第十日目 (Day 10, Aug 16) ホールズ・クリーク発 (晴れ) 拍子抜け?検疫所通過
Halls Creek (WA)〜Adelaide River (NT)

冠水した国道一号線 Great Northern Highway
 本日も移動日、距離を稼ぐために早めに出発する。108km走ったところで、バングル・バングル国立公園方面への分岐点にさしかかる。奇岩で有名な所で、本当は行きたかったのだが、時間の関係で今回はパス。山道を飛ばしていたら、いきなり道路が冠水していた。(上写真) 大雨もなかったようだから、いつもこんなのだろう。それにしても、これでも「国道一号線」なのである。
   
 クヌナッラの手前、朝から346km走ったところで、水を満々とたたえた人造湖に出会う。大きなダムの上を国道は走る。信号付の交互通行である。久しぶりに水を見ると、心が和む。岸辺には、水鳥が巣を作っているのが見える。このダムはオード川灌漑計画で作り始められ、1972年に完成した。湖はシドニー湾の9倍の水量があるそうだ。さらに上流にあるアーガイル湖は、
南半球最大の人工湖だという。
クヌナッラ迂回水路ダム

KununurraDiversionDam
 クヌナッラから43km走って、西オーストラリア州の動植物検疫所を通過する。今回は、拍子抜けした。前述の如く、入州の時に野菜類を没収されたので、今度は果物野菜類をコン限り食べ、更に一つの袋にまとめて準備しておいたのである。それが、反対車線にだけ検問所があり(下写真)、州を出る我々はフリーパスなのであった。慌てて食べて損した?気分である。考えてみれば、農業州である西オーストラリア州は、他の州から病害虫が入らなければそれでよいのであった
西オーストラリア州検疫所を振り返ってみる WA Quarantine(WA/NT Border) 
上と同じ場所の反対方向 「ノーザンテリトリー州はスピード・レーダーと交差点の違反撮影カメラを使っていますよ」−という警告表示板
 こうして、いとも簡単にノーザン・テリトリー州に入った。この辺りから変わった形の木が増えてくる。「バオバブの木」である。まるで便秘でもしているような形は、見るだけでも楽しい。アフリカにも同じ木があるそうだ。太古、本当に「世界は一つ」だったらしいが、その「パンゲア大陸」のアフリカとオーストラリアの部分が、繋がっていたという。その時以来生えているのだろうか。アフリカでは、内部の水分が多いため、水をとる木なのだそうだ。その形から、神が宿っていると信じられてきたという。ディズニーのアニメに出てきそうな雰囲気である。
神秘の木バオバブとアリ塚 同じ物はアフリカのマダカスカル島にあるという
Boab Jail Tree and Ant-hill
アリ塚も相変わらず林立しているが、この辺りのは、背が高く、高さ3ー5mくらいのも多い。それにしても、次第に熱帯に入って、雨も多くなり水害もあるらしいが、そのとき、低地にあるアリ塚のアリは、どうするのだろうか?。
どうでもいいことが気になる。

 だんだん土地の高度が低くなり、牧場が増えて牛が目立ってくる。川もその水量も増え、岩との造形美も目を楽しませてくれる。林が焼けた痕や、現に燃えている林もあり、高く上がる煙で、
ブッシュ・ファイアの様子は、遠くからでも観察できる。

 朝から870km走って、分岐点のキャサリンに、夕刻7:19に着く。キャサリンは、人口7000、食肉、工業、園芸が産業である。近くには、オーストラリア空軍のティンドール基地がある。町を流れる川の上流29kmには、超観光名所キャサリン渓谷があるが、これも時間の関係でパス。またもや次回に残す。

 車用と体用の「燃料」を十分に補給して、ポート・ダーウィンに向けて再出発。これからは、
ステュワート・ハイウェイ*を走ることになる。道もやや幅が狭まり、交通の殆どない夜道を、カンガルーが気になりながらも突っ走る。キャサリンから203kmまで来て、タイム・アウト。アデレイド・リヴァーの町で泊まることにする。行けなかったが、この町の戦争墓地には、第二次大戦中に日本軍爆撃機のポート・ダーウィン攻撃(英語サイトリンク)で死んだ人たちが、埋葬されているそうだ。 
日本軍によるポートダーウィン爆撃
 1942年2月19日午前9:58am、空母赤城他計4隻から発進した188機の日本軍航空機が当時人口2000人以下のダーウィンを攻撃した。以後陸から発進した航空機も攻撃に参加した。ダーウィンはオーストリア第7軍管区のベースであり、真珠湾攻撃後はオーストラリア、アメリカ軍は防備に力を入れていた。ダーウィンだけで243名が死亡し、300〜400名が負傷したといわれる。以後立て続けに空爆は続いた。このあと、北部のブルーム他の町も壊滅的な爆撃を受けた。(上記サイトの要約)

 著者注:現在もオーストラリア人高齢者で反日的な人がいるのは、上記のことと連合軍の一員として日本軍と戦い、捕虜になったり負傷した者が多いことが原因と考えられる。
・アデレイド・リヴァー戦争墓地
 オーストラリア最大の戦争墓地。 1942年のダーウィン爆撃で死亡した 54人の民間人と434人の男女軍属が葬られている。他の北部地域で死亡した287人の墓地は不明である。(about-australia.com)
キャンプ・サイトの隣は競馬場(右側) Adelaide River CP, NT
アデレート・リヴァーのキャンプ・サイトのオーナーと妻 Adelaide River CP, NT
 CPに着くと、なんと大集会所では、子供達のディスコ大会が開かれていた。制服の警察官が一緒に踊っている。これは日本では見られない光景だ。聞くと、年一回の警察主催の「ブルー・ナイト・ディスコ」と呼ばれる催しだそうで、警察と子供との親睦を図っているそうだ。何のために?。大人の方は、奥の吹き抜けの広いバーで飲んでいて、そこに女性管理人も飲んでいた。ここは広く、シャワー・トイレもきれいだ。ペーパータオルも消毒石鹸液もある!。さすが、まじめそうな女性管理人だとケアが素敵だ。再訪したいCPである
              
(本日の走行距離1073km)