グレート・ディヴァイディング山脈を越えて
Beyond the Great Dividing Range
第一回
1st Drive
1993


 

    



右が一回目コース(紺)、左が二回目コース(青)  ランドクルーザー60(オーストラリア仕様車*2
Toyota Land Cruiser 60


1993年の冬8月*1に、トヨタランドクルーザー60という四輪駆動車(4WD)のレンタカーを借りた。地図で分かるようにブリスベーンを出発し、大分水嶺(グレート・ディヴァイディ゙ング)山脈を越えて、その西側を北上して帰ってきた。この旅が私(たち)のオーストラリア・ドライヴの始まりだった。この旅で、途中に見たり経験したことを、簡単にまとめると以下のようになる。(以上全てQLDクイーンズランド州)
     
*1南半球は季節が逆になる  
*2オーストラリア仕様車・・細かい違いの他には燃料タンクが日本仕様の2倍の180リッターある
世界地図帳、社会の教科書にも載っているグレート・ディヴァイディング山脈は、想像したよりなだらかで、峠も海抜1000+m程度、意外とあっさりと越えた。
この山脈周辺は、牧場が多く牛が多い。これは年間降雨量が多いことを意味する。一般に、雨が少ない地域は羊が多い。
田舎の道路はほとんど直線だが、カンガルーの轢死体が多く目につく。多いところは100mおきにある。カンガルーは夜行性で、車のライトに向かって飛び込んでくる (運転していて怖い!)
カーナヴォン国立公園は、亜熱帯性の森が素敵でゆっくり歩きたいところだ(キャンプ場などの施設も完備)
エメラルドの西のサファイアという鉱山町では、その名通りサファイアを産出する。観光開発はまだ。
カンガルー ウォンバット
 以前から、「広いオーストラリアを四輪駆動車で走りたい」と思っていた。その国で運転するのが最初ということもあって、また国の広さもあってか、見る景色そのものが新鮮で、ことあるたびに感動していた。また道路上のカンガルーの死体の多さにも驚いた。場所にもよるが、田舎の道は特に多い。この国全体では、年間何匹が死亡するのかと考えさせられた。野生と人間の共存は、なかなかむずかしいと感じた。

 この国の交通は、日本と同じ「車は左側通行」で運転しやすいが、多くの交差点は日本にはない「ロータリー式」になっており、信号はなかった。「右から来た車が優先」だけ守れば簡単に通れる。ただし都会では、日本と変わらない「信号式」交差点である。日本と大いに違うことは、ここの人たちの
運転マナーの良さである。本当に交通の規則を守っている。信号が赤になって、進入する車は一台もいない。「罰金が厳しいからだ」との見解もあるが、「規則とは何か?」「何のために規則はあるのか」を考えさせられる。

 オーストラリア仕様の四輪駆動車は、燃料タンクが2つあるのも驚きだった。ちょうど日本の同型車の倍の容量(180リットル)である。四駆に乗らなくては走れないところで(主要道以外は未舗装路)、燃料がなくなると、時として「死」を意味するこの国では、当然のことかも知れない。そういう意味では、日本で四駆は「必然性」があまりなく、積雪地、道路工事現場以外では用途が限られ、実用性は低い。敢えて言うなら、日本の四駆は一種の「ファッション」であり、「トレンド」に近い。(かくいう私の愛車も、ランクル80という四駆だが、スキー用に使用している。)

 もう一つ心に残ったのは、
オーストラリア人の優しさ、親切さである。田舎では、外国人なのに(だからか)、よく声をかけてくれる。内陸部では、「日本人が珍しい」とも言っていた。観光ポイントがないのもあってか、観光客はここら辺までは来ない。いちど、山道で夕焼けがきれいで車を止めて見ていたら、通りかかった車が「大丈夫か?本当に困ってないか?」と本気でたずねてくれた。この旅で心に残ったのは、偉大な自然そのものもあるが、むしろ人間の方だった。こうして、オーストラリア人がどんどん好きになった。広い国では「お互い様」で、助け合いが当たり前と言うことなのか?それとも、広いところに住んでいると、心まで寛くなるのかしらん。


(このツアーで通過した町、場所)
ブリスベーン
-イプスウィッチ-ウオーウィック-グーンディウィンディ-セント・ジョージ-ローマ-カーナヴォン渓谷−スプリングシュア−サファイア−
ブラックウオーター−デュアリンガ−ムーラ−ガインダ−キンガロイ−キルコイ−
ブリスベーン