岡山藩池田家の家老たち
筆頭家老 伊木氏(備前虫明領33000石・重臣)

伊木氏領地の虫明(むしあげ) 伊木氏陣屋(お茶屋)跡 この他にお茶屋の濠の石垣を除いては遺構らしい物はない
伊木氏は元は主君織田氏、戦で功を上げ伊木を拝命、のちに池田氏に仕えた (現瀬戸内市邑久町虫明・横山製鋼株敷地)


千力山伊木氏墓地 入り口掲示 邑久町指定重要文化財 瀬戸内市邑久町虫明
此処虫明千力山に墓があるのは三代~十三代まで 有名な十四代忠澄(三猿齋)は岡山國富の少林寺に


岡山藩池田家 初代筆頭家老 第三代伊木家当主 伊木忠貞 享年61歳




岡山藩筆頭家老 第11代伊木家当主 伊木忠順 岡山藩家老土倉家より養子 早世病没 享年18歳


第12代当主 伊木忠直 病没 享年21歳


臨済宗 國富山少林寺 岡山市國富
播州姫路城主池田輝政の第八子で幡州赤穂城主松平輝興の盛岩寺が前身
第14代当主 伊木忠澄(三猿齋)縁


第14代当主 伊木忠澄(三猿齋)夫妻墓 享年69歳 贈従四位
岡山藩家老土倉家より養子 長州征討に参加出陣 のち隠居 隠居後も政治に関わる 戊辰戦争では官軍側として参加 
備中松山藩の開城にも関わる 以後、「三猿齋」と名乗り、少林寺に茶室を構え裏千家を行う 児島湾開墾に失敗し借財を抱える
臨済宗 國富山少林寺墓地 岡山市國富


臨済宗 國富山少林寺 本堂裏手の小堀流庭園 三猿堂 三猿齋に因み毎年茶会が催される


岡山藩家老 伊木家分家 伊木蕃頭幸賢 享年43歳 岡山市 龍ノ口山麓 湯迫



次席家老 池田氏(備前天城領32000石・藩主一門)

天城池田氏 陣屋(お茶屋跡) 現天城高校グラウンド(写真外左) お茶屋の遺構は一切ない 倉敷市藤戸町天城
向こうの天城高校奥の小山に天城池田家墓所がある


天城池田家 菩提寺 臨済宗 西江山海禅寺 天城池田家初代由之墓所(墓所は米子にも)
初代由之の祖父・父は「小牧・長久手の戦い」で討死 備前下津井城主 のち由之は部下の恨みをかい刺殺される


天城池田氏第二代 池田由成 岡山城池田光政家老 下津井城ー天城陣屋(お茶屋) 32000石
由之の死後子の由成が跡を継ぐ 一国一城令により下津井城主から天城陣屋へ(お茶屋) 享年72歳
*娘の熊子は赤穂藩家老大石良昭に嫁し大石良雄が生まれる(大石内蔵助良雄の外祖父) 天城池田家墓所


天城池田氏第三代 池田由孝 由成三男 32000石 天城池田家墓所
門閥家老として藩政改革者津田永忠と対立 主君綱政より叱責さる 赤穂藩大石良雄は甥 享年56歳


天城池田氏第十代 池田政昭 30000石 天城池田家墓所
1864年幕府の命令で長州征討に参加出陣 享年42歳
注:天城は赤穂事件後、家老大石内蔵助の縁者であるとして幕府から2000石減ぜられ幕末まで続いた


天城池田氏第十二代 池田政佑 男爵 明治~大正 天城池田家墓所
 近衛歩兵第三連隊 予備役少佐 大正天皇死去で自殺殉死 享年44歳 乃木将軍を礼賛の皇室中心主義者


浄土真宗 静光寺 天城屋敷総門 大石良雄祖母の墓



<その他の岡山藩池田家家老>

片桐池田家 備前周 藩主一門 25000石
日置家 備前金川 重臣 16000石
建部池田家 備前建部 藩主一門 14000石
十倉家 備前市場 重臣 10000石
隅池田家 隅屋敷 藩主一門  5000石
(出展:Wikipedia)

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