|
ホテルを朝8時過ぎに出発する。バス停を探してしばし中山路を歩き、少し待ってバスで駅へ。9時08分花蓮発台北行き「自強1052号」に乗ることにした。
それにしても、東海岸の「東部幹線」は、西海岸の「西部幹線」より、はるかに列車の本数が少ない。ちょうど「東海道新幹線」と「中央本線」くらいの違いだ。これで、人口が台湾の西海岸に集中していることがよく分かる。
花蓮駅から見ると、今日もすっきりした快晴で、裏に聳える連山が雄々しい。松本駅から見る「日本アルプス」ほどではないが、実際には写真よりもっと迫って大きく見える。 |
|
少し時間があったので、駅構内を「探検」する。そこで香港俳優・ジャッキー・チェンの「禁煙キャンペーン」の大きな「立て看」を発見する。禁煙の趣旨には大賛成だが、台湾でなぜ「香港俳優」なのだろうか?ここにもたくさん俳優がいるのだが・・。 |
|
上の看板近くの売店前で、左の看板が目に入る。曰く、「慶祝台湾鐵路115週年・2002年懐旧便當」とあり、中身ありでNT300(=1080円)、布ケース付きのステンレス製入れ物のみがNT200(=720円)であった。そうなると、写真の「立派な中身の弁当」がわずか360円ほどになるが、これは安い!「台鐵」も粋なコトするなあーと変なところに感心する。思わず一つ買ってしまった。
「115週年」といえば、、台湾では1887年には鉄道建設が始まっていたのだ。日本では明治20年頃だから、日本の「新橋-横浜間」開通より、15年ほど遅いことになる。 |
|
さらに、「玉石」コーナーがあった。この東海岸は、近くに太魯閣(タロコ)という大理石の渓谷があり、貴石、玉石が豊かな土地らしい。ネクタイから指輪、文鎮など、けっこう綺麗である。
中国本土に、ウィグルのホータンほか数カ所の有名な産地があり、大事な輸出品のひとつになっているが、不勉強でこちらの方は知らなかった。 |
|
車窓からの景色は、相変わらず山と海が迫った様子だが、バナナの農園やサトウキビ畑が目についてきた。いずれにしても、このような景色は日本では見られない。
バナナ園 |
|
途中で、かなり高く雄々しい山並みが遠望できた。その谷からつづく広い川を線路は渡る。河原にはやはり水はほとんどなく、新しくできたばかりの自動車専用道路用の立派な橋がまず目についた。 |
兄弟と母の足 |
途中の駅から乗ってきた母子三人が、隣に座った。お母さんは、オペラ歌手の「森久美子」張りの立派な体躯で、席が窮屈に見えた。それでも二言三言子どもたちに言ってから、すぐにグーグーと寝てしまった。
子どもたちは最初こそおとなしくしていたが、漫画もゲームもないので、勝手に遊び始めた。母親はそれが気に入らないようで、目を覚ましては注意する。
私も暇をもてあましていたので、「指相撲」の格好をすると、兄がすぐに乗ってきた。私が何度も勝つと、弟が「ぼくも」とばかりに挑戦してきた。私はここでわざと負けてやる。すると兄はムキになって、何度も何度も挑戦してきた。たまに負けてやると、キャッキャッと喜んだ。
すると、子どもの騒ぐ声に目を覚ました母が、兄の頬をいきなり「平手打ち」したのだ。私も驚いたが、兄はもっと驚いたであろう、目に涙を浮かべている。次に弟の方には、手を上下から挟んでパチンと叩き、そのあとで手の甲を優しく撫でていた。そして小さな声で何か諭すように言っていたが、弟はうんうんとうなずいていたと思ったら、母に抱きついていた。
これについては私の方にも「責任」はあり、兄には悪いとは思ったが、それにしても、ここで「台湾の母の愛情」を見たような気がした。叱ったあとのフォローが素敵だった。「厳しく暖かく」なのだ。外見はなんとなく怖い顔の母だったが、この子たちは将来「グレたり」はしないような気がした。
|
私たちが乗った自強号(松山駅で)
|
車内のアナウンスがあった。この「東部幹線」では、北京官話、本土の客家語の他に、阿美語などの少数民族語など計5つ6つが話されているようだが、私には当然全く分からない。時計を見ると、12時を10分ほど過ぎていた。台北に着く時間だ。
あわてて、寝ている妻を起こし、降りる準備をする。列車から降りると、しばらくして発車した。写真を撮ってから気がついたが、何か「台北駅」と感じが違う。なんと「松山」と書いてあった!。台北の一つ前の駅である。20分ほど遅れていたので、台北に着いたと勘違いしたのだ。しかし、ここまで来ると電車は多い。少し待って、すぐに台北へ行けた。
|
「牛肉うどん」、「野菜うどん」と豆と昆布煮付けの
おかずと「台湾ビール」 |
台北駅まで帰って来ると、もうあとは楽である。MRT電車に乗り換え、ゆうゆうとホテルまで帰ってきた。「帰ってきた」というのは、台北をでる時に、ホテルのクロークのオバサンに、「*
*日に帰ってくるから、部屋を取っておいてね」と言い残していたのだ。
ホテルのカウンターに前いたオバサンがいたので、「帰りました」と言うと、「前と部屋が違うけどいいですか?お金は同じでいいです。」という。意味がよく分からなかったが、そのまま別館に連れてゆかれた。なんと商社駐在員が使うような、事務所兼用の大きな部屋であった。これなら部屋が替わっても満足だ。
重い荷物をおいてはみたが、二人とも「旅の終わり」で何となく疲れていた。そこで、ホテル近くの商店街の食堂で中食を取ることにした。日本でもよくあるが、「讃岐うどん手打ち実演販売」風の店があり、美味そうだったので入ってみた。
|