フランス国旗

1 パリの地下鉄で (フランス)

 パリの地下鉄 
 
 この話は思い出すたびに、悔しさが蘇ってくる話である。北アフリカのアルジェリアに赴任していたわたしは、仕事の区切りがついた1985年3月23日に食料品、生活物資調達のために、妻と共にパリへ出た。翌日外出し、その時はたまたま一人で地下鉄(メトロ)に乗って、ホテルの近くのオペラ座の傍の駅に降りた。長い地下道を歩いて外への出口が近づいたとき、後ろに人がついてくる気配を感じた。そこで早足で歩いていった。そう すると、後ろも早足でついてくる。そこで、(後ろは急ぎの人だな)と思い、脇へ一歩よけてやり過ごそうとした。その瞬間、わたしのショウルダー・バッグは、ひもの部分からパチッという音と共に、わたしの体からはずれた。

 「あれっ」と思い後ろを振り返ると、バッグを手にした若い男が、もと来た方へ走っていっているではないか。ハッと気が付いて、追いかけ始めた。その時はたぶん、日本語で「まてー!」とか「泥棒!」とか叫んでいたような気がする。3月下旬とはいえ、パリはまだ朝晩はかなり冷え込み、昼でも日によっては寒いことがある。その日も重い厚手のコートを着ていた。悪いことに、たまたまややヒールの高い走りにくい靴を履いていた。追いかけるほどに、距離は開いて行く。しかし金目のものが入っていたので、すぐに諦めることはしなかった。
 
 息を切らせながらも追いかけて行くと、犯人は曲がって階段を下り、プラットフォームへ降りていった。わたしは一瞬、「しめた!」と思った。プラットフォームは行き止まりだ。ひょっとして、カバンは取り戻せるかも・・。距離が詰まったと思ったら、なんとレールの上に飛び降りた。一瞬躊躇したが、「ええい」とわたしも降りて追いかけると、犯人はレールをまたぐのに苦労していて、数メートルにまで近づいた。彼は何とかプラットフォームへ這い上がると、また階段を走って上がっていった。
 
 この頃にはわたしはくたびれて、なかなかプラットフォームに上がれなかった。まわりに人は何人かいたが、誰も見ているだけで手を貸してはくれなかった。やっとあがって、階段をk上がるとすでにもう人影はなかった。かなり長い間、その辺り一帯を何度も行ったり来たりして探したが、何も手がかりはなかった。
 
 わたしは、この駅も何度も来て、大体出入り口の位置も分かっている。取られた出入り口は使わないだろうから、こちらの出口かもう一つの出口くらいかと思ってウロウロしていたら、向こうから5人の高校生くらいの若者が大きな声で話しながらやってきた。何気なしに手に持っている物を見ると、わたしのバッグそっくりである。しかし、少し薄暗いので自信はない。犯人の背中しか見ていなかったが、カンで「どうもコイツららしい」と思った。
 
 呼び止めて聞いてみようと思ったが、思い留まった。フランス語は単語レヴェルでしか出てこないし、まわりには人影はまったくないし、相手は5人もいる。もし訊いて逆に暴行されたら、本当に「踏んだりけったり」である。じーっと見ていたら、向こうはこちらを見ながら、通り過ぎて行ってしまった。ほんの僅かな「希望」が目の前で消えていった。


パリ警察の盗難証明書
 
 この時ほど空手を習っておけばよかった、と思ったことはない。悔しかった。ホテルに帰り、フロントの女性に訳を話すと、「近くに警察があるから行きなさい」と言う。探しながら警察に行くと、たまたま休日で警官も少ない。少し待って、英語のできる警官と話ができた。説明すると、別に驚いた様子でもなく、一通り事情を聞くと、タイプライターを打ちながら事務的に確認して行く。

 こうして、左の「盗難証明書」が作成された。こんなものは、日本でももらったことはなかった。その警官は、「こんなことは毎日あることだ。物が出てくることは少ない。」と事務的に説明した。パリの地下鉄では、「日常茶飯事」らしい。わたしは滞在先のホテル名を告げ、お礼を言って退出した。

 この話は後がある。その日のうちにクレディット会社に連絡を入れ、翌日銀行に盗難にあった旨連絡した。バッグの中には、クレディットカードの他に銀行の個人小切手、身分証明書、小型カメラが入っており、思い出がつまった写真も消えてしまった。

 ただ一つだけ「不幸中の幸い」があった。それはパスポートをホテルのセイフ(金庫)に預けていたことであった。そして、クレジットカードはパリで再発行してもらえた。だから旅行を中断せずにすんだし、要る物は買えた。
 
 しかし、後でじっくり考えると、「本当の怖さ」は、「金を盗られたこと」ではなかった。地下鉄には、構造上「架線」はない。レールの横にもう一本レール状の物が並行して走っている。それに1000V以上の高圧が通っている。思い出してみると、犯人を追いかけているとき、何本ものレールをまたいだ記憶がある。そのうちの一本か二本は上に上がったかもしれない。もし、それが高圧の通ったものであったら、ひょっとして「感電死」していたかもしれない。
 
 そうなると、日本の新聞にはどう出るのだろう。「日本人観光客、パリの地下鉄で感電死、泥棒を追跡中に」ぐらいな見出しであろうか。また仮に感電でなくても、ちょうど電車が入ってきていたら、どうなっていたか。先日も東京で、ホームから落ちた男性を助けようとした2人の男性が、電車に引かれて死亡するという痛ましい事故があった。マスコミに大きく載ったばかりである。状況は少し違うが、何度考えても冷や汗が出る。
 
 アルジェリアに「帰国後」しばらくして、銀行から手紙が来た。それによると、個人小切手は偽の署名で使われており、金が引き出されたという。それのコピーが同封されていたが、サインはぜんぜん似ていない。これで、誰でも使えるということが分かった。銀行からは、「保険があるからカヴァーは出来ますが、免責があるので一部自己負担してもらいます」と書いてあった。こうして、私たちは外国で本当に高い授業料を払ったのである。以後、わたしは個人小切手は一切使用しなかった。

 後で「パリの地下鉄」にまつわる話は、たくさん聞いた。旅行の雑誌にも、事例が多く載っている。アルジェの知人も被害者の一人である。車内で吊革につかまっているとき、横でアイスクリームを食べている男が、服にクリームをつけてしまった。その男があわてて謝って、ハンカチであちこち拭いてくれた。電車を降りてから、内ポケットの財布がないことに気づいたという。誰でも、服にアイスクリームをつけられると、慌てるものだ。
 
 今のは単独犯かもしれないが、グループで取り囲み、一人が注意を引きつけていて、反対側のものが金を盗るものや、「ジプシー」らしい少女が、数人で取り囲む例などもある。また、フランス人の金持ちそうな老婦人のネックレスを引きちぎって逃げた−という話もある。これは乱暴である。
 
 地下鉄は、「便利で安くて速い」という三拍子揃った交通手段である。しかし、時間帯によっては、人気(ひとけ)がない長い連絡道など、犯罪が起きそうな環境がある。ニューヨークの地下鉄も乗ったが、この時は、ニューヨーク在住の人に「夕方のラッシュ時間を過ぎて乗ると、命は保証できません」と脅されたが・・・。よそ者には路線の分かりにくさはあるが、少々不便でも公共バスの方が安全だろう。

 また、一目で外国人と分かる服装や、一見「金持ち」そうな服装もねらわれやすい。あのときのわたしも、アフリカから「花の都」へ出て、少しばかり良い格好をしていた。また、「外国」は日本より治安が悪い−と思って行動した方が良さそうだ。わたしは、「あのとき」以来、海外では綿シャツにGパン、運動靴の「カジュアルな姿」で旅をしている。


フランス国旗は外務省MOFAサイトより転載