トルコの世界遺産 アヤ・ソフィア(ハギア・ソフィア/セント・ソフィア)寺院  トルコ・イスタンブール

 日本人にもよく知られるイスタンブールのアヤ・ソフィア(寺院)は大変長い歴史をもつ 私たちが学校時代に習った有名な「ローマ帝国」は375年の「ゲルマン民族大移動」後に東西に分裂した その東半分「東ローマ帝国」は5世紀頃から始まる  その時代に国教化されたキリスト教は「東方教会」となってコンスタンティノープル(ビザンチウム)で発展する

 その「東ローマ帝国」では4世紀のコンタンティヌス1世」や6世紀のユスティニアス1世がよく知られるが、ローマ帝国の後継者として対外的にも国内的にも巨大な帝国を統治した そういう時代の「東方教会」の中心がセント・ソフィア寺院であった

 ところが15世紀中頃にこの国がイスラムの「オスマン・トルコ帝国」に滅ぼされる(中世の終焉)と、この寺院は改装されてイスラム教のモスクとなった そして長い間イスラムの支配が続いたが、近代になってケマル・アタテュルクによって初めての共和制になった

 トルコは第一次大戦にドイツ側で参戦敗北したが、第二次大戦後にはヨーロッパ諸国に近寄った 大戦後にこのモスクは博物館にされて大規模な修復がなされた 下のモザイク画は東ローマ帝国時代の物で、聖母子を真ん中に皇帝ユスティニアヌスとコンスタンティヌスが両側を挟んでいる

 たいへん驚くことは「偶像崇拝絶対禁止」のイスラム教徒のトルコが、キリスト教の聖母子を破壊せず漆喰様の物で塗り込めたことである 中央アジア-東アジア地域のイスラム支配地域では、仏教遺跡の壁画や仏像が顔を壊されてきた しかるにトルコでは肖像画が完全に破壊されず塗り込めるだけで、結果的に保存されたのである

 そういう意味で、筆者はこの聖母子像に大変な感銘を受ける 元々筆者の高校時代の「007/ロシアから愛を込めて」という映画にこの寺院が登場したのに影響されて、「いつかイスタンブールに行きたい!」と思ってきたのであるが、そういうことを吹き飛ばしたのがこの「聖母子像」であった




トルコの世界遺産 アヤ・ソフィア(ハギア・ソフィア/セント・ソファ)の聖母子像

長いイスラム支配時代にも破壊されず、現代にまで生き残ったモザイク画


内部リンク:「アヤソフィア」と「ブルーモスク」2004

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