まとめ



 何処の国でも歴史的に大切なものがある。その中の重要部分が「世界遺産」である。国連の機関であるユネスコは、各国政府に働きかけて推薦リストを作成してもらい、その中から慎重な審査をして決定をしてゆく。したがって、その国(国民)の考える大切なものは網羅されているはずである。今回訪れた大韓民国のそれは以下である。

*(社)日本ユネスコ協会連盟公式サイトより転載 
大韓民国
八萬大蔵経の納められたカヤサンヘインサ |
宗廟(チョンミョ) |
昌徳宮(チャンドグン) |
水原(スーウォン)の華城 |
石窟庵(ソククラム)と仏国寺(プルグクサ) |
高敞(コチャン)、和順(ファスン)、江華(クアンファ)の巨石墓跡 |
慶州(キョンジュ)歴史地域 |

 それらは、日本からもツアーを組んで観光客が訪れる場所である。しかし、今回筆者が訪れた場所はひとつもない。それではさほど韓国民には重要ではない場所のだろうか?答えは勿論、「否」である。西大門刑務所歴史館は、筆者が通った二日間に、多くの保育園児から高校生までが、教師に連れられ「歴史学習」に来ていた。熱心にメモする中学生も多くいた。

 ある韓国人の日本語ガイドはこう言った。「いま、わたしたちの国があるのは、こういう人たちのおかげです。国がなくなる−ということがどんなことか、よく分かります。平和のありがたさも分かります。こういうことは、次の世代にも伝えることなのです。」と。

 「負の世界遺産」として有名な「アウシュヴィッツ強制収容所」は、確かに「ユネスコ世界遺産」だし、広島の原爆ドームも同様である。しかし、この西大門刑務所は登録されていないし、中国人が埋められた中国の「万人坑」も、ピカソの絵画で有名なスペインのあの「ゲルニカ」の町もまったく登録されていないのである。またこの時点で、ユネスコ日本サイトHPには、アフガニスタン(仏教とシルクロード関係)は登場していない。*どんなに歴史的に価値があっても、内戦状態だった国では、まずは「生きる」ことが優先されるのであろう。

*私は個人的には、「タリバン」に破壊された「バーミアンの石窟・石仏」をぜひ世界遺産にしてほしいと思う。そこは、破壊され石片しか残っていないが、シルクロード史、仏教史からいうと大変な価値があるからである。ポーランド・ワルシャワの「旧歴史地区」も、ナチスの空爆で建物すべてが破片になり、長年の苦労の末に再建して世界遺産指定を受けた例がある

 そこには、他国への政治的配慮やその国独自の事情やその政府の考え方があるであろう。しかし「戦争は人類の最大の罪悪」ということを考えると、どんな「負の遺産」でも登録し、世界に知らせること、そして語り継ぐことが肝要なのである。

 さて、前置きが長くなったが、今回筆者が訪れた「刑務所、紀念館、公園」はすべて、朝鮮半島が日本に支配されていた時の「遺物、形見」である。韓・朝鮮民族にとっては、「消し去ってしまいたい場所」かも知れない。しかしながら、ガイドの方が言っていたように、彼らの血と涙の貢献がなかったら、現在の大韓民国の発展はなかったように思われるし、彼らの強い「アイデンティティー」はなかったかも知れない。*

 *日本人は、韓国・朝鮮人たちがスポーツ競技で、「対日本」になると必死になって戦い、勝とうとする姿をずっと見てきた。「日本にだけは負けたくない!」そう見えた。これも歴史の「不幸な出来事」から由来しているだろうことは、想像に難くない。 

 金大中政権になるまでの韓国民の「反日感情」は大変なものだった。雑誌や新聞などの日本語も表面的には禁止されていたし、かなり前のアンケートだが、大嫌いな国の2位が日本だった。(1位は当時のソ連、大好き1位はアメリカ)それは「自分の身内が日本人に非道い目に遭わされた、殺された」という理屈抜きの感情によるものであったであろう。

 しかし最近の日韓関係は比較的良好で、昨年のサッカー世界大会共催では、「友情の輪」も広がった。日本の観光客も韓国の観光客も互いに訪問し合う感じになっている。ほとんどの日本人は、ミョンドンでブランドを買い、ウオーカーヒルでギャンブルをし、美味しい韓国料理を食べ歩いている。また韓国人タレントが日本のTVに出たり、韓国語が話せる日本のタレントが韓国で「活躍」している。大変結構な交流ではある。

 しかしながら、「歴史の事実」は永遠に消えてなくなることはない。人は「与えた傷み」は忘れるが、「受けた傷み」は決して忘れることはない。先述の「韓国語が話せる日本人タレント」が、韓国人の中で流暢な?韓国語を話していた。内容はよくは覚えてはいないが、ある中年韓国男性がこう言った。「あなたはそういうが、韓国の歴史を知って言っているのか?」タレント「知りません・・・・」。彼は何も言えなかった。そのあと、場が急にもり下がってしまった。ほとんどの参加者は韓国の若者だったが、彼らもこれに同調し肯いていた。だれもそのタレントのバックアップはしなかった。しかし、今の日本の若者はそういうものなのだ。学校の社会科でも、ちゃんと習ってはいない。

 戦争時まで兵隊だった日本人は「過去を忘れようとする」し、戦後育った若者は何も歴史を知らず「無邪気に仲良くしよう」とする。こういうのは、やはり両者ともすこし違う気がしてならない。歴史をよく知った上で、よく反省をしてから、お互いに交流をすべきであろう。

 筆者が件の刑務所に行った時、案内のシンピルソン女史が「この慰霊碑の前で小泉首相は参拝しました。ここでは予定の時間を大幅に超過しました。・・」と説明した。彼女の言葉のニュアンスに、好意が含まれていた。何十年も前に「日本人によって殺された人々の慰霊碑」の前で、「加害者である日本人の代表である首相」がお参りするのだ。しかも予定時間を超過して・・。死んだ者はもう還らないし、歴史もプレーバックはできないが、韓国人には若干よい印象を与えたに違いない。これらのことの積み重ねから、「近くて遠い国」が本当に「近くて近い国」になってゆくことであろう。




「秀吉侵略軍」に勝利した「救国の英雄」
李舜臣(イ・スンシン)将軍像

(鐘路区・世宗路)


終わりに


 行き帰り含んで4日間−という短期間に回ったソウルの町ではあった。また一般的な「観光地」も行かず、買い物もせず、グルメもせず滞在した町ではあったが、ほぼ満足している。この春のポーランド・アウシュヴィッツ収容所から帰ってから、次はこの韓国に来たいと思っていたのだ。案の定、ある意味ではアウシュヴィッツより「インパクト」は強かった。それは死者数の多寡とかではない。先祖同胞が「隣国人」に犯した「罪、過ち」の痕跡を見て、体の中を流れる日本人という血が、「異常な反応」をしたからである。

 私が二十年近く前に、三年間滞在したアフリカのアルジェリアは大変遠い国で、日本との確執や因縁は何もなかった。また当時「バブル」で大発展の日本がテレヴィで紹介されたこと、また当時のシャドリという大統領が、「工業化を日本に学べ」と演説していた。これらのことから日本の評判はよく、また子どもは「カラテ」とか言って話しかけてきた。

 こういう国だったが、たったひとつ古いエピソードがあった。日本が朝鮮半島を植民地にした頃、当時フランスの植民地であったアルジェリアを、日本人が見学に来ていた。日本は開国してまだ日が浅く、「植民地経営」のなんたるかもわかっていなかった。そこで、「帝国主義の大先輩」で世界中に植民地を持っているフランスに「範を垂れて」いただいたのだ。その結果、「日帝」の冷酷なまでの「朝鮮経営」になってしまったのだ。実際、フランスの「アルジェ支配」もかなり「えげつないもの」だったという。独立までに多くの婦女子を含む非戦闘員が死亡した。警察力で人民を強圧的に支配する−というのも、「警察国家・フランス仕込み」かも知れない。

 さて話は変わるが、よく「日本が朝鮮半島を植民地にしなかったら、半島は二分されなかった」といわれる。日本が負けて半島から撤退した後、朝鮮戦争が起こったが、これも人々に物質的、人的、精神的な大きな傷跡を残してしまったし、「北」を恨む韓国人が増えたのも事実である。何人かの老人と話をしたが、彼らは異口同音に「北に親・兄弟・戚親がいる。行方は知れない。「北」は教えてもくれない」−と、半ば諦めた様な口調で言うのだ。そしておしなべて、「北は信用できない」と言った。

 滞在したホテルのエレヴェーターの中で、一人の「在日」韓国人中年女性と出会った。彼女は今は北海道の温泉ホテルの専務、ご主人が社長だと言った。降りてから立ち話をした。私が岡山だと知って、「むかし姫路にいた」と言った。しかし姫路では食べていけないし、差別も非道かったので、北海道へ渡り、札幌で裸一貫「焼き肉・飲み屋」から始めたという。そして苦労の末、現在は温泉ホテルを経営しているという。

 私は「里帰りですか?」と訊いた。おそらく遠縁・親戚を訪ねたり、墓参りだろうと思ったのだ。答えが意外であった。「わたしたちに帰るところはありません。私は日本で生まれた二世ですから。・・」それでも、体に流れる血がこの地に来させるのだろうか。彼女は名刺を呉れた。韓国名だった。「国籍は韓国ですか?」と訊くと、「パスポートも韓国です」という。「男の子ども二人ともソウルに留学させました」私「三世でも韓国語は上手なんですか?」「いいえ、こちらに来て一年足らず、会話学校に通いました。」私「でも韓国籍だから、こちらでは差別はないでしょう?」またまた答えが意外だった。「子どもたちは苦労したようです。<在日>と言われていじめられたそうです。」

 そういえば、日本のテレヴィのニュースで、−かなり前、「北朝鮮帰還事業」が始まり、勇んで「帰国」した「在日」達が、祖国で「在日」といわれ差別にあった-と報じていた。あれは「北」だけでなく、「南」で現在も現実にあることなのだった。歴史的に言えば、「在日」達は「好きこのんで日本に来たのではない」のに、なぜ祖国で差別されなければならないのか!?それとも「差別」は、世界中のすべての人間が持つ「もっとも普遍的なもっとも卑しい心根」なのか?、または「人間の悲しい性」なのか?中国の「華僑(華人)」も本国帰国時には差別されているのだろうか?

 話しは戻るが、彼女に「日本国籍を取ることはありませんか?」と訊いてみた。彼女はきっぱり「ありません!取りません!」と声を大きくして答えた。「むかし思ったこともあるけど、このままの方が良いです」「私の友人が、日本国籍を取ったら(帰化)、役所の書類に「新日本人」というような書かれ方をしました。この「新」がとれるのは、三代してからなんです。これで私は考えを変えました。」

 いったん「日本人」になったら、「新」も「旧」もあるものだろうか!?明治期に「四民平等」といわれ、江戸時代まで差別されてきた「部落民」が「平民」になった。しかし書類では、「新平民」とかかれ、「シンヘイ」と呼ばれ、差別が続いた。これでは日本は「民主主義国家」ではなく、「封建国家」だ。ヨーロッパでも幾分は差別が残る*ものの、移民は条件を満たせば、比較的「市民権」が取れている。フランスのサッカーのヒーロー、ジダンも「アルジェリア移民の子」だ。

*「差別」は世界のほとんどの国・地域で見られる。日本でも既述の「在日」の人々に対しての他、旧「部落」出身者、「アイヌ人」、アジア系などに対して、現在でも存在する。世界では、ユダヤ人に対してのものが有名だが、アメリカでは「WTCビル爆破テロ」以来、アラブ系の人たちにも差別が行われてきている。ヨーロッパでも、イスラム系出稼ぎ者や少数民族、アフリカ系に対して、歴然と差別がある。

 我が国封建時代の(武家)女性はよく、「三界に家なし」といわれ、大変つらい立場にあった。「在日」達は、戦後60年近くなっても差別を受け続けているのだ。まさに「戦前、戦後日本、母国」の三界に家がない感じである。日本が20世紀に入ってからやって来たことの「後遺症」が、未だに残っているといえる。「在日」にはまだ「戦後」が終わっていないのである。
                                        (おわり)
                                





特 記



豊臣秀吉の朝鮮侵略ならびに
明治期以降「日帝」・日本帝国主義によって
被害を受けられた朝鮮半島の方々、また戦時中「日本軍人・軍属」として
戦死された方々、日本軍に「従軍慰安婦」として連行され亡くなられた方々、
および日本国内で関東大震災時に日本人に虐殺された方々、日本の鉱山工場等で
暴行死、過労死された韓国・朝鮮、「在日」の方々のご冥福をお祈りします



カムサハムニダ、心よりお礼申し上げます


取材協力者または協力いただいた方々(敬称略・順不同)


名尾 晴美 たび2050」サイト、世一(セイル)旅行社、ソウル店
        ご感想いただきました
慎  必順
(シンピルソン)
西大門刑務所歴史館 ヴォランティア日本語ガイド、通訳
金  鴻哉
(キムホンジェ)
西大門刑務所歴史館 ヴォランティア日本語ガイド
かん 泰一
(カンテイイル)
MOAM 韓日文化日本語同好會 會長

西大門刑務所歴史館に展示の写真、展示物等はすべて歴史館に著作権があります
ご協力いただいたことに感謝いたします
Photos and Exhibitions: All rights Reserved by Seodaemun History Hall


参考・引用・使用したウェブサイト並びに本・著作物等

西大門刑務所歴史館
公式ガイド(日本語版・英語版)
西大門刑務所歴史館
写真図説 日本の侵略 大月書店
日本全史 講談社
日本史資料 東京法令
地球の歩き方 ソウル 地球の歩き方D13 ダイアモンド社
日本政治裁判史録(明治後) 我妻栄 第一法規
中国の旅 本田勝一 朝日新聞
日本死刑史 森川哲郎 日本文芸社
検定不合格日本史 家永三郎 三一書房
たび2050」サイト 世一(セイル)旅行社、ソウル
西大門刑務所歴史館(公式サイト)
西大門(ソデ厶ン)刑務所歴史館 真宗大谷派(東本願寺)名古屋教区児童教化連盟
ガイド・コレア (株)コーロンTNS、一般旅行業40号
安重根義士記念館公式サイト
韓国観光公社公式サイト

今回行けなかった場所
(〒)330-843 忠清南道天安市木川面南化里230番地







大韓民国
京城市
西大門刑務所
歴史館


2003年7月*日
HP初稿脱稿

KK版権所有


(C)2003, All Rights Reserved by KK, Japan