日本の歴史的事件・事物・人物と記念碑・祈念碑


明治政府のキリシタン弾圧
島根県・津和野・乙女峠・乙女峠マリア聖堂

  

幕末から明治初に「発見」された長崎・浦上の切支丹たち3392名は萩・福山などに配流、明治元年に153名がこの地に送られた
津和野藩は棄教させようとしたが失敗、酷い拷問の末36名が殉教した その際聖母マリアが出現し信者を励ましたという伝説がある
流罪になっていた信者たちは明治6年「禁教解除」により釈放、浦上に帰された カトリック広島司教区は昭和14年、
田畑になっていた土地を購入し昭和23年乙女峠記念堂を建立、「マリア聖堂」と呼ばれるようになった
(この項、Wikipedia Japanより要旨転載)



キリシタン禁止令(高札)
太政官の名で布告した
キリスト教を「邪教」としている
明治に入っても弾圧は続き被害者も続出した

踏み絵
キリシタンか仏教徒かを見分けるために踏ませたマリア像

 
殉教者を表すレリーフ

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広島原爆ドームと平和記念資料館
広島県・広島市














(C)Hiroshima Peace Memorial Museum



(C)Hiroshima Peace Memorial Museum



(C)Hiroshima Peace Memorial Museum


(C)Hiroshima Peace Memorial Museum



(C)Hiroshima Peace Memorial Museum



(C)Hiroshima Peace Memorial Museum





平和記念資料館  Hiroshima Peace Memorial Museum




平和記念公園の慰霊碑 正面奥は原爆ドーム
May you sleep in peace


  

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