<はじめに> Preface
 「オーストリアのヴィーン(ウィーン)」と言えば、ひとによって頭に浮かぶものが違うかもしれない。古い映画ファンであれば、あの名優オーソン=ウェルズ主演の「第三の男」のシーン、特にプラター遊園地の大観覧車(右)の場面がでてくるだろうし、歴史に興味を持つ人にとっては、あの栄華を誇ったハプスブルグ家の女帝マリア=テレジアとその娘マリー=アントワネットの話を思い出すだろう。戦争に詳しいものなら、あのヒトラーはこの街で画学生をやっていたことがでてくるだろう。そしてクラシックファンなら、世界最高のオーケストラと言われる、ヴィーン・フィルや作曲家モーツァルトが思い起こされるだろう。
ヴィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)  Wiener Staats Oper
衛星写真と地図(Google)

ブルク庭園のモーツァルト像
Mozarts Denkmal
衛星写真と地図(Google)
 
 一度この街を歩いたことのある人なら分かるが、歴史の古い一国の首都としては、大きすぎず小さすぎず、
リンク(環状道路)の大通りを軸に落ち着いた佇まいを見せ、歩くたびに何か歴史に由来するものにさりげなく出会える−そんな街である。そういう中で中心部(シュタットミッテ)のその中心に存在するのが、聖シュテファン大聖堂(ザンクトシュテファンスドーム)である。そしてそれに近い所に位置するのが、ヴィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)である。いわば「音楽の都」のまた中心といえるだろう。旅行者はここを振り出しに観光に入ることが多い。位置的にも、目印としても、分かりやすいからである。

 そこから
オーパーリンクに沿って歩き始めると、まず出会うのが文豪ゲーテの座像である。そのそばのブルク庭園にはモーツァルトの立像がある。四月になったばかりで、まだ完全とはいえないこの国の春だが、像の傍の大きな木はもう黄色い花を開かせているし、像の前のト音記号にデザインされた花々は、すでに満開になっていた。ベンチには、やっと訪れた春を惜しむように老夫婦が腰掛け、日がな一日周りを眺めている。

 逆に、国立歌劇場から反対側のケルントナーリンクの方に歩くと、コンツェルトハウスの近くにはベートーヴェン(正しくはビイートホーフェン)の像があり、さらに向こうの市立公園には、作曲家ヨハン=シュトラウスブルックナー、シューベルトの像がある。それらが誠に自然に街の景観に溶けこんでいて、意識せずとも「音楽の都」を肌で感じさせてくれる。


   
 
 もう15,6年前になるか、初めてこの街を訪れたとき、どうしてもモーツァルトやベートーヴェンの墓詣でがしたくて、
中央墓地(ツェントラルフリードホフ)を探して、花を置いてきたことがあった。あの時、ヨーロッパ第二位という墓地の大きさに驚き、高名な作曲家を探して歩くうちに、偶然にも名優や名歌手の墓まで見つけ、いつかもっと調べてみたいと思っていた。今回ひょんなことから格安航空券(往復39000円))が手に入り、ヴィーンに行くことにした。

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ホームページで「墓」について調べることにしたら、何とわたしのためにあるようなサイト(上)が見つかった。その名を
" FIND A GRAVE "という。文字通り、「墓を見つけろ」というサイトだ。超マニアか「オタク」みたいな人間が作っているのかと思ったら、中身はマトモで、俳優、歴史上の人物、作家や詩人、音楽家ばかりか、歴史にでてくる犯罪者の墓のある都市名や墓地名までが分かり、一部には墓や棺の写真までが載っている。およそ米国・西欧世界を網羅しているうえ、その情報量は膨大で、ただただ感心して見ていくと、ヴィーン市内の墓地もたくさん入っていた。

 ずいぶん前置きが長くなったが、ここからいよいよ本題の
「墓めぐり」となる。なおここで、以下の文章は、主として作曲家、演奏家などクラシック音楽関係者と歴史上の人物が中心であることを、予めお断りしておく。