5 「我が家」が消えた!!

(アルジェリア)

アルジェ市遠望、中央奥がカスバ

 「我が家が消えた」といっても、わたしの家ではない。これは、商社の方から伺った話である。ちょっと信じられないような話だが、日頃から懇意にしていた方なので、その信憑性については、疑ってはいない。
 
 本題に入る前に、状況を説明しておこう。このアフリカの地では、エジプトのカイロなどのごく僅かの例外を除いては、当然ながら、日本食品などはまったく売っていなかった。そういう状況なので、会社では「米などの主要な物」については、わざわざ輸入して、社員の生活をサポートしていた。しかし、多くの生活物資などは、とうてい手には入らなかった。地元の商品は、現代の日本人には、品質的に使いにくい物であった。

 そういう特殊事情があったので、会社の方も仕事が一段落すると、社員にまとまった休みを与え、ヨーロッパで買い物することを認めていた。また、イスラム教の国の生活、しきたりは、日本人のとはあまりに違いすぎて、仕事以外の日常生活でも、家族も含めて大変ストレスが貯まりやすかった。そういう意味でも、「まとまったヴァカンス*は、誰にも必要な物」−というのは当地在住の外国人には「常識」であった。

         
*ヴァカンス・・・フランス語で休暇の意。英語では、ヴァケイションという。

 さて、本題に入ろう。その商社の方の話によると、ストーリーは以下のようである。その方と同じ会社の方が、ヴァカンスでフランスに家族連れて出た。普通であると、最低一週間は、ヨーロッパで生活用品、日本食品の買い物や小旅行をして、「命の洗濯」をする。この商社の方を仮にAさんとする。Aさんも他の人と同じように、ヴァカンスを終えて多くの荷物を持ってアルジェに帰ってきた。

 家の前まで帰って来たとき、「何か違うぞ。」と気がついた。閉めたはずの二階の窓が開いている。人がいる気配がする。玄関の鍵を開けて中に入ると、何と人が住んでいた。しかも知らない家族が住んでいる。早速、「これは私の家だ。」と何度も言ったが、相手は「いや、私が借りている家だ。」と主張、ラチが明かない。こちらも家賃半年分を、前もって払ってしまっている

 そこで大家の家へ行き、事情を話した。ここで当然大家は、「それはおかしい。私が行って追い出してあげよう。」と言うだろうと思っていると、何と大家は、「あなたに貸した覚えはない。知らない。」と言った。Aさんは気色ばんで、「あなたと契約書まで交わしただろう!」と言ったが、「じゃあ、それを出してご覧。」と言われ困ってしまった。その家はもう他人が入って、かなり室内も様子が変わっていたのだった。契約書を入れた棚も、すでに元の場所にはなかった。もう処分されているかもしれなかった。
 
 もし警察に駆け込んでも、警察はアルジェリア人の大家と、よそ者の日本人のどちらの言うことを信じるだろうか。案の定、相手にはしてもらえなかったのだった。こうして策の尽きたAさんは、とりあえずホテルの部屋を借りた。しかし、部屋に入ってじっと考えるにつけ、ますます悔しさがこみ上げてきた。しかしいくら考えても、状況はAさんに不利であった。入居者が大家とグルになっていなければ、こんなことは決してできはしなかった。

 幸い、家に現金など金目の物は置いていなかった。さて、ここからがAさんが商社マンたる所以を発揮する。商社マンは「ネゴ」が得意である。ネゴとはネゴシエイション(交渉)である。毎日仕事で、したたかな「アラブ商人」と渡り合って仕事をしている。そこで、「名を捨て実を取る」作戦に出たのだ。何と、大家や入居者と「交渉」を重ね、家の中に残っていた服や一部の生活用品を取り戻したのだった。
 
 さて、みなさんはこの話を読んで、どんな感想をお持ちですか?わが日本ではとてもありそうにもない話ですが、この話の「教訓」は何でしょうか?まことに世界は広く、いろいろなことがありますね。