月山富田城
国史跡・日本五大山城・百名城・尼子氏居城・島根県安来市
尼子氏は下剋上で戦国大名になったが最後は毛利氏に滅ぼされた



富田山荘温泉(塩谷口側)より望む日本五大山城*:富田城の上部 三の丸(中央)と本丸(右)

*日本五大山城:春日山城(越後国)、月山富田城(出雲国)、観音寺城(近江国)、小谷城(近江国)、七尾城(能登国)




富田城登山口脇(お子守口)にある説明図(陶板・汚れあり)




富田城想像復元図 (山中御殿跡掲示の図)





富田城登山口脇(お子守口)にある安来市立歴史資料館 「いにしえの安来」「富田城と乱世」「新しい社会へ」の三本柱で展示
隣接して広瀬絣センターと観光案内所があり、パンフレットや情報がもらえる 駐車場無料





富田城登山口脇(お子守口)





千畳平 下からは大きな石垣が見える 城兵集合の場





千畳平にある尼子神社












太鼓壇 此処は当時は太鼓を打ち鳴らし時を告げたり、非常時兵士を召集するのに使った場所





太鼓壇にある山中鹿之助像








花の壇 当時の侍所で一部が復元された 下は内部の様子













山中御殿跡(下)、大手門跡(左)、三の丸(上)、本丸への上り道・七曲がり
七曲がりは元は木の茂る石を敷き詰めた細い道があったが今は開ける 
山中御殿は他の城では本丸御殿にあたる場所で城の中核




大手門左側の櫓跡と雑用井戸(左端)





大手門脇の雑用井戸 現在も水が湧く





山中御殿跡から七曲がり道への石段部





七曲がりにある親子観音








七曲がりから山中御殿跡(中央)を見下ろす 七曲がりの舗装道は現代の物で本来の石畳道と比べるとやや違和感がある 上方が花の壇





三の丸の石垣





三の丸(手前)と二の丸(奥)





二の丸から見る安来市街と中海(塩湖) 中央左に日本庭園で知られる足立美術館が見える





本丸から見る二の丸 間には最後の防御線である堀切(下)がある






本丸 標高は197m 最奥が勝日高守神社





振り返ってみる本丸部 右の石碑は明治期に立てられた「山中鹿介幸盛記念碑」





同「山中鹿介幸盛記念碑」  城下を見下ろす良い場所にある





本丸最奥の勝日高守神社 祭神は大国主命 尼子時代は城内の守り神



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