ホテルからプサン港へ 

          
 プサン港


 帰る日が来た。中二日の観光では、ほとんど何も見ることはできなかった。時間があれば、朝鮮戦争時の死者を葬った国連墓地、新羅時代の名刹で秀吉軍に破壊された梵魚寺や高速バスで数時間の新羅(しらぎ)の首都、慶州にも行きたかった。後ろ髪を引かれる思いで、迎えのマイクロバスに乗った。バスは港の直前で土産物店に寄った。パック旅行お決まりのコースである。旅行社は客を店に連れてきて、売り上げの一部を受け取る仕組みである。

 店内には、いかにも高そうな首のくびれた青磁の花瓶や壺(つぼ)から、キムチパックや高麗人参酒、安いものではキーホルダーまである。旅行社の係員と私たち4人以外に客が誰もいない広い店内には、手持ちぶさたのオバサン店員が4,5人突っ立っている。寄ってきて代わる代わる品物を勧めるが、若い2人組は何も買わず、私たちは美容に良いという「竹塩」を2袋だけ買った。

 添乗員の女性は、いくぶん不機嫌そうに見える。そういえば、少し前にこう言っていた。「お客さん、今回のツアーは安く来ましたね。こちらの会社は損してますよ。」正直な人である。聞くと、韓国の旅行社が手配したツアーを、日本のN社が安く買い上げて、「お買い得ツアー」として売っているのだそうである。だから、旅行社はみやげ店から返ってくるお金(リベート)が欲しいのだ。そういう意味では、私たちは「悪い客」なのである。数少ない客に群がる店員といい、現金欲しさに損をしてまで売らなければならない旅行社といい、韓国の景気の悪さが見えてくるような気がした。                   

フェリー乗り場で

 国際フェリー・ターミナルへ着いて、添乗員から説明を受け、乗船切符をもらっても、まだ一時間以上あった。並んでいると、リュックサックを持ったTシャツ、ショートパンツの中年男性に声をかけられた。「今回の旅行はもうかりましたわ。」「・・?」「日本からCDカセットラジオをいくつか持っていったら、高く売れました。」「・・?」「お陰で旅費だけでなく、ホテル代まで出ましたわ。」といいながら、得意然としている。しばらくして、私はやっと彼の言っていることばの意味が分かった。韓国へ持っていくと高く売れる電気製品を運んで、タダ同然で旅行をしてのだ。初めての経験がうまくいったのでうれしくて、見も知らずの筆者にまで伝えたかったらしい。ここでやっとあの「運び屋のおばさん」と国際市場の日本製電気製品の山がつながってきた。やはり「ヤミ商売」はあったのだ。時間つぶしに、その中年男の「手柄話」にしばらくつきあった。それにしても、今回の旅は、きれい事ばかりではない、生活感あふれる生々しい旅であった。