国内の歴史的人物・有名人の墓、名誉墓、慰霊塔、記念碑
私たちの旅でお見かけした歴史的人物、有名人のお墓、遺髪塚、慰霊塔



世界遺産 律宗総本山 
唐招提寺 鑑真和上御廟 (奈良県奈良市)
日本仏教に多大なる足跡を残した中国人貴僧(大和上)688~763の墓


鑑真大和上像
(C)Transfer from Wikipedia



同 
唐招提寺 鑑真和上縁 戒壇(ストゥーパ) 中世に廃され後再興 下部のみ鎌倉時代 上部は昭和時代 (奈良県奈良市)





鎌倉幕府開府 源頼朝 
供養塔 (神奈川県鎌倉市・法華堂跡・白旗神社境内

 





源義経(牛若丸)
 
供養塔
鞍馬弘教総本山・天狗伝説の寺
 鞍馬寺・若い牛若丸が住まいし成長した鞍馬山 (京都市左京区)






源義経に愛された
静御前 遺髪塚
義経と別れた静御前は母とともに母の生地讃岐に行き晩年を過ごした 位牌もこの寺にある
四国八十八カ所第八十七番・長尾寺 (香川県さぬき市)





源義経母堂・
常磐御前と乳母の墓
伝説では東国に走った義経を追いかけたがこの地で土賊に襲われて死亡 哀れに思った里人がこの地に埋葬したという
常磐御前の墓は関東を中心に数カ所ある 
(岐阜県関ヶ原町)





臨済宗相国寺派大本山 萬年山相国寺 (京都市上京区) 寺墓地にある歴史的人物墓
時代がそれぞれ異なることから後に移葬されたと思われる
       藤原定家
 (正二位中納言・歌人・「小倉百人一首」・平安-鎌倉時代)
足利義政 (室町八代将軍・正室日野富子・銀閣寺造営)
  伊藤若沖 (生前墓・奇想の装飾的花鳥画画家・江戸時代)
注:若沖の本当の墓は黄檗宗石峯寺にある(下写真)




江戸中期画家 伊藤若沖
黄檗宗 百丈山
石峯寺 (京都市伏見区)
当寺境内奥に若沖作の多くの羅漢石像がある ただし撮影禁止!撮影は同意書と志納料が必要

注:生前墓は市内上京区の相国寺墓地にある(上写真)






花園天皇
 

鎌倉時代(持明院統)・十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)・歌道、学問、書道に優れる
青蓮院門跡奥 (京都市東山区)





塔尾山如意輪寺・後醍醐天皇
「建武の新政」1333を興したが、のち足利高氏(尊氏)と対立し吉野で南朝政権を樹立 (奈良県吉野町)






後醍醐天皇皇子 夭逝の護良親王墓所 (首塚) (神奈川県鎌倉市
) 市道から百段ほど石段を登る







足利尊氏利生塔(りしょうとう) 足利直義が1342(1338)年、南北朝戦乱犠牲者の菩提を弔うため国ごとに一寺一塔を建立
真言宗大本山
善通寺 (香川県善通寺市)





室町時代、守護大名大内氏第十四代
大内政弘母君 並 雪舟筆塚
国清寺(現洞春寺)
 (山口県山口市)






周防・長門・豊前・筑前守護職 
大内盛見墓 大内氏第二十六代 大内文化興隆の祖
国清寺(現洞春寺) (山口県山口市)







世界遺産 
玉陵(たまうどぅん) 琉球王国 第二尚氏王統の歴代国王墓地
沖縄戦では壊滅的被害を受けたが戦後復元された (沖縄県那覇市)



玉陵内部の資料写真  並ぶ王家の石棺 (C)玉陵資料展示室





織田信長一族供養塔 (手前から三つ目が信長)
臨済宗 
大徳寺塔頭 総見院 (京都市北区)
信長一周忌に間に合うよう秀吉が建立した





蒲生氏郷、小早川隆景、毛利元就、織田信秀(信長父)他墓地 (一般非公開)
臨済宗 
大徳寺塔頭 黄梅院 (京都市北区)






清水宗治
首塚 秀吉の中国攻め・「備中高松城水攻め」時の毛利方武将 切腹して部下の命を助けた
国史跡・
高松城址(公園)(岡山県岡山市高松)





戦国武将 
宇喜多興家の墓 (岡山城主・宇喜多直家の父)
日蓮宗 
教意山興寺 (岡山県瀬戸内市福岡)





黒田官兵衛曾祖父・黒田高政の墓
黒田氏祖は近江国黒田村在であったが、高政は子の重隆を連れて当地福岡に移住、重隆の子職隆が生まれる
重隆はのち播州に移住、御着城主小寺氏に仕官した 職隆、そしてその子
官兵衛孝高が姫路城主となった
のち官兵衛孝高(如水)の子、
長政が家康から筑前五十二万石を拝領し、築城後福岡城と命名した
九州の
城下町福岡はここより発する 日蓮宗 
教意山妙興寺 (岡山県瀬戸内市福岡






備中松山城主 
上野頼久、三村家親、三村元親、その子勝法師丸の墓
宇喜多氏との備中兵乱で知られるが、最後は毛利氏に滅ばされた
関ヶ原の功で領地を拝領した小堀正次の子、
小堀遠州(政一)が一時住まいした その庭園も残る寺
臨済宗
頼久寺 (岡山県高梁市)




常山女軍
 供養塔
1575年、城主上野隆徳は毛利の軍勢に囲まれ自害、
その妻鶴姫は侍女三十余名とともに城外に出て毛利軍と交戦
その後鶴姫は城内で自害し上野氏は滅亡した 
戦国の世で女性が戦闘に参加した数少ない事例 常山城址 (岡山県岡山市南区)





戦国大名
 浅井(あざい)氏及び家臣(供養塔)
1573年、
織田信長は元同盟者で戦国大名の淺井氏と決裂、淺井氏三代目淺井長政と戦った 長政は小谷城・赤尾屋敷で自害、
淺井氏は滅亡した 
妻(継室)で
信長の妹・市(小谷殿)は生き延び、後に柴田勝家の妻となった
子には
茶々(秀吉側室)、(京極高次正室)、(秀忠継室)がいる 小谷城址 (滋賀県長浜市)





関白太閤 豊臣秀吉(羽柴秀吉)の墓
秀吉の死後、
家康によって破壊されたが明治期に復元された墓所 長い階段563段を上った丘上にある
豊国廟(ほうこくびょう) (京都市東山区)





徳川幕府初代将軍 
徳川家康(松平元康)の最初の墓(上段)
久能山東照宮 (静岡県静岡市)





豊臣秀頼・本多忠刻正室 父:徳川秀忠 母:江 天樹院千姫 (分骨)
浄土宗総本山 
知恩院 (京都市東山区)
注;元の墓は東京小石川傳通院と茨城県常総市弘経寺にある





井伊氏の初期の墓 (左から)直政、直政夫人、直親、直虎(次郎法師)、直盛夫人、直盛(右端)、初代共保(写真外右隣)
井伊氏父祖の地 井伊谷(いいのや) 臨済宗
(りょうたん)寺 (静岡県浜松市)
注:彦根藩主直政以下は彦根市にある(下写真)




彦根藩井伊家墓所 初代直政以後の七藩主が祀られる 
曹洞宗清涼寺 (滋賀県彦根市)






越前敦賀城主・大谷吉継(吉隆・刑部)墓所 
関ヶ原戦・西軍武将
 (岐阜県関ヶ原町)








「忠臣蔵」の中心人物 赤穂藩主(広島浅野家分家) 浅野内匠頭長矩の墓
傍らに
大石内蔵助はじめとする「赤穂浪士」たちの墓が並ぶ
曹洞宗岳寺(東京・港区高輪)




播州赤穂藩筆頭家老 大石内蔵助良雄の墓(右端)
上写真の藩主の墓に屋根がないのに家老の墓には屋根が付く不思議
曹洞宗
泉岳寺(東京・港区高輪)




同「
赤穂浪士」たちの墓が整然と並ぶ 全墓表面の上部には「」の一字が彫り込まれる
墓の並びは下記を参照されたい  曹洞宗
泉岳寺(東京・港区高輪)




「赤穂浪士」たちの墓見取り図 (泉岳寺掲示板)(東京・港区高輪)





赤穂四十七士(赤穂浪士)の墓 中央が浅野内匠頭、左が大石主税、右が大石内蔵助良雄 回り壁際が他の浪士たち
義士の
遺髪塚で本物は東京・港区・泉岳寺にある 曹洞宗花岳寺 (兵庫県赤穂市)





赤穂藩筆頭家老・
大石内蔵助良雄生母・松樹院・熊(熊子)の墓
熊は備前国岡山藩家老・三万二千石天城陣屋・池田由成の娘
因みに隣に
安田善右衛門(天野屋利兵衛)往年の俳優嵐寛寿郎の墓が並ぶ
浄土宗 
聖光寺 (京都市下京区)




安田善右衛門(
・天野屋利兵衛)
浄土宗 聖光寺 (京都市下京区)





三代徳川家光側室 五代綱吉生母 
桂昌院 (遺髪塚・桂昌院廟)
天台宗 
善峯寺 (京都市西京区)
(注)通称名:玉 諸説あるが出自は八百屋の娘とも 「玉の輿」の語源、
本墓所は東京港区の増上寺徳川家霊廟・合祀塔



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真言宗・
高野山金剛峰寺奥の院<墓地>(和歌山県高野町)・・・・・・・・・・・・・・

主な墓のみ掲載



仙台藩
 伊達政宗墓所





仙台藩
 伊達家墓所




加賀藩
 前田家墓所




薩摩藩 島津家墓所




薩摩藩
 島津家初代・二代墓所





山口藩
 毛利家墓所




小田原藩
 北条家墓所




紀州藩
 初代・徳川頼宣墓所 頼宣は家康の十男、吉宗の祖父




甲斐国守護大名
 武田信玄・武田勝頼墓所




越後国戦国大名
 上杉謙信廟





播州姫路藩 
酒井家墓所




阿波藩
 蜂須賀家墓所




近江佐和山藩
 石田三成墓所




丹波福知山藩 明智光秀墓所




伊勢桑名藩
 本多忠勝墓所 
最古参譜代、「徳川四天王」「徳川三傑」として家康の信頼が厚かった





歌舞伎 市川団十郎(成田屋)墓所

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで高野山奥の院・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





松江松平家
第七代 松平治郷(不昧公)墓所
江戸期の代表的茶人(不昧流)
国史跡・松平家菩提寺 浄土宗
月照寺 (島根県松江市)





岡山藩池田家第二代 池田綱政 (夫人)墓所
名君池田光政長男 津田永忠によって児島湾干拓などで藩財政を立て直す 岡山後楽園の造営
岡山池田氏菩提寺 臨済宗 
曹源寺 (岡山市中区)





村上水軍
墓所
中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)で三家に分かれ、秀吉、毛利氏等戦国大名に使われ臣従した
村上水軍菩提寺、
金蓮(こんれん)寺 (広島県尾道市因島)






戦国武将・播磨国龍野城主 赤松政秀、広貞 
供養塔
戦が多かったが、
黒田官部衛に大敗し覇権を失う のち毒殺される
天台宗 
斑鳩寺(兵庫県太子町)





三帝御廟(
遺髪塚) 真言宗大本山善通寺 (香川県善通寺市)






長宗我部信親
 長宗我部元親嫡男 臨済宗妙心寺派 雪渓寺
才気溢れる若者であったが九州の鶴ヶ城攻防戦で戦死 享年二十二 (高知県高知市)




 
四国霊場「大先達」「四国遍路の父」 
真念法師
四国霊場を何度も回って遍路の道標を整備し札所番号を定めた
高野山真言宗 
洲崎寺 (高松市牟礼)





江戸中期の本草学者・科学者・蘭学者・医者・発明家など多彩の人 
平賀源内
学校教育では「エレキテル」で知られる 元の墓は東京・台東区・総泉寺
四国霊場第八十六番・志度寺塔頭 
常楽寺 (香川県さぬき市)







明治元勲
 井上馨 (分骨墓) 本墓は東京都港区麻布・長谷寺
長州藩士 明治政府高官 実業家
臨済宗 洞春寺 (山口県山口市)








往年の映画俳優「アラカン」 嵐寛寿郎 (鞍馬天狗)
浄土宗 聖光寺 (京都市下京区)






「五・一五事件」 第二十九代内閣総理大臣 
犬養毅と犬養一族の墓地 毅の墓は右端 その左が健(三男・元法務大臣)
犬養家は元々は名字帯刀の大庄屋の家で
犬飼姓であったが江戸末期父の代に改姓した 写真左奥部分の墓は「犬飼」となっている
墓地は「犬養木堂生家」の近くの民家に囲まれた場所ある なお東京・青山墓地にも墓がある (岡山県岡山市北区)



「故内閣総理大臣犬養公之碑」 
顕彰碑 犬養毅の墓近くに立つ





実業家・政治家・日産コンツェルン創始者 鮎川義介 
(分霊塔) 満州開発、関東軍に関係
第二次大戦後戦犯容疑で巣鴨拘置所拘置、後釈放 東洋大学名誉総長 本墓は東京都・多磨霊園
臨済宗 
洞春寺 (山口県山口市)





「こだまでせうか」「みんなちがってみんないい」 夭逝の童謡詩人 
金子みすずの墓
浄土真宗 
遍照寺 (山口県長門市仙崎)


<その他の記念碑>



空海記念碑」 中国西安の旧青龍寺跡に有志によって立てられた物の縮小版 真言宗大本山善通寺 (香川県善通寺市)





時宗開祖 
一遍上人奉納 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 鎌倉時代1318年 大山祇神社 (愛媛県今治市大三島)





洪庵緒方先生碑」 岡山県史跡 洪庵屋敷(誕生地)跡
洪庵は蘭学者、医者 大坂で「
適塾」(現大阪大学医学部)を主宰 大村益次郎・福沢諭吉らを輩出 (岡山県岡山市足守)





正二位右大臣 吉備真備 遣唐留学生記念碑 真備の菩提寺(氏寺)である吉備寺山門近くの公園にある石碑
真言宗 鏡林山 
吉備寺 (岡山県倉敷市真備町)


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