8 ローマ国際空港の恐怖
(イタリア)
 
Air Algeria (English) Roma Fiumicino Airport
 
 
この話の舞台はローマの国際空港のロビーである。いつものように、休暇を利用して観光をすませたあと、ポポロ広場にある日本食料店で段ボール数箱の日本食品を買い、アルジェに帰ろうとしていた。利用する航空機は、アルジェリア国営航空であった。実は、同じ路線(ローマ−アルジェ)にイタリアのアリタリア航空があったのだが、どうしてもそれが取れず、地元の航空機を使う羽目になっていた。
 
 ちょうど日本でいう「冬休み」の時期で、キリスト教国だったらクリスマス休暇がすんで、比較的閑散となる時期のはずであった。ところが、イスラム教国では当然「新年」の方を祝うし、たまたま「イスラム暦」(太陰暦・旧暦)の大きな行事と重なっていた。日本でも昔から正月前の暮れには、帰省ラッシュ(鉄道、高速道路)が起こって混乱が起きる。モスレム(イスラム教徒)には、もっと大規模な「民族移動」が起きる。特にヨーロッパへの「出稼ぎ」が多いマグレブ諸国(モロッコ・アルジェリア・チュニジア)では、この時期争うようにして国に帰ろうとする。
 
 この日がちょうどそのピークに当たったらしい。私たちがタクシーから、日本食の段ボール箱やスーツケースを降ろし、カートに積み替えていた頃から、どうも空港内の様子がいつもとは違っていた。何かザワザワしていて人が多い。そのほとんどは、髭を生やした男達、そして頭にベールをかぶった女達−明らかにモスレムと分かる人たちであった。それに持っている荷物が極端に多い。私たちの段ボールも真っ青になる大きさと数である。さらにスーパーで買ったばかりの新しい乳母車や毛布、自動車の新品のバンパーを抱えている者もいた。戦争直後の日本の「買いだし」も真っ青になる荷物量だった。それは、まことに異様な雰囲気であった。

 しかし、それから後の方が大変であった。出発の二時間前になって搭乗手続きが始まるやいなや、人々がどーっとカウンターの方に動き始めた。「押し寄せる波の如し」状態であった。手には航空券を持ってそれぞれ何かを叫んでいる。押されて驚いたのか、あちこちで赤子がギャーギャー泣き出した。それを見て母親が興奮し始め、甲高い声を上げている。男達は声を荒げてカウンターの係に文句を言っている。
 
 この頃から、まわりに空港警備の兵士の数が増えてきていた。彼らは日本でいう「お巡りさん」ではない。頭にベレー帽をかぶり、迷彩色の戦闘服を着たレンジャー部隊員か治安部隊員であった。腰には伸縮式警棒とピストルをつけ、手には自動小銃を持っていた。そして頭につけたマイクで連絡を取り合っている。その一人が弾倉を抜いて中を確認していたが、実弾がちらっと見えた。
 
 だいたい外国の空港では日本と違って、警備は軍隊か警察の特殊部隊がすることが多い。特にテロなどの事件が多い国では、兵士二人組が自動小銃を持ち、シェパード犬を連れて、日常的に巡回している。目つきも鋭い。最初見たときは、流石にドキッとしたが、後は慣れてしまった。しかしこれは逆に言うと、日本より安心だと言うことになる。
 
 ここでアルジェリア航空について書いておこう。航空業界には、「オーヴァー・ブッキング」ということばがある。外国に行った方なら、たいてい知っているであろう。航空会社が座席を満員にしようと、座席数以上の予約客を登録してしまうのだ。予約はしたが、当日現れない人がいるのを見越したやり方である。乗るべき人が現れないことを「ノー・ショウ」という。もし予約客が全員現れたらどうするか?答えは簡単である。「早い者勝ち」なのである。当時この会社は、それをするので「有名」であった。一部のヨーロッパ系航空会社もそれをやっていた会社があったが、この航空会社のは特にヒドかったのだ。
 
 さらに、搭乗券をもらっても安心はできない。わたしは何度もこの会社機に搭乗したが、「搭乗券」を持った客が自分の席がなくて、最後にスチュワーデスが、乗員用の空いた席に座らせたのを見たことがある。もっと悪いことがある。この会社では、搭乗券には座席ナンバーは記入されていない。そうすると、客はゲート(搭乗口)から飛行機のドアまで争っていっせいに走り出す−と言うパターンになる。私たちも荷物を持って、アルジェ空港を何度か走った。
 
 長くなったが、話を戻そう。まわりから押されながらも、私たちはチェックイン(搭乗手続き)をすませた。大きな荷物を預け、搭乗券をもらったのだが、人がひしめいていて前へ進めず、ゲートへ行けなくなっていた。妻は押されてウンウン言っている。突然後ろの方で、言い争う声が聞こえた。振り返ると、カウンターの係とアルジェリア人の男が言い合いをしている。どうも荷物が多すぎてダメ!と言われたのが原因のようだ。こういう場合、日本人みたいにはすごすご引き下がりはしない。仮に自分に「落ち度」があっても、とことん主張する。その隣では、航空券さえもっていない男が、「キャンセル待ち」のことで怒鳴っている。
 
 だんだん場の雰囲気が悪くなってきていた。係員が何か怒鳴って指示しているが、誰も聞いていない。後ろで見ていた兵10人ほどが割り込んで前へ入ってきた。それを見た私の前にいた男が、何か文句を言って兵を押した。兵は肘でその男をどづいた。男は興奮してまた兵を押した。いきなり兵は銃の台尻で男の顔をついた。顔を腫らして男は抗議する。このやりとりを見たアルジェリア人たちは、いっせいに兵に抗議した。女達はアラブの女性がよくする、口の中で舌を早く動かせて「オロオロオロ!!!」というような甲高い声を上げはじめ、連鎖して女性みんなが興奮し、その声を上げはじめた。そこは「阿鼻叫喚」の場と化した。
 
 私たちは、後ろから押され、前のその兵士の背に押され、目の前を銃身が動き回るのを避けていた。そこへ他の兵士が、「応援に」駆けつけた。そして男とその兵士を力ずくで分けた。こうして、アルジェリア人と兵士たちの対立の場のようになった。私たちの「存在」だけが、余計だった。数では圧倒的にアルジェリア人が多かったので、彼らは「群集心理」でまだ文句を言い続け、兵を押していた。いきなり兵士たちが、自動小銃の安全装置をはずした。「ガチャ、カチャ、ガチャ、カチャ」とそれぞれの兵士が、音を立てた。この動作はみんなから見え、騒がしくてもその音はみんなに聞こえた。一瞬、場が静かになった。
 
 アルジェリアでもそうだが、兵士や警官は必ず「実弾」を込めている。そして制止を振り切る者には、容赦なく発砲する(威嚇射撃)。私はアルジェで、開店前の銀行に並んでいる者が列を少し乱したといって、警官が警棒でバンバン殴るのを見たことがある。だから、こういう事態になって、アルジェリア人たちは「ハッと」気がついたようだ。何より兵士の目を見れば、本気かどうか分かるのだ。それに「死んだら」故郷には帰れない。それでも後ろにいる者は、まだ声を上げて続けていた。
 
 幸いなことに、この時点になってゲートへの動きが出てきた。少しずつ動き始めたのだ。妻をせかして、「何があってもついて来いよ。」と言いながら、わたしは人をかき分け、「パルドン!、ペルドノ!」と声を張り上げ、何とかゲートに潜り込めた。この頃になってやっと心臓がドキドキし出し、脈が速くなった。それまでは、とてもそれどころではなかったのだった。この騒ぎで、飛行機は2時間遅れで離陸した。機内で、「あそこでもう一度兵士を突いていたら、発砲していたかもしれないね。」と話し合った。とにかく、日本では考えられないような大変な「休暇」であった。