プラハ・ヴィシェフラド(高い城)墓地・チェコ
作曲家:スメタナ・ドヴォルジャック・指揮者:クーベリック・アンチェル・画家:ムハ(ミューシャ)が眠る墓地



ヴィシェフラド墓地 Hrbitov Vysehrad 通路正面に記念的霊廟「スラヴィーン」(名誉墓)がある





墓地入り口 地元の児童生徒、学生、観光客なども多い







 

墓地脇に立つ聖ペトルとパヴェル参事会大聖堂(ネオ・ゴシック)





墓地中央正面に立つ記念的霊廟「スラヴィーン」(名誉墓) この国の名士たちが入る




<「スラヴィーン」の左奥部>

アルフォンス・ムハ(ミューシャ) (上;1860-1939)
アール・ヌーヴォーを代表するグラフィック・デザイナー(画家)
商業デザイン、ポスターなどで大活躍し一世を風靡した 今でも世界中でファンが多い
プラハにはムハ美術館がある


ヤン・クーベリック  (中;1880-1940)
ヴァイオリニスト・作曲家 正確な演奏で一世を風靡した ラファエル・クーベリックの父

ラファエル・クーベリック  (下;1914-1996)
指揮者・作曲家 プラハ音楽院卒 チェコフィル主席指揮者 チェコ共産化後英国亡命
シカゴ交響楽団・コヴェントガーデン王立歌劇場音楽監督 バイエルン放送交響楽団首席指揮者






屋根付き霊廟部 生徒たちが説明書を見ながらお目当ての有名人の墓を探す





アントニン・ドヴォルジャック(日本名ドヴォルザーク)  (1841-1904)
屋根付き霊廟に堂々と鎮座する大きな像 チェコ国民楽派を代表する作曲家
交響曲8番、9番、スラブ舞曲、チェロ協奏曲家などはよく演奏される名曲





ベドジフ・スメタナ (1824-1884)
「スラヴィーン」の前に位置する いつも墓前に献花が絶えない大作曲家
チェコ国民楽派の開祖 交響詩「わが祖国」は一種の愛国曲 「売られた花嫁」はチェコ民謡を多用する






カレル・アンチェル (1908-1973)
指揮者 プラハ音楽院で名指揮者ターリッヒに師事
ユダヤ系のためナチがチェコ支配後、強制収容所に送られ家族は虐殺されるが、彼のみが生き残る
戦後、チェコフィル常任に就任 1968年チェコフィルとアメリカ演奏中に「プラハの春」事件が起こり
即座に指揮者を辞め帰国を断念し亡命する 小澤征爾の後任でトロント響常任に就任するが4年後客死
後年、チェコフィル後任のヴァツラフ・ノイマンが関わって故国の当墓地に遺体を再埋葬した






フランティシェク・オンドリチェク(オンドジーチェック) (左;1857-1922)
ヴァイオリニスト・作曲家 ドヴォルジャック「ヴァイオリン協奏曲」初演者 プラハ音楽院卒
パリ音楽院首席 第一次大戦後、プラハ音楽院でマスタークラス主宰

フェルディナンド・ラウブ (右;1832-1875)
ヴァイオリニスト・作曲家 プラハ音楽院卒 オーストリア宮廷演奏家 ベルリン・シュテルン音楽院教授
モスクワ音楽院教授 チャイコフスキーが絶賛し弦楽四重奏曲三番を捧げた





ミラダ・ホラコヴァ (1901-1950)
反骨の政治家 カレル大学法学部卒 1939年ナチのチェコ占領で反体制運動に参加
 ゲシュタポに捕らえられて死刑宣告されるが後減刑、テレジン強制収容所や各刑務所に送られる
戦後政治家に復帰するが、のち共産党支配になって「反体制活動者」として1949年逮捕され、
秘密警察が拷問を続けた 1950年彼女と12人の仲間の裁判が始められ、彼女は自分の意見を
主張したが死刑が宣告された アインシュタインやチャーチルなどが助命請願したが、
1950年絞首刑が執行された 享年48歳 裁判は反体制者への一種の見せしめであった
(文はWikipedia English ver.からの抄訳)





   
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@Hrbitov Vysehrad, Oraha, Czech Repblic, Datum: May 29, 2011, Camera: CANON EOS50D