10サハラで死体を運んだ話
(アルジェリア)
 
 この話は私のアルジェ在住時代に、外交関係の方から伺った話である。実話であるが、何分古い話で記憶が定かでない点があり、事実とやや異なるところがあるかもしれないことを、前もってお断りしておく。
 
 「外交官」といえば、華やかな仕事ばかりのように思われるが、実際は種々雑多な「仕事」が含まれている。もともと「外交官」の仕事は、外国と交渉やつきあいの最前線の仕事に加えて、「邦人の保護」という仕事がある。パスポートを持っておられる方は見ていただきたい。写真を貼った隣にこう書いてある。

「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」

 上記は日本の外務省が外国の関係機関に要請したものだが、外務省の出先機関(大使館等の在外公館)がある場合は、そこが「邦人(=日本人)の面倒」を見ることになる。例えば、旅行中にパスポートや金品をとられた場合、まず現地の警察に届け出るが、その後で「大使館領事部、領事館」に届け出て、パスポートの再発行他の手続きをとることになる。また誘拐事件などの場合は、本国と連絡を取って適切な処置をとることになっている。近年は日本人の海外旅行者が増加しているので、邦人が犯罪などに巻き込まれることが多く、外務省もホームページで注意を呼びかけている。
                 「外務省海外安全ホームページ」
 
 このように、在外公館の仕事はたくさんある。相手が「生きている人間」の場合はまだ良いが、これが「死人」の場合でも「日本人」と分かると、「対応」しなければならないのである。ある日のこと、アルジェの公館(大使館)に、アルジェリア外務省経由で現地の役所から連絡が入った。「ニジェールから入国した自転車旅行の若い男が、病気で死んだ。日本のパスポートを所持している。タマンラセットに死体が保管されているので、確認の上死体を引き取ってもらいたい。」


ガルダイアからエル・ゴレアへの道
 
 こういう場合は、ふつう大使館「領事部」の仕事である。領事部は何人も職員がいるが、他の職員は仕事がふさがっていて、話をしてくださった方に「白羽の矢」が当たってしまった。「飛行機で運ぶのが手っ取り早い」と航空会社に問い合わせると、「死体は運ばない」というつれない返事であった。仕方がないのでトラックを手配し、大使館勤務のアルジェリア人運転手に運転させ、助手席に乗って出発した。アルジェからサハラ南端の町タマンラセットまでは片道およそ2000kmで、休まずに行っても3日はかかる。こうして苦労しながらタマンラセットにやっと到着し、連絡のあった場所に向かった。

Dunes  サハラの砂丘

 安置所のある場所は「死体保存用冷蔵庫」がなく、物置のような場所にムシロがかけられて死体が無造作においてあった。真夏ではなかったが、サハラの町で死後一週間近くなると、腐敗がかなり進む。腐臭もすごい。室内に入った瞬間、吐き気を催した。死因はマラリアらしかった。ナイジェリア、ニジェールなど「熱帯」で蚊に刺されると、自転車でアルジェリアに入国する頃には発病する。パスポートや遺品を確認し、死体を荷台に乗せてからアルジェに向かった。エアコンのないトラックは窓を開けて走るが、後方から風に乗って腐敗臭が漂ってくる。ムカムカして何度も吐きそうになった。タオルを顔に巻いたが、後になるほど臭いは強くなった。泊めてくれるホテルもないので、車内で仮眠しながら走り続けた。こうしてまたも2000kmを走り抜き、這々(ほうほう)の体(てい)でアルジェに帰ってきた。

オアシスの風景(古い版画より)
 
 帰ってきたところで、日本の家族からの連絡が入った。結論からいうと、「死体受け取り拒否」だという。理由は、「あの子は定職にも就かず、勝手に海外へ出て旅行ばかりしていた。家族はずっと大変迷惑をしていた。現在は<勘当>の身なので、死体も遺品も要らない。適当に<処分>して下さい。」 これには百戦錬磨の大使館員たちも、二の句が継げなかったという。
 
 そうこうしているうちにも、死体の腐敗は続く。飛行機で「腐乱死体」は運べないので、海岸へ運び焼くことにした。ところが今度は地元警察から「待った!」がかかった。「火葬は相ならん」というのだ。アルジェリアをはじめ、イスラム教の国は「土葬」が原則である。従って「火葬などとんでもない」ということになる。大使館は困り果て、アルジェリアの外務省に泣きついた。死体が腐敗して日本へ運べないこと、日本は仏教なので「火葬が原則」なことなどなどいろいろ説明して、やっと「火葬許可」をもらった。





 こうして海岸に薪を積み上げて、死体を焼くことにした。「昼間は近隣の住民が見に来るのでまずい」として、真夜中に「こっそり」焼いた。髪の焼ける様な死体の焼ける臭いを嗅ぎながら、「因果な商売だ」と思ったという。焼けてしまうまで徹夜して、朝骨を拾い上げて陶器の壺に入れ、大使館に持ち帰った。そして後日、大使館員が「連絡業務出張」で日本に帰る時いっしょに持ち帰り、「ホトケさん」の故郷の実家まで運んだ。しかし、あまり感謝はされなかったという。
 
 この話をして下さった方は、最後に「何度思い出しても嫌な話です」と話された。それにしても、「サハラくんだりまで好きで行った」とはいえ、「異国の果てサハラ」で亡くなった若者の「無念さ」は如何ばかりであろうか?。また最期の瞬間に、彼の脳裏に浮かんだことは何だったのであろうか?