私たちが訪れた 有名人が眠る墓地(海外編)
海外の墓もいろいろ
 オーストリア・ウィーン ヴェーリンク墓地(現シューベルト公園)

ベートーヴェン(左)とシューベルト(右)の最初の墓 オーストリア・ウィーン・
1796年に始まったこの墓地も1873年に閉鎖され中央墓地に移された 現在はシューベルト公園となったが最初の墓はそのまま残された

 オーストリア・ウィーン マルクス墓地
古い墓地だが街中で衛生上の問題があり1874年に閉鎖、中央墓地に移された

モーツァルトの記念墓 彼の最初の墓地
彼は共同墓地に入れられたので正確には墓そのものはない

 オーストリア・ウィーン 中央墓地
 
ウィーン中央墓地正門  Analog photo
中央墓地はウィーンの各墓地を廃止しここ一か所の集めたもの


左からベートーヴェン墓番号29 モーツァルト/墓番号55 シューベルト/墓番号28 Analog photo

 
ベートーヴェン/29                            シューベルト/28
主に音楽関係有名人が集まる32a「名誉墓」ブロック

現地見取り図 数字は墓番号 Analog photo


ヨハネス・ブラームス/墓番号26 Analog photo

<中央墓地の他の有名人たち>
フーゴ・ヴォルフ、ヨハン・シュトラウス(父子)、スッペ、エドワルト・ストラウス、ヨーゼフ・シュトラウス
グルック、サリエリ、カール・ツェルニー、ローベルト・シュトルツ、ウィリー・ボスコフスキー、ロッテ・レーマン
ハンス・スワロフスキー、クルト・ユルゲンス、アーノルド・シェーンベルク、ベーゼンドルファー
・・

 オーストリア・ウィーン
ビュルガー・シュピタール・ゴッテザッカー墓地

作曲家 アントニオ・ヴィヴァルディの「墓碑銘」
以前からあったこの墓地は1789年閉鎖され、後にウィーン工科大学が建てられた
1741年にヴィヴァルディはこの墓地に埋葬されたが、現在墓そのものは存在しない


ウィーン工科大学壁面のヴィヴァルディの「墓碑銘」(上写真)
同じ壁面に「ヨハン・シュトラウスは当大学の卒業生」とかいたプレートもある

オーストリア・グラーツ シュタインフェルト墓地

グラーツ市・ザルツブルグ市・ウィーン市各名誉市民 オーストリア国総音楽監督
カール・ベーム (墓はベーム家の家族墓) 日本ではウィーンフィルと何度も来日

ベーム家墓碑銘 部分拡大

ポーランド・ワルシャワ 聖十字教会

ショパンの心臓が埋められた柱がある(下写真)

柱の一番下の部分に心臓がある 戦争中一時ナチスに奪われた時代があった

チェコ・プラハ ヴィシェフラド(高い城)墓地

ヴィシェフラド(高い城) スメタナの「わが祖国」に同名の曲がある 名前通り丘上にあり眺望は良い


アントニーン・ドヴォルジャック 作曲家 「交響曲9番新世界」


スメタナ 作曲家 「売られた花嫁」「モルダウ」


名誉墓の一角にある有名人たちの墓
アルフォンス・ムハ(ミューシャ) 画家・デザイナー
ヤン・クーベリック ラファエル・クーベリック 作曲家・指揮者

ハンガリー・ブダペスト ファルカシュレート墓地

ファルカシュレート墓地 正門 門前には花屋、ローソク屋がならぶ この町最大の墓地


ゾルタン・コダーイ 作曲家 「ハーリ・ヤーノシュ」


ベラ・バルトーク 作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家


ゲオルク・ショルティ 指揮者 「ニーベルンクの指輪」全曲録音

オランダ・デルフト 旧教会

伝説の画家 ヨハネス・フェルメールの墓 教会内の床にある
「青いターバンの少女」(真珠の首飾りの少女)

オランダ・デルフト 新教会

「国際法の父」 フーゴ・グロティウス 教会内部の立派な墓

ルクセンブルグ・ルクセンブルグヴィユ アメリカ軍墓地

アメリカ軍墓地 正門 ルクセンブルグ

第二次大戦 米陸軍第三軍 司令官パットン将軍(手前)と兵の墓
戦車軍団を率いて活躍 アカデミー映画「パットン戦車軍団」の主人公

ドイツ・ライプツィッヒ 聖トマス教会


聖トマス教会 脇に大きなバッハ像が立つ


聖トマス教会 前陣床のJSバッハの墓碑 彼の三度目の墓

デンマーク・ロスキレ ロスキレ大聖堂

世界遺産 ロスキレ大聖堂 歴代デンマーク王の墓地 ルーテル派 デンマーク・ロスキレ


世界遺産 ロスキレ大聖堂 祭壇


ロスキレ大聖堂 デンマーク王家の墓が並ぶ由緒ある大聖堂

フランス・ジヴェルニー クロード・モネの愛して住んだ村

印象派画家の代表 クロード・モネの家にある睡蓮池 撮影時睡蓮はシーズン外 フランス・ジヴェルニー


村はずれのカトリック教会にあるモネ・ファミリーの墓 フランス・ジヴェルニー


家族墓上部にあるクロード・モネの墓碑銘 フランス・ジヴェルニー

フランス・アンボアーズ 世界遺産 アンボアーズ城

世界遺産 アンボアーズ城 イタリアを出てフランソワ一世の庇護を受けたダ・ヴィンチ 名画「モナリザ」も持参


城内のダ・ヴィンチ像 彼はフランソワ一世からル・クロ・リュセの城館をもらった


レオナルド・ダ・ヴィンチの二番目の墓
 アンボアーズ城内サン・ユベール教会

フランス・サンドニ サン・ドニ・バジリカ大聖堂

サン・ドニ・バジリカ大聖堂 歴代フランス王たちの墓


ルイ16世とマリー・アントワネットの像


ルイ16世とマリー・アントワネットの墓(中央)


ブルボン朝絶対主義 太陽王 ルイ14世の墓

フランス・パリ モンマルトル墓地(北墓地)

墓地正門

作曲家・オルガニスト サンサーンス パリ音楽院 フランス国葬 家族墓

詩人・評論家 シャルル・ボードレール 「悪の華」

フランスの天才フルート奏者 ジャン・ピエール・ランパル
ジュネーヴ国際コンクール優勝 パリ・オペラ座管弦楽団首席奏者

フランス・パリ ペール・ラシェーズ墓地

墓地脇門

フレデリック・ショパンの墓(身体) 人気があって参拝者が絶えない
(注)ショパンの心臓はポーランド・ワルシャワの聖十字教会にある (別掲写真)

パリ音楽院長・作曲家 ケルビーニの墓

ピアノ製作者・出版者 プライエル(プレイエル)
彼のピアノはショパン・リストも使用 パリのホール「サル・プレイエル」も彼の手

画家・ジェリコーの墓 レリーフは代表作「メデューズ号の筏」

エジプト学者 シャンポリオン 神聖文字(ヒエログラフ)を解読

伝説のシャンソン歌手 エディット・ピアフの墓 1963年の死後長いが大変な人気である

アイルランドの詩人・作家・劇作家 オスカー・ワイルドの墓 オックスフォード大首席
大変な人気で墓参りも多いが、何と墓にキスマークを残す女性ファンも多い 注意書きがあった

画家・彫刻家 マリー・ローランサン パステル・カラーの画風 仏名女優ジャンヌ・モローの養母

シャンソン歌手・俳優イヴ・モンタンと名女優シモーヌ・シニョーレの夫婦墓

画家 ウジェーヌ・ドラクロワ ロマン派 「民衆を導く自由の女神」

画家 カミーユ・コロー バルビゾン派

作曲家 ジョルジュ・ビゼー 「カルメン」「アルルの女」

フランス・カン 男子修道院

男子修道院中庭


男子修道院内部のギョーム(ウィリアム)の墓
イギリスを征服し「ノルマン王朝」をたてた「征服王ウィリアム」の墓

フランス・ルーアン ジャンヌ・ダルク教会

建立の新しいジャンヌ・ダルク教会 火刑の跡地に建てられた のちジャンヌは聖人になりフランスの守護神となった
「オルレアンの少女」

刑場跡地 「ジャンヌダルクが1431年5月30日に火刑にされた場所」という説明板 当然墓はない

フランス オヴェール・シュル・オワーズ ゴッホ終焉の地

ゴッホの住んだ「ラヴー亭」 二階の右上の屋根裏部屋 最も安い部屋だという


丘上の墓地 ゴッホ(左)と弟テオの墓(ともに移転)が仲良く並ぶ

ノルウェー・ベルゲン グリークの家

作曲家 エドアルト・グリーク フィヨルドの崖上にある家 ノルウェー・ベルゲン


作曲家 エドアルト・グリーク 崖上にある家の崖下にある夫妻の墓 二人の名前を刻む 前はフィヨルドの海面

英国・ハワース 「嵐が丘」ブロンテ・ファミリーの地

姉妹の父が41年間つとめた教区教会 英国・ハワース


教会床にあるエミリー・ブロンテとシャーロッテ・ブロンテの墓碑銘

ロシア・モスクワ 赤の広場 レーニン廟

ロシア革命の指導者ウラディミール・レーニンが眠る霊廟(右) エンバーミング保存処理をして展示する

台湾・霧社

モーナルーダオの墓
日本の台湾統治に対する台湾人の蜂起「霧社事件」1930年のリーダー 追い詰められて最後には自殺したという

タイ・カンチャナブリ 連合軍墓地

アカデミー賞映画「戦場に架ける橋」の舞台 日本軍による過酷な労働で死んだ連合軍捕虜将兵の墓

アルジェリア・アルジェ郊外 通称「クレオパトラの娘の墓」

実際は「マウリタニア(モーリタニア)王国」の王族の墓といわれる 地中海を見下ろす丘上にある
内部が見学できるが石室には何もない

英国 ストラトフォード・アポン・エイヴォン ホーリー・トリニティ教会

英国最高最大の劇作家 ウィリアム・シェイクスピアが眠るホーリー・トリニティ教会 
ストラトフォード・アポン・エイヴォン

ホーリー・トリニティ教会 ウィリアム・シェイクスピアの墓碑銘 前陣床 from postcard


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