはバスが待っていた。運転手とガイドが乗っており、名前はマルコさんとポーロさんだそうだ。千葉さんが面白く紹介する。本当の「マルコ・ポーロ」なら中国に行く訳だが・・。

 
 バスは高速道路でサンチアゴの町を走って山に向かう。工事中の場所が多いが、さすがに一国の首都だけあってなかなか近代的である。

 町のどこからでも冠雪のアンデスが見えるのはすてきである。富山の立山、松本の白馬連峰のようなものだが、もっとスケールははるかに大きい。
 千葉さんが「ホテルには大きな売店がありませんから、途中で買い物をします。」という。いわゆる「ガソリンスタンド」付属のスーパーでミネラル・ウォーター大ビンを何本も買い込む。外国旅行ではこれは必需品といってよい。旅慣れた人ほど当たり前に買っている。

 
アンデスの夕焼け


アンデス残照
 
 やがてバスは人里を離れ、山間地に入って行く。道幅は狭く、大型バスの対抗もあまりゆとりはない。勾配もあるが、道も曲がりくねっている。

19時     標高1900m
19時07分 標高2000m
19時13分 標高2400m

 そろそろ路面に雪が現れる。なぜかバスは尻を振りだした。ときどき路肩の雪の壁にわっと近づく。どうもスタッドレス・タイアではないらしい。おそろしいことだ。それでも運転手はまだなんとか進もうとしている。どうも運転手の雪道経験はかなり少ないらしい。これまたおそろしいことである。

 
 1938、とうとう最後はあきらめて、道の真ん中に車を止めた。対向車も通りにくくなった。チェーンを出したのは良いが、慣れていないらしくなかなか付けられない。2000過ぎてやっと完了。時間かかりすぎ〜!
 
 やっとやっと2033にホテル前に到着。ホテルは4ツ星クラス?の「プエルタデルソル」。ヨーロッパ・アルプス顔負けの3000mの標高にあるにしてはまあまあである。それにしてもサンチアゴ空港からここまでは、買い物入れて3時間半、カナダ・トロントを出てから21時間、成田を出てから43時間15分、このツアーそのものが始まってから、62時間半経っている(成田一泊分を含む)。その前の集合時間も入れると、何と65時間もかかってしまった計算になる。本当はこの半分くらいのはずなのである。

 私たちは「やっと着いた」という安堵感と「やっとアンデスに来た」という軽い高調感で、この時点では時差も高度3000mも旅の疲れもさほど感じてはいなかった。その後で遅い夕食が始まったが、正直なところあまり食欲はなかった。こうして長い長い「一日」?が終わった。


リンク: ブエノスアイレス・EZE・国際空港 サンチアゴ・SCL・国際空港

     

(C)2005 All Rights Reserved by Kenji Kakehi
Digital cameras: Canon F828 with Carl Zeiss lenses & Olympus μ15


















サンチャゴ 23:55
23:55
10:30 (+1日)
14:35 (+1日)
92
94
46
27
AC92 - 10月8日より到着時間が11:30(+1日)に変更AC94 - 10月9日より到着時間が15:35(+1日)に変更
ブエノスアイレス 23:55
23:55
14:30 (+1日)
12:10 (+1日)
92
94
46
27

(タイムテーブル:エアカナダ公式サイトより転載)