世界遺産 「紀伊山地の霊場と参詣道」
和歌山県 中辺路
中辺路 瀧尻(たきじり)王子の世界遺産認定表示 此処からは熊野三山の神域に入る 今回の歩きのスタート地点
瀧尻王子宮 社格の高い「五体王子」のひとつ 小雨がつづく
瀧尻王子宮の向かいに「熊野古道館」という道の駅がある 多くの人は田辺からバスでここまで来る
遍路者はここでコーヒーなどいただき、歩きの支度をする 資料・パンフあり トイレあり(館外)
写真は館内の平安時代当時の遍路風俗展示(観光案内・歴史展示)
瀧尻王子宮境内に表示の中辺路の地図(汚れあり) 熊野古道館
瀧尻王子からの登りはじめの道
瀧尻王子からは雨のうえ始めから滑りやすい険しい道がつづく
「胎内くぐり」 狭い岩の隙間をすり抜ける 抜けられない人はメタボかも!
「乳岩」 奥州の藤原秀衡についての古い言い伝え(下)がある岩
露出した木の根がつづく滑る足場に注意しながら上がってゆく
不寝(ねず)王子 王子はお宮のことで宮の跡である 熊野古道には多くの王子が連なる
中辺路 道標第一番 道標はおよそ500mごとに設置されているという 歩いた距離の目安になる
雨で滑る足場の悪い険しい道は厳しい
振り返って道標を確認するが、案内表示は要所にきちんとあるので迷いにくい
剣山経塚跡 標高400m弱
小さな峠の比較的緩やかな下りだが雨のため滑りやすい
少し下りたと思ったらまたまた上り・・の繰り返し 道自体の整備状況はよい
遍路道脇の松茸?それとも毒キノコ? 群生しているが誰も採った形跡がない
針地蔵尊
中辺路遍路道 道標第六番 従って歩いた距離はおよそ2.5kmだろうか 木の間からも雨滴が落ちてくる
やっと民家のある集落にでる ここからは車も走れる道
高原熊野神社 県重文 飯盛山頂上近くに鎮座 古道沿いの現存最古の神社建築
瀧尻王子からここまで約4km
霧の里無料休憩所 トイレと自動販売機あり
霧の里無料休憩所前の風景 水車のある風情がよい
霧の里無料休憩所からは宿に向かって細い石畳道をけっこう上る 遍路宿「欅」着
高原の遍路宿「欅」から見る早朝の雲海 下から湧き上がる雲の形が刻々と変化する
遍路宿から見る早朝の雲海 動きが速い
遍路宿から見る早朝の雲海に陽が射してきた
上写真のようにこの宿のロケーションは今回歩きで最高
歩き始めに朝の光が眩しい
路傍のお地蔵さまにごあいさつ
一里塚跡のある休憩所
水のある風景 高原池
上りは階段ではなく木の根 大門王子に向かう
大門王子跡
悪四郎屋敷跡
上多和茶屋跡 標高700m弱
杉林の中を縫って道がつづく 右は急な崖
大坂本王子跡 卒塔婆が残る 右はスタンプラリーの台 集めて回る外国人も多い
小川に架かる木橋
けっこう太い杉林間に流れる川
左の方から下りてきた三叉路 目標の牛馬童子へは右上に上る 手前に下りると下写真の道の駅
道の駅 熊野古道中辺路 国道311号線脇にある駅 トイレ・土産物・食堂あり 左は牛馬童子のレプリカ
遍路者は外国人が目に付く いま熊野古道は外国人に大人気だ 様々な言語が飛び交う
国籍はアメリカ、オーストラリア、ドイツ、中国、台湾、英国、マレーシアなど様々
道の駅で食事後また戻った遍路道 一里塚跡 昔の物は残っていない
田辺市指定遺跡 箸折峠の牛馬童子像 花山法皇縁という大変人気のある場所
牛馬童子像 僧服の石像は花山法皇の熊野詣での旅姿といわれる 後世の作
箸折峠の牛馬童子からは近露の里に向かって下りてゆく
牛馬童子からの下り 休憩所がある 雨の後で敷石が大変滑りやすい 近露の里が見えてきた
林にある路傍の沢カニ? けっこう多いが、通行人に踏みつぶされたものも多い 合掌
竹林の下りは敷石が大変滑りやすい
やっと里に下りてきた
かつては中辺路の要所・宿場であった近露(ちかつゆ)の里 流れるは日置川 下山して水を見ると心が和む
この集落には郵便局のATMや「なかへち美術館」がある
近露王子碑 現在はこの路傍の林の中にある 遍路者もここまで来るとちょっと一段落
スタートの瀧尻王子からここまで約14km 高原熊野神社からここまで約10km 当地標高約300m弱
民宿「つぎざくら」の夕食 元板前さんだったオーナーの料理は本格的だ
同宿の外国人客も絶賛する日本料理は「見せる・魅せる料理」
また宿の近くの道端に日本名水百選の「野中の清水」があり喉を潤せる
ここよりバスで移動
熊野古道 中辺路 発心門(ほっしんもん)王子 古道中重要なポイントである ツアーを含め多くの人が訪れる場所
200mくらい先に発心門休憩所とトイレがあり、バス停があるのでここを歩きのスタートにする人も多い
発心門王子からずっと先の熊野本宮大社に向かう
熊野古道 中辺路 水呑王子
熊野古道 中辺路 所々にある路傍のお地蔵さま 多くの銭が置かれている
熊野古道 中辺路 蘇生の森 シダ類の茂る道
中辺路 通り過ぎる集落の茶畑 ちょうど茶花が咲いていた
熊野古道は各所でお地蔵さまが迎えてくれる 伏拝口 この周辺は見晴らしがよく遠くの山がよく見える
熊野古道 中辺路 伏拝王子
伏拝王子 屋根付きの伏拝休憩所と清潔なウォシュレット式の近代的手洗い(右)がある
ここは店にもなっており熱いコーヒーなども頂ける
伏拝王子からは雨が激しくなり足下注意で歩く
三軒茶屋跡 長い土坂を下りた小橋の奥左に休憩所がある トイレあり
ここで新潟から来た山男の方とお話しする いわゆる「百名山制覇」ではなく、
もっぱら尾根道などキビシイ箇所ばかり登るというスゴイ方だ
雨中の木の根は滑りやすく要注意だ
中辺路 道標第七十二番付近 道は基本は下りだが上り下りを何度も繰り返す
(注)遍路道の下り途中(道標第73番付近)に見晴らしの良い「見晴台」に上がる道がある
ここからは大斎原と大鳥居が遠望でき人気が高い 遍路道から外れ回り道だが登る人も多い
祓殿(はらいど)王子 本宮大社に繋がる裏から入る道にある
「熊野三山」とは下の三社である (熊野古道館展示説明)
<熊野三山>のうち熊野本宮大社
田辺市
世界遺産 熊野本宮大社 水害後に大斎原より当地に移転 大斎原よりここまで徒歩で10分ほど
熊野本宮大社 雨の激しい参道入り口 大斎原水害の後、社はこの高台に移転した
この日は土砂降りで上りの石段にも水が滝のように流れ落ちる
熊野本宮大社 神門
熊野本宮大社 本殿 豪雨のため写真不鮮明である
「熊野三山」のなかで首位座 熊野本宮大社
熊野本宮大社 拝殿
世界遺産熊野本宮館 熊野関係展示とヴィジターセンター きれいなトイレあり 前にバスステーション、駐車場がある
写真外右に和歌山県世界遺産センターがある ここから旧社地大斎原(おおゆのはら)まで徒歩5分
世界遺産熊野本宮館 内部展示 下正面は山伏僧
世界遺産熊野本宮館 内部展示 熊野の神々(男神、男神、女神)
世界遺産認定表示 熊野本宮大社 旧社地大斎原(おおゆのはら) 本宮の元宮 田辺市
本宮大斎原(おおゆのはら) 日本一の大鳥居
熊野本宮は元は此処にあったが1889年の水害で近隣の現在地に移転した
本宮大斎原の元の姿(江戸時代) 大きな神殿が並び立っていたという
大斎原 参道の杉並木
大斎原 一遍上人神勅名号碑
大斎原 仮石祠二殿 今は神殿もなくこのような状態
熊野本宮館から徒歩で20分くらいにある落ち着いた宿
オーナーが旅行経験も豊かで良いアドヴァイスがもらえる サーヴィスも気が利いている
ここよりバスで那智勝浦に移動
世界遺産
<熊野三山>のうち熊野那智大社 及び <西国三十三箇所霊場第一番>青岸渡寺
那智勝浦町
青岸渡寺の三重の塔は改修中 (2024現在) 日本有数の名瀑・那智の滝
世界遺産 那智の滝 日本三大名滝 「一の滝」 落差133mで日本一
日本三大名滝・・那智滝(和歌山県)、華厳滝(栃木県)、袋田滝(茨城県)
世界遺産 <熊野那智大社>
熊野那智大社 一の鳥居
熊野那智大社 二の鳥居
世界遺産 熊野那智大社 礼殿 国重文
熊野那智大社 御神木 樹齢850年 樹高27m 下部内部が空洞
熊野那智大社 八社殿 国重文
熊野那智大社 八咫烏(やたがらす)
日本神話に登場する烏で導きの神 神武天皇の道案内をしたと伝えられる
熊野那智大社 神馬(しんめ)舎
世界遺産 <西国三十三箇所霊場 第一番 那智山青岸渡寺>
世界遺産 西国三十三箇所霊場 第一番 天台宗 那智山青岸渡寺 本堂 (重文) 旧如意輪堂
青岸渡寺は
織田信長により焼失、のち豊臣秀吉の命により秀長が再建
当寺は中世から明治まで熊野那智大社と一体化する神仏習合の修験道場であった
青岸渡寺 水子堂(左)と大黒天堂
青岸渡寺は「西国三十三箇所」観音巡礼の第一番札所
青岸渡寺 手水
世界遺産 熊野古道 大門坂
熊野古道 大門坂 全長600m
大門坂 マスコミにもよく登場する有名な坂 むかし途中に大門があった
大門坂 多冨氣(たふけ)王子跡 中辺路にある最後の王子である
熊野古道 大門坂 下部の「夫婦杉」
熊野古道 大門坂登り口の世界遺産認定碑
大門坂観光案内所にあるなでしこジャパン記念モニュメント サッカーも八咫烏が守護神
世界遺産 補陀洛山寺
「補陀洛渡海」の寺 JR那智駅から近い場所にある 那智勝浦町
補陀洛山寺 本堂 那智市
「補陀洛渡海」
生きて海の向こうの観音浄土(今の印度あたり)を目指す
洋上の船中で亡くなるので実際は「殉教」であった
「補陀洛渡海」に使われた復元船 一度入ったら中の僧は外には出られない仕組み 一種の殉教
補陀洛渡海で殉教した僧と時代の一覧石碑 9世紀~18世紀ごろ
盛んに行われたのは半数近くが16世紀 「熊野年代記」 南方熊楠が調査研究した
国史跡 熊野三所大神社 那智大社の末社 浜の宮王子社跡 補陀洛山寺に隣接
ここよりバスで新宮に移動
<熊野三山>のうち熊野速玉大社(国史跡)
世界遺産 熊野速玉大社
新宮市
入り口鳥居
世界遺産認定石碑 (汚れがあります)
熊野速玉大社 神門
熊野速玉大社 鈴門と端垣
熊野速玉大社 拝殿
熊野速玉大社 拝殿
熊野神宝館
世界遺産 神倉神社(元宮)
国史跡 熊野速玉大社の飛地境内摂社 権現山
新宮市
神倉神社 一の鳥居
神倉神社 上りはじめの石段は急傾斜で足場も悪い
御神体:「ゴトビキ岩」と拝殿が見えてきた
御神体:「ゴトビキ岩」 拝殿 神代に熊野の神が降臨した地といわれる 速玉大社の原点
従ってここが元宮という 移った先が熊野速玉大社で新宮という
御神体:「ゴトビキ岩」 標高約100mにある巨岩で下の平地からも遠く望める
「ゴトビキ岩」から見渡す熊野川河口の町新宮市と太平洋
~~~~~この旅の起点・終点になった田辺~~~~
平安時代の京の法皇・貴族たちも熊野詣でこの地を通った
世界遺産に追加登録 鬪雞(とうけい)神社 新熊野雞合大権現 田辺市
12世紀前半に熊野別当湛快のときに熊野三所権現を勧請した
戦国時代に荒廃したが紀州徳川家の統治後は紀州藩付家老の安藤家の所領となり再興
鬪雞神社 拝殿 国重文
鬪雞神社 社殿(右) 国重文
熊野水軍統率者 熊野別当湛増と武蔵坊弁慶像 鬪雞神社境内
熊野別当湛増は義経に味方し熊野水軍を連れて壇ノ浦に向かった
これが源平の戦いの運命を決めた
武蔵坊弁慶の像 田辺は弁慶誕生の地といわれ義経との関係、結びつきは有名
しかしながら弁慶の諸行も伝説や後世の伝承で確かな記録は残っていないという
田辺駅前
JRきのくに線 特急が発着する田辺駅 和歌山経由で新大阪につながる
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