13 敦煌途上の「漢の長城」
 

 「柳園駅から敦煌までは、130km3時間です」と、ガイドが言った。土漠(ゴビ)の上をまっすぐ道は続く。遙か前方のトラックが、アスファルトの上で揺れている。陽炎(かげろう)だ。遠く右手を見ると、何もないはずの所に湖が見えている。車の動きにつれて動いていた。蜃気楼(しんきろう)であった。

漢の長城(土塁)(筆者写)

 やがて凸凹の荒れ地の中に、崩れた土盛りが点々と見えてきた。「漢の長城」であった。日本人に有名なのは「秦の長城」だが、実際は、秦はそれまであった長城を、つないでさらに大きくしたということだ。ガイドの説明によれば、ポツポツと見えるのは狼煙台(のろしだい)で、間の「塀」の部分は崩れて台の部分だけが残っている。見ると土ばかりで、石は使っていない。

 古代の「長城」は、おしなべて土製であり、枠の中に泥を流し込んで、撞(つ)き固めて作るのだそうだ。この辺りは大きな石は見あたらないので、こんな作り方しかないのだろう。同じ「万里の長城」でも、エジプト文明とメソポタミア文明ぐらいの違いがある。いくら沙漠と言っても、2000年以上経つと崩れるなあ、と思いながら写真を撮っていた。因みに、学校の社会の教科書に出てくる「石」の長城は、北京の近くの明代の物だ。ついでに言うと、「狼煙」(のろし)の狼の字は、むかし合図に狼の糞を燃やして使ったことに由来するという。