(JRの禁煙車と禁煙の状況)

 わたしはタバコを吸っていた時代、よく喫茶店に行っていた。しかしタバコを止めてからは、パタッと行かなくなった。とにかく、あそこは煙くてしょうがない。アメリカ、カナダなどではレストランに入ると、店員が寄ってきて「スモウキング?オア、ノットスモウキング?(喫煙席か?禁煙席か?)」とかならず聞く。それが当たり前のことなのだ。だから日本では、私たち夫婦は煙から逃れようとして、また新鮮な空気を求めて、レストランの中をさまようのだ。

 しかし時代の流れか、さすがに「遅れている日本のJR」でも、喫煙所を除いて「構内終日禁煙」になったのは喜ばしい。また、通勤電車は「全車両禁煙」である。新幹線でも「禁煙自由席」がいままでの」1,2号車に加えて、5号車も加わった。お金を余分に出せば、「禁煙指定席」の6,7号車も「スモーク・フリー(煙なし)」である。

   
 新幹線・ひかり100系  JR西日本HPより転載  

  

 だが考えてみると、これも少しおかしいのだ。1、2、5号車には、タバコが嫌いな人は言うまでもなく、赤ちゃん連れの若い母親、老人夫婦、マスク姿の風邪を引いた人、アレルギーや気管支の弱い人が多く目につく。私もここの「常連(おなじみさん)だからよく知っている。ところがこういう「強くない人たち=社会的弱者)が乗るのが、「いちばん端の1号車や2号車」というのは、いったいどうしたものだろう。こういう人たちは乗り降りのたびに、ホームを長く歩いて端まで行かねばならない。

 確かに、もっとお金を出せば、「禁煙指定席」の6,7号車に座れる。このあたりは、プラットフォームに降りるとすぐエスカレーターがあったり、階段があるという便利な所だ。何か納得できないのは、私だけであろうか?なお、参考までに言うと、「車いす対応座席」は、座席指定の11号車にしか存在しない。これは昨年行ったアメリカのサンフランシスコ、空港・市内連絡バスより悪い条件である。どのバスにも、ひとつやふたつの「車いす席」があった。日本では、「車いす」の人たちはまだまだ「肩身
かたみが狭い」。

 アメリカではもう14,5年も前から、人が集まるあらゆる場所では、法律で「全面禁煙」となった。現在アメリカの航空機は、ごく一部の長距離路線を除いて、「完全禁煙」である。「最もタバコが好きな国民」といわれたフランスでも、10年ほど前に<20人以上集まるレストラン、公共の場所では「禁煙」>となった。私の感じでは、大体守られているようだ。なんでもが、割に「おおらかな国」オーストラリアでも、私が行った9年前には、すでに駅などに「この4月から禁煙になりました。ご協力お願いします。」と掲示があった。

(タバコの注意書き)

 さて少し話は変わるが、タバコについてみてみよう。世界のどこの国でも、タバコの表面には、「注意書き」が印刷されているのは、皆さんも知っているだろう。これは国によってどう違うのだろうか?
               ( 「子どもに無煙環境を」推進協議会・HPサイト*より転載)


世界のタバコの注意書きを見てみよう!
日本国旗
日本
あなたの健康を損なう(そこなう)おそれがありますので吸いすぎに注意しましょう
EU国旗
EU(欧州連合)各国
喫煙はがんの原因である
喫煙は心ぞう病の原因である
喫煙は致命的疾患(ちめいてきしっかん)の原因である
喫煙で死亡する可能性がある
妊娠中の喫煙はあなたの子どもの有害である
アメリカ国旗
アメリカ
喫煙は肺がん、心ぞう病、肺気腫(はいきしゅ)の原因であり、また妊娠を困難(こんなん)にする
今喫煙をやめると、あなたの健康への重大(じゅうだい)なリスクがおおはばに低減(ていげん)する
妊婦の喫煙は、胎児障害(たいじしょうがい)、未熟児出産(みじゅくじしゅっさん)、低体重児出産(ていたいじゅうじしゆっさん)の原因となる
紙まきタバコのけむりは一酸化炭素を含む
カナダ国旗
カナダ
タバコは依存性(いぞんせい)がある
喫煙はあなたを殺すかもしれない


 全部を見比べると、なんか日本の表現は「やさしい、おだやか」と思える?さらに、そのあとには、「タバコは二十歳になってから」と書いてある。これでは、「子どもは喫煙はダメですが、大人になったらタバコは吸ってもいいですよ」といっているようだ。国、市町村からいうと、タバコの「税金」は大きな収入なのだ。とうぜん、タバコの売り上げが減ると、入ってくる「税金」は少しになるのだ。


マンガでみる税金とタバコの害*(リンク)


(タバコを取り巻く環境と裁判・肺ガンの恐怖)

 しかし、「世界の流れ」はそんなものではない。もう10年くらい前から、アメリカではガンで死んだ人の家族が、タバコ会社を裁判に訴えてきた。まだそのころは勝てなかったが、最近になって、「すごい判決」が裁判所で下った。「生きている肺ガンになった人たち」が、タバコ会社を訴えたのだった。



 喫煙賠償
(きつえんばいしょう)、61兆円にも たばこ5社の責任を認定
                              −−米州郡裁判所評決

                            
より【毎日新聞2002年7月8日】


 もうかなり前になるが、私はオーストラリアのブリスベーンで、「ホームステイ」したことがある。そこのホスト夫妻は、オランダから移民をした老夫婦であった。ご主人のハーマンは、若くしてこの国に移民してから、働きに働いた。彼はまた、大変「ヘヴィー・スモーカー」であった。子供がつぎつぎに生まれ、家族が順調にふえていき、二男三女までになっていた。

 ところが悪いことに、彼にかなり重い肺ガンが見つかった。医者は、「たとえ手術をしても、うまくゆく可能性は5%、大変難しい。」と正直に言った。彼は妻イッチャとともに大変悩んだが、「このまま手をこまねいて、死ぬわけにはゆかない。妻や子どもたちのためにも、生きる可能性にかけよう。」と決意し、大手術をしたのだった。こうして、彼の「生きる気力」がガンに勝ったのか、一命をとりとめた。このことは、彼の「人生観」をガラッと変えた。彼は今ではもちろんタバコを断ち、可愛い孫たちの顔を時々見ることを楽しみに、マイペースでしかし、死ぬまで働きたいと考えている。



                     

 

印は下記より転載
HP(リンク)2002/10転載許可済