「第二次世界大戦博物館」のこと "WW2 Museum"in Kanchanaburi

入り口から見た
博物館
(筆者写)

 慰霊塔の直ぐ近くに、この博物館はあった。とは言っても、展示は戦争関係だけではない。動物や生活関係などの展示もあり、全体的にはこぢんまりした中国風の建物である。名前ほどは立派でない。日本でいうと、いなかの「郷土館」レヴェルである。

手前から
東条英機、
ムッソリーニ、
ヒトラー、
山下奉文
(筆者写)
 
 戦争関係の別館の入り口には、彩色された大きな土製人形があった。造りのやや稚拙な人形である。不思議なことに、なぜか昭和天皇が連合国側にいるのだ。戦争を終わらせたからなのか、それとも他の理由からなのかは分からなかった。


 向かって入り口左には、  向かって入り口右には
 日本の東条英機首相
 イタリアのムッソリーニ総統
 ドイツのヒトラー総統
 日本の山下奉文中将
   
(シンガポール陥落時の司令官)
 フランスのドゴール将軍
 イギリスのチャーチル首相
 ソ連のスターリン首相
 米国のマッカーサー元帥

    (GHQ・「日本占領軍」最高司令官)

 米国のルーズベルト大統領
 米国のアインシュタイン博士
 日本の昭和天皇
 
 中に入ると、地図や写真や日本軍、連合国側の武器が展示してあったが、真ん中の台の上になにやら得体の知れない物が置いてあった。薄暗い室内で目を凝らしてみると、白いものは確かに人骨であった。黄土色の土の中に白いかけらが点々と見える。近寄って説明書きを見ると、こう言う意味のことが書いてあった。

掘り出した別の骨の展示(筆者写)
 日本軍は橋の建設のために、捕虜にした連合軍兵士以外にも地元の人々も徴用した。中国系、マレー系や山岳少数民族も含まれ、労働に当たったが、過酷な環境のために多くの者が亡くなった。しかし穴を掘って埋めたため、現在でもこの近辺からは骨が出てくる

 それも粉々になった骨片がくっついたり重なっている。展示自体は、1m四方ぐらいの小さなものであったが、この中に何体分があるのだろうか。日本軍は捕虜でもない地元の人や、他国から半ば騙して徴用したアジア人たちをこき使い、死ぬと動物でも捨てるかのように穴を掘ってうち捨てたのだ。当然、遺族に連絡も補償もなかっただろう。未だにこのあたりに霊が彷徨っている気がする。戦争とはいえ、タイ人と同じ仏教を信奉する民族がしたことなのだ。私は骨を見つめたまま、しばらくはそこを動けなかった。

 建設現場のアジア人労務者「日本の侵略」

 以前沖縄に行ったときに、若いバスガイドがこういっていた。「あそこの海岸沿いの畑を掘ると、今でも骨がたくさん出てきます。そしてそれはこの島のどこでも普通のことです。」いままでなんども同じことを喋ったのであろう。意外に淡々と彼女はいった。その時もなぜか悲しい思いをしたが、ここではもっと複雑な感情になった。

 此処では
日本人は明らかに加害者である。私たち日本人は、一体どうしたらいいのだろうか。どうすべきなのか。何ができるのか。そんなことが、頭の中を駆けめぐった。日本人には第二次大戦は遠い昔のことと思われていて、日本政府は「戦後の賠償で戦後処理は済んだ」と言うが、ここの人たちの「戦争」はまだ終わっていないような気がした。
  

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