アメリカ人としての二世たち "Nisei"as American citizen


 さて、丸子 王児氏が、ホーム・ページに「アメリカの日系人強制収容所」というサイトを開いているので、そのまま引用してみたい。

・・・ 米国の市民権を拒否された日系人たちが、収容所では、米国への忠誠度を検査された。その質問の第二七は、米軍への入隊の意思を問うものであり、第二八は、米国への忠誠を誓い、日本へのあらゆる忠誠を拒否するかどうかを問うものであった。これらの質問に「イエス」と答えた場合、徴兵適齢の男性は徴兵を受け、他の人々は収容所から釈放される。「ノー」と答えた場合、不忠誠分子として隔離収容所へ転送されるか、国外追放となり日本に送還される。米国への忠誠を示すため米軍に加わった日系人たちは、皮肉にも、両親がなお監禁されている収容所から戦場へ旅立ったのである。・・・

 
  

収容所から兵士に志願した日系人 (A) (文章とは無関係です)


 
もともと「日系人」たちは、日米の雲行きがあやしくなった、太平洋戦争が始まる前年に、アメリカに対する「忠誠心」を表す気持ちを、以下のような「日系アメリカ人市民連盟信条」として発表していた。それにもかかわらず、日本の「真珠湾攻撃」は、その宣言文を簡単に吹き飛ばしてしまった。

 
 
私は、日本人を祖とするアメリカ人、つまり、日系アメリカ人であることを誇りに思うものであります。なぜならば、この国が国民に与えているこの上ない恩恵を、日系という出自ゆえに、より深く感謝しているからであります。
私は、アメリカの制度、理想、および伝統に信を置く者であります。
また、国家としての輝かしい未来も確信しております。私はアメリカ国民として、家が持て、生計をたて、信仰、思想、言動の自由を享受しております。
まさしく、他のいかなる人間と同じく、自由な人間としての生活が許されてきました・・・。(以下略)




 
   <日系アメリカ人市民連盟(JACL)信条1940−より抜粋>
                 (A) 橋内幸子訳


  

 開戦後の彼らの気持ちを英語で端的に言うと、"Give us a chance to prove our loyalty."「米国への忠誠を証明するチャンスをください」ということであろう。この「忠誠心」を表す最も良い方法は、兵役に就いて戦争にゆくことであった。また実際のところ、それしかなかった。自分が「アメリカ人であること」を立証するため、また日系人の「地位向上」のため、彼らは自ら兵役を志願し、ヨーロッパ戦線へ赴いた。映画にもなった有名な第442歩兵連隊である。全米から日系二世だけを集め、編成された部隊であった。イタリア戦線で大活躍したが、その結果多数の死傷者が出た。代償は大きかったが、アメリカ国民の「日系人」を見る目が、次第に変わっていったといわれている。


日系人部隊の活躍を伝える紙面
ユマ サン アンド センティネル紙
1944.7.2 (A)


 (ただし、国会議員になるダニエル・イノウエ氏は、イタリア戦線で戦功を立て、たくさんの勲章をもらった直後でも、サンフランシスコの理髪店で「ジャップ」という理由で、店を追い出されたという。クのサイトより)


 また、太平洋の戦いでは、沖縄県出身の二世が、通訳などの仕事で沖縄に上陸し、多くの沖縄県民の命を救ったと伝えられる。(ウ)また、戦後本土に上陸した「占領軍(進駐軍)」にも、日系二世たちが多くいて「占領行政」に参加し、日本の「民主化」に努めたのである。そういう意味では、日系二世たちは、日米の「架け橋」の役割も果たしたのである。