玉松城(備前金山城)
松田氏の山城・宇喜多直家によって落城 岡山県岡山市北区御津町


玉松城(備前金山城)があった臥龍山 標高225m 比高185m 手前は旭川


臥龍山麓にある七曲神社 城主松田氏の氏神(神社) 本殿は右上


七曲神社境内に掲示の城沿革


御津郷土歴史資料館 登り口の斜め前にあるが、館内に城展示は一切無し 金山(玉松)城関係の数枚のパンフレットが置いてあるのみ


金山城の登山口のひとつ脇にある日蓮宗不受不施派本山・妙覚寺
不受不施派は戒律に厳しく秀吉、家康にも従わず、家康は当時の日奥上人を流罪とした
江戸期、岡山藩の池田光政によって大弾圧を受けてから、明治に至るまで弾圧され続けた
これらの経緯から外部の者とは一線を画したと思われ、写真にあるように「信徒以外立入禁止」とある


妙覚寺の横側にある長屋門 幕末の漢方医の難波抱節宅の一部が残る ここにも「信徒以外立入禁止」





裏側に当たる登山口(上地図で妙覚寺の左側)にある案内看板 汚れや老朽化が進むが位置関係は分かる


登山口から少し上がった所 山は国有林である イノシシ出没の跡が各所に 治部ヶ谷にむかう


治部ヶ谷を過ぎるとやがて石垣が見えてくる 寺があったといわれる道林寺丸跡らしい


道林寺丸跡


道林寺丸跡最上部でやっと林が切れ視界が広がる 下は宇甘川、流れて旭川に合流する





北の丸と本丸への分岐点 本丸に向かう


本丸跡 標高200m余の比較的低い山城である ふつうの人でここまで約30分余



 
              本丸跡にある老朽化した城の縄張り図      (右)同説明板 最後の城主、日置氏は岡山城・池田氏の家老の一人


本丸跡にある松田氏慰霊碑 碑文は「松田主従一族の霊」とある



本丸下にある「天守の井戸」


「天守の井戸」は現在でも深さ十数mあり間口は驚くほど広い 下の丸い部分は底面 水は涸れている


本丸から北の丸に向かう その前に「白水の井戸」へ


上写真の場所から十数m下りると「白水の井戸」がある


北の丸 この北側稜線に堀切が二ヵ所ある


北の丸から見下ろす旭川 脇を岡山~津山の街道が通る


ひとつめの堀切


ふたつめの堀切 ここより本丸に引き返す


本丸の枡形虎口側にある少し高くなって大石が転がっている場所 天守か櫓でもあった場所か


枡形と覚しき場所


杉の木井戸跡


二の丸跡


二の丸跡より見下ろす旭川と金川の町


出丸跡



千島坂 葛籠折れの道がえんえんと続く


岡山市北区役所御津支所前に出てくる登山道 こちらから登る人が多いらしい


こちら側にある案内図


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