国史跡・日本百名城・毛利氏城跡
郡山城
広島県安芸高田市 (吉田郡山城)

安芸高田市歴史民俗博物館
旧石器時代~現代まで幅広く展示 主要展示は毛利一族関係 ここを見てから元就墓地や本丸に向かう


毛利元就の甲冑(複製)
その他の展示室内の展示品は撮影禁止


館内展示の年表(毛利氏関係部分)


館内展示の郡山城説明(写り込みあり)
1591年毛利氏は郡山城から広島城に移るが、しばらくは当城は保持されていた


博物館外の郡山城跡案内図


郡山城地図(安芸高田市歴史民俗博物館発行地図部分引用)
(14)毛利隆元墓所 (17)毛利元就・毛利一族墓所 (1)本丸 (9)本城の本丸


博物館外の元就像と郡山城祉の本丸(奥の郡山)


安芸高田市地域振興事業団敷地内の元就像


登城口にある碑と説明板

説明板に影があります


毛利家墓所に向かう途上道上にある毛利隆元の墓地


毛利隆元の墓地 隆元は元就の嫡男 毛利氏十三代 子が毛利輝元
父と尼子氏の月山富田城攻め 厳島の戦いで陶晴賢を滅ぼす

墓地の説明板 キズ・汚れがあります


毛利元就ならびに毛利一族墓所参道 前に駐車場あり


毛利一族墓所 元就墓は正面二段上、他は右側一段上にある
毛利氏の本姓は「大江氏」、大江広元の子孫だという


下段の毛利一族の墓
左から順に、元就の兄毛利興元、二番目は幼少で亡くなった幸松丸(両者とも元の菩提寺は吉田の秀岳院)、
三番目は毛利隆元の妻(元の墓は郡山城内某所)、右端の墓は猿掛城にあった元就の祖父以前の墓を移転合葬したという
これらは上述のように他所にあったが明治二年にここに移転し統合した


毛利元就墓(奥)のある上段部


上段奥の毛利元就墓 元就は1571年75歳没
中心部の大木はハリイブキ(現在枯れ木)で当時の墓標であったという
 洞春寺(毛利元就菩提寺)跡 洞春寺は現在山口に移転


「百万一心」碑
元就伝説の有名な碑であるが後世のもの

<毛利家墓所より郡山城本丸に向かう>


荒れているが大事な禅師の墓


元就の葬儀の導師をつとめ、洞春寺の開山になった人
説明板にキズや汚れがあります



郡山城 本丸に向かう尾根道 半分くらいは歩いたか「本丸へ350m」とある


郡山城 御蔵屋敷跡 「本丸へ100m」とある



郡山城 二の丸上がり口 右奥に最大の三の丸がある


郡山城 二の丸跡


郡山城 本丸跡 標高390m、比高190m


郡山城 本丸跡上部


歴史民俗博物館から毛利家墓所経由で約45~50分 下りは別の登城道を使う


郡山城 登城口 郡山公園 紅葉は始まったばかり


清(すが)神社
鎮守社として毛利氏に篤く信仰された


清(すが)神社 舞台
境内の六本の杉の大木は「千年杉」という神木(天然記念物)


清(すが)神社 鳥居と参道




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