備前・備中・美作 岡山の見どころ 岡山観光のポイント
Okayama Tourist Attraction in one glance
岡山城(烏城)

岡山城 国史跡・重文・百名城・三大平城 宇喜多氏~小早川氏~池田氏 旭川が二方の濠の役割 左側が岡山後楽園 岡山市
*三大平城・・名古屋城(愛知)・広島城(広島)・岡山城


岡山城 廊下門(復元)


岡山城 櫓門(復元)


岡山城 再建天守閣と塩蔵(左) 写真は「令和の大改修」(2022年)修復整備前の物
改修後は内部の展示が十分に充実し楽しめる物になっている 監修:磯田道史先生


岡山城 月見櫓 国重文 西の丸西手櫓とともに岡山空襲で焼失せず現存


岡山城 旧天守礎石(移設)

現存十二天守 備中松山城 三大山城

現存十二天守・三大山城・日本百名城 備中松山城 国重文天守閣・ 海抜430m 三村氏~水谷氏~板倉氏 高梁市
*日本三大山城・・大和高取城(奈良県)、美濃岩村城(岐阜県)、備中松山城


備中松山城 天守閣内部 現存の城だけに築城当時の様子がわかる


備中松山城 大手門跡 巨大な岩盤上に造営 山城の割に石垣が見事


備中松山城 重文・二重櫓 重文・天守(左・裏側)の奥にある
なお戊辰戦争時朝敵であったこの藩は藩士・陽明学者山田方谷の決断で征討軍と交渉し無血開城した


備中松山城より見下ろす城下高梁の町 川は岡山県三大河川高梁川 昔は高瀬舟が行き交った


備中松山城遠景 雲海展望台(291m)からの光景 天守閣と二重櫓 条件が揃えば10月下旬~12月上旬には雲海に包まれる
竹田城(兵庫県)、越前大野城(福井県)とならび「日本三大天空の城」といわれる

三大平山城 津山城(鶴山城)

国史跡 津山城(鶴山城) 日本百名城・日本三大平山城 日本さくら百選 備中櫓(復元) 森忠政(森蘭丸弟)氏~松平氏 津山市
城郭の縄張りは広く規模が大きい 写真は「津山さくら祭り」中のもの *三大平山城・・姫路城(兵庫)、松山城(愛媛)、津山城


津山城 天守台(左)と備中櫓(復元) 城は明治期に破却 城全体の明治初期の白黒写真が残る


津山城 備中櫓石垣とさくら祭り


津山藩別邸庭園・衆楽園 蓮池が見事 津山市

日本三名園 岡山後楽園

日本三名園・特別名勝 岡山後楽園 岡山池田家第六代綱政が津田永忠に命じて造営 沢の池と唯心山 岡山市
*日本三名園:水戸偕楽園(茨城)、金沢兼六園(石川)、岡山後楽園


岡山後楽園 唯心山から沢の池をみる 明治前までは御後園と呼ばれていた


岡山後楽園 沢の池ごしに延養亭をみる


岡山後楽園 竹林と石庭


岡山後楽園 鯉と躑躅

倉敷美観地区

倉敷美観地区 大原美術館 日本最初の私立西洋美術館 エル・グレコ、モネ、ロートレック、ルノアールなど展示 倉敷市
大原孫三郎が画家児島虎次郎に命じヨーロッパで蒐集した絵が基礎となる


倉敷美観地区 大原美術館別館 付属庭園新渓園よりみる 日本の洋画家や現代美術の展示


倉敷美観地区 財閥大原家住宅 運河を挟んで大原美術館前にある


倉敷美観地区 黄昏ゆく運河と倉敷考古館(右)


倉敷美観地区 なまこ壁の路地 この倉敷は元は幕府直轄地・天領であった


倉敷美観地区 柳の運河の天領丸 観光客に人気がある

備中国分寺

備中国分寺 五重塔と本堂 総社市
奈良時代聖武天皇造営の全国展開の国分寺の後身だが、南北朝争乱などで一時廃絶し安土・桃山~江戸期に復興した


備中国分寺 境内蓮池に映る五重塔(国重文)
奈良時代には七重の塔だったというが焼失し、江戸時代に再建された


備中国分寺 桜咲く五重塔 当寺東方に国分尼寺跡の礎石がのこる


備中国分寺 五重塔 夏のひまわりと秋の秋桜が共存する不思議な世界 植え付けは地元の農家が全面協力しているという

本邦最初の庶民学校 閑谷学校


特別史跡 閑谷学校 岡山藩主池田光政によって開かれた日本最古の庶民学校 校門(鶴鳴門) 備前市


特別史跡 閑谷学校 講堂(国宝) 左は小齋(重文) 瓦は備前焼製
注:小齋は藩主がお成りの際使用する御成の間


閑谷学校 講堂内部 床が磨き上げられている 講師を前にここで論語を読み上げた


閑谷学校 講堂裏の石塀(重文) つづく石組みが絶品で隙間が少ない


閑谷学校 椿山からみる景色 重文 孔子を祀る聖廟(左奥) 創始者池田光政を祀る閑谷神社(右)
門前にある巨大な楷の木の紅葉時には夜間照明をし評判となる


閑谷学校 椿山より校内を望む 左が鶴鳴門、右が講堂 ここから遠くないところに藩主池田氏の和意谷墓所がある
池田家墓所は他にも臨済宗国清寺、臨済宗曹源寺(ともに岡山市)などにもある


吉備古墳群 造山古墳・作山古墳

国史跡 造山古墳 全国第4位規模の前方後円墳 墳丘長350m 5C前半 左・後円部 岡山市北区新庄下
日本の巨大古墳はほとんどが大王陵(天皇陵または同等)として宮内庁が管轄し一般人は立ち入り禁止だが当古墳はそういう規制がない


造山古墳 現地掲示の航空写真 多くの陪塚が付随する 現在も修復整備中で見応えがある
規模の大きさから吉備豪族の有力さが分かる


造山古墳 荒神社脇にある出土石棺


国史跡 造山古墳の陪塚のひとつ 千足古墳 帆立貝型古墳 ここでただ一つの内部石室の装飾古墳 外部は多くの埴輪を飾る
石室は九州系だという 全長80m 整備復元中 岡山市北区


造山古墳脇の地域案内地図


国史跡 作山古墳 墳丘長282m全国第10位の前方後円墳 5世紀中頃 左側が後円部 総社市三須
これも大王の古墳でなく吉備豪族の物であり立ち入りは自由である 古墳自体はやや歪な形で環濠もない


国史跡 両宮山古墳 前方後円墳 墳丘206m 岡山県第三位 5C後半 赤磐市(旧山陽町)
岡山県ではっきり環濠が残るただ一つの例(二重濠)

古代山城・鬼ノ城

鬼ノ城(きのじょう) 国史跡・日本百名城 朝鮮半島の白村江の敗戦後に日本各地に造られた古代山城のひとつ 標高400m 総社市
諸説あるが、当城は日本書紀にもはっきりと記述がなく曖昧なことから「温羅(うら)という鬼が住む城」で鬼ノ城とよばれたという


鬼ノ城 復元西門 晴れた日には眺望は抜群 奥向こうは瀬戸内海 手前に古代山陽道がはしる


鬼ノ城 復元西門 石垣と版築土製の城壁(復元)


鬼ノ城 階段と石垣 8c 現在のこる最も高い石垣付近

吉備津神社・吉備津彦神社

吉備津神社 備中国一宮 旧官幣中社 祭神:大吉備津彦命 比翼入母屋造り 国宝・本殿(室町中期) 岡山市


吉備津神社 坂にある曲線で構成された長い回廊部


吉備津神社 回廊部脇の梅林


吉備津彦神社 備前国一宮 神殿と拝殿 岡山市


中山茶臼山古墳 前方後円墳 第七代孝霊天皇皇子で四道将軍の大吉備津彦命を祀る 宮内庁管理
神社後背の「吉備の中山」(神体山)にある 市民の散歩コースとしても人気 岡山市

足守藩 木下氏二万五千石 陣屋町

足守藩 国家老 杉原氏屋敷 長屋門(岡山県重文) 見学可 岡山市足守
足守藩は秀吉正室北政所ねねの兄の木下家定の陣屋町


足守藩陣屋(お茶屋)跡 建物はなく、学校敷地などの変遷を経て公園に 岡山市足守


足守藩庭園「近水園」(おみずえん) 足守川の水を取り入れた回遊式庭園 岡山市足守
建物は吟風閣 春の桜、秋の紅葉はともにみごとである 


足守藩庭園「近水園」敷地内の「足守文庫」にある秀吉正室北政所使用の道中風呂 大きな紋が印象的


足守藩主一門 東京帝大卒 歌人 木下利玄邸 (現在無住)



旧山陽道 矢掛宿 本陣・脇本陣

国重文 矢掛本陣 大庄屋石井家 酒造業 薩摩藩御用達で天璋院篤姫も使用、萩藩も定宿としていた 矢掛町


矢掛本陣 大庄屋石井家 門内玄関


矢掛本陣 大庄屋石井家 上座敷


矢掛本陣 大庄屋石井家 薩摩藩篤姫宿泊資料 NHK大河ドラマ「篤姫」の資料も展示


国重文 矢掛脇本陣 大庄屋高草家 金融業 矢掛町




<< むかし懐かしい町並み >>
銅山とベンガラの町 吹屋

ベンガラの町 吹屋 映画のセットのような町屋がつづく 高梁市成羽町吹屋





成羽町吹屋 銅山とベンガラ業を営んだ庄屋の広兼邸 石垣が見事 内部見学可


成羽町吹屋 旧吹屋小学校 現存日本最古小学校 保存工事後リニューアル・オープン 映画の撮影にも使われた 内部見学可

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<< 郷土偉人の関連スポット >>
「道鏡事件」で活躍した和気清麻呂

和気神社 祭神:和気清麻呂、和気広虫 近くにある藤公園は藤の名所である 岡山県和気町


和気神社 和気清麻呂像 奈良~平安期の貴族
称徳天皇の「道鏡事件」で活躍 のち楠木正成とならぶ「勤王の忠臣」とされる
桓武天皇に重用され京への遷都他多くの工事も行う 関連:宇佐八幡宮


和気神社 猪が清麻呂を守ってくれた縁で狛猪を使うようになった 京都の護王神社でも同様
なお清麻呂の墓は京都梅ケ畑の高尾山神護寺境内にある

遣唐使など中国と交流 右大臣 吉備真備

 吉備真備公園を見下ろす巨大な吉備真備像 矢掛町


吉備真備像 奈良期 正二位右大臣真備公はこの辺りの豪族、下道(しもつみち)氏の出自
「吉備大臣入唐絵詞」で知られる 公私ともに波乱の人生であった


吉備大臣宮 この辺りに屋敷跡と見られる土塁に囲まれた平地がある 矢掛町


吉備真備公菩提寺 吉備寺 倉敷市真備町
境内の丘上に吉備大明神があり、裏手に吉備公墓碑、吉備公廟がある
有名な真備の墓は奈良教育大学校内に「吉備塚古墳」が知られているが、最近では時代的に合わないともいわれる

浄土宗開祖 法然上人生誕地

浄土宗 誕生寺 開祖法然上人生誕地に弟子が鎌倉時代に開創 国重文・本堂 久米南町


浄土宗 誕生寺 「旅立ちの法然さま」像 幼名:勢至丸 比叡山で受戒 のち讃岐国に遠流
浄土宗大本山:知恩院(京都市)・・徳川家も同宗であることから徳川家より多大な庇護を受けた


誕生寺 法然上人「産湯の井戸」

臨済宗開祖 栄西禅師生誕地

鎌倉時代 栄西(ようさい)は吉備津神社の権禰宜・賀陽氏の出自 備中安養寺で修行 延暦寺で得度 臨済宗開祖 建仁寺開山
日本の茶祖ともいわれる 奥向こうは吉備津神社の参道である 岡山市
     
(左写真) 浅原山安養寺境内の栄西像 倉敷市浅原
一般呼称は「えいさい」であるが、正しくは「ようさい」であるという


真言宗 浅原山安養寺 本堂 栄西1151年当寺の静心を戒師に出家>比叡山 倉敷市浅原

画聖・雪舟 少年時代の宝福寺

井山宝福寺 「雪舟と鼠」の逸話の方丈 天正の備中兵乱で焼失後再建 総社市井山


宝福寺 雪舟緊縛と鼠像 三門脇 総社市井山


雪舟生誕地公園 展示館 総社市赤濱


雪舟生誕地・生家跡 雪舟国宝指定作品陶板画と雪舟像 雪舟生誕地公園 総社市赤濱


雪舟生誕地・生家跡 雪舟像上部


古くからある雪舟生誕地の碑文 雪舟生誕地公園 総社市赤濱


秀吉備中高松城水攻め 毛利方武将・清水宗治

毛利氏武将 清水宗治 秀吉軍と和睦自刃の地 実際はこの辺りの水上の船上だった 岡山市高松
宗治自刃の後、秀吉はいわゆる「中国大返し」で近畿に引き返し明智光秀と対峙する>天王山(山崎の戦い)


清水宗治公像 高松城祉公園資料館蔵


高松城水攻め時の地図 堰き止め堤端部の「蛙ケ鼻築堤跡」掲示


備中高松城跡 毛利氏将 秀吉軍と和睦切腹 清水宗治首塚 岡山市
「城主切腹の代わりに部下の将兵は助ける」のが条件であったと伝わる


備中高松城跡 毛利氏将 秀吉軍と和睦切腹 清水宗治胴塚 岡山市





備中高松城跡 蛙ヶ鼻 水攻め築堤址(部分) 水攻め堤防の端の部分に当たるが後世の鉄道工事で利用され相当消滅している
近くに濠の一部と木杭が残っている 岡山市高松

岡山藩の工事請負人 津田永忠

岡南大橋の津田永忠像


閑谷学校にある説明板
津田永忠・・岡山藩士 池田光政、綱政の二代の藩主に仕える 藩要職に就き多くの工事、事業を行う
以下写真はすべて永忠が担当、関わった建造物


国史跡 和意谷池田家墓所 三のお山 初代池田光政と正室墓所 儒教式の墓様式
この地に永忠が墓地を造営 近くに姫路城主・池田輝政墓所がある


和意谷池田家墓所 配置図 備前市


特別史跡 岡山藩 閑谷学校 国宝講堂と(御成門)公門 日本で有数の庶民学校 儒学が基本 初代池田光政が設置 備前市閑谷
江戸から戦後に至るまで学校は変遷を重ねながら存続した


閑谷学校奥にある津田永忠宅跡 広い敷地が静かな山の麓にある 備前市閑谷


御後園(岡山後楽園) 二代綱政の命で造営 「岡山後楽園」は明治以後の呼称 岡山市


国史跡 津田永忠夫妻の墓 享年六十八 主君光政に倣いやはり儒教式 和気町

「二天一流」剣豪 宮本武蔵

武蔵の里 五輪坊 武蔵資料館(休館中) 岡山県美作市宮本


宮本武蔵生家跡 もとは茅葺火災後再建の瓦屋 岡山県美作市宮本


宮本武蔵生家跡の説明板


宮本武蔵生誕地記念碑(左) 揮毫は元熊本藩主細川護成  小説「宮本武蔵」作者 吉川英治記念碑(右) 宮本武蔵生家脇


武蔵の墓(分骨)と両親の墓 武蔵神社 生家より約200m



江戸期庶民派の僧 良寛和尚

曹洞宗 補陀落山円通寺 伝行基開山 倉敷市玉島


円通寺 良寛和尚像 江戸時代 僧、歌人、書家 越後国出雲崎出身 倉敷市玉島


円通寺良寛堂 良寛は当寺国仙和尚を生涯の師と定め師事した この寺で12年ほど修行し全国を巡業したのち
越後に帰国 子ども好きでよく相手をしたという 庶民にも人気があった 長岡市の隆泉寺に墓がある


備中藩守藩 日本近代医学祖 緒方洪庵生誕地

蘭学医 日本近代医学の祖 緒方洪庵の生家跡 岡山市足守
大坂に「適塾」を開き人材を育てた(現大阪大学医学部) 福沢諭吉、大村益次郎、箕作秋坪など多くの人物を育てた


緒方洪庵生家跡の説明板


法華宗 乗典寺 緒方洪庵の位牌と裏の墓地に両親佐伯氏の墓がある 洪庵本人の墓は東京・高林寺にある 岡山市足守

元内閣総理大臣 犬養毅(木堂)生家

立憲政友会総裁 「五・一五事件」で暗殺さる 遠祖は吉備津彦命に従った犬飼氏 大庄屋 岡山市庭瀬(北区川入)


犬養毅像 朝倉文夫作 吉備津神社駐車場 犬養氏は吉備津神社と大変関係が深い

犬養毅像の説明板


吉備津神社 石碑の揮毫は犬養毅


犬養木堂生家近隣の犬養一族墓地 犬養毅墓(右) 墓地の古い墓は「犬養」ではなく元来の「犬飼」姓
もうひとつの墓は東京・港区・青山墓地にある


犬養毅邸脇の「犬養木堂記念館」 木堂翁の遺品を展示 庭が広く手入れがよい


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