「東京ローズ」 ”Tokyo Rose(Tokio Rose)”

さて、収容所の人たちが言っていた「東京ローズ」とは、いったいどんな人物だろうか?

(上写真)アイバ・戸栗、連合軍・巣鴨プリズン収監中の姿 当時29歳(コ)
 
 
 
東京ローズ・・本名は「アイバ戸栗ダキノ」という。1916年シカゴ生まれの日系二世。カリフォルニア大学卒、日米開戦時に日本に帰国中で、戦争中は日本に残り、NHKによる日本の宣伝放送で、連合軍兵士に甘い声で呼びかけた。「厭戦気分」を催させることを目的とした。終戦直後占領軍に逮捕される。その後証拠不十分で釈放されたが、アメリカ帰国後の48年6月再逮捕。49年9月サンフランシスコ連邦裁判所で国家反逆罪により禁固10年、罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪の有罪となり、服役。54年仮釈放。1956年1月27日釈放され、米国外追放となる。全米日系市民協会やハワイ州知事、カリフォルニアの両院などで特赦を要求する運動が起こり、77年1月フォード大統領は退任の日に特赦を発表して市民権を復した*。(コ@)なお蛇足ながら、「東京ローズ複数説」がある。

*参考資料・・アイバ戸栗は特赦で自由の身になるまで30年以上かかっている。名誉は回復したもののまだ米国籍を剥奪されたままである。日本国籍もないから、80歳を越した今も彼女は無国籍である。ナチスドイツの謀略放送に荷担したドイツ系アメリカ人も裁判にかけられたが、短い期間服役しただけで釈放された。(コA)

 上記の「東京ローズ」も日系二世で、立場こそ違うが、やはり意に反して戦争に巻き込まれた一人である。結果的に、「アメリカの二世たちが、日本の二世に騙された」ことになる。「歴史の皮肉」であろうか。さて、既出のお二方の「強制収容所」の話は、信じ難い内容もあるが、実は実話である。本当は、こういう方々の11万通りのストーリーがあるのであろう。ここには、生命だけでなく、人間の「尊厳」をも傷つける戦争の本当の恐ろしさが、読みとれる。

 考えてみると、これら米政府の日系人に対する一連の「処分」の強力なモウティヴェイション(誘因)は、「真珠湾攻撃」だったのである。私見ではあるが、「有色人種」に「宣戦布告なし」に「先制攻撃」をされ、たまたまハワイにいなかった空母を残して、「太平洋艦隊がほぼ壊滅」させられたことから、アメリカ人の 「プライド」が大いに傷つけられた。それまでの「米国史」の中で、いくつかの外国と戦ってきたが、緒戦とはいえここまで負けたことはなかった。しかも相手が、「有色人種」の国である。このことが、彼らをエクセントリック(異常)な行動に走らせたのであろうか。
 
 しかしこれとは別に、以下のようなかなり「信憑性のある説」も存在する。この説については、アメリカ人の学者でも主張する者がいるところが面白い。ルーズベルト大統領は、ずっとドイツに対して参戦したがっていた。しかし、米国民は参戦には反対だった。そこで、開戦の口実にするため、「経済封鎖」「資産凍結」などで、意識的に日本を戦争に追い込み、すでに暗号解読されていた「米国攻撃」の情報を、太平洋艦隊司令長官キンメル提督やハワイ方面軍陸軍司令官ショート中将には知らせなかった。結果的に、米国が日本に奇襲(Sneak Attack)させた形になった。この考えは、スチムソン陸軍長官の考えでもあったという。(8)他

    
 
(筆者注)米二十世紀FOX映画「トラ、トラ、トラ」にもそれらしいことが出てくる。

(追加資料)
(訃報)
 「東京ローズ」穏やかに逝く
(読売新聞2006/9/30付記事より部分抜粋)
 
 ・・・アイバ・戸栗・ダキノさんが26日、・・90年の生涯を閉じた。・・「私は(戦時中も)ずっと米国に帰りたいと思っていた。罪になることをしたなんて思いもせず、イノセント(潔白)だった。」2000年秋、地元の日系人団体に請われて行った講演で、そう力説した。ニューヨーク・タイムズは訃報記事で「『東京ローズ』は米兵が名付けた神話的存在だったのに、米国人の彼女が結びつけられてしまった」と指摘、ワシントン・ポスト紙も「終戦直後の強い反日感情が、メディアに『東京ローズ』を探させた」と論じた。

 アイバさんの代理人を長く努めた
ウェイン・コリンズ弁護士は「すさまじい体験をしたのに、彼女はよく耐えた。実に強く思慮深い人だった」と振り返る。

 ・・・晩年、
アイバさんを「戦争の被害者」とする見方が米社会に浸透、理解が進んだことで、こころがほぐれた面はあるようだ。今年1月には、困難な時も米国籍を捨てようとしなかった「愛国的市民」として退役軍人会に表彰され、感激の涙を流した。シカゴで暮らした晩年は穏やかだった。・・・・(以下略)

かくして彼女の長い長い「戦い」は終わった。だが、事実は決して消えはしない。
政府の過ちも決して消えはしない。二度とこのような不幸があってはならないのである。
彼女の冥福を静かに祈りたい。

(2006/10/1・この項訃報に接して追加)