9 狂犬病の恐怖 (タイ)

     

                  写真:狂犬病になった犬  国立感染症研究所HPより転載
 狂犬病」という病気は、日本にはない(ことになっている)。しかし、海外ではたくさん残っているというより、蔓延地区もあるといわれる。私が子供の時(昭和20年代)には、まだ日本にも残っていた。一旦発病すると、凶暴になり、水を怖れ、もう手を施せなくなる恐ろしい病気だということは、当時の子供でも知っていた。だが、まさか自分がそれに関わることになろうとは、思ったこともなかった。

 話というのは、こうである。2000年1月のこと、格安航空券でタイへ行った私は、首都バンコク、古都アユタヤ、そして「戦場でかける橋」で知られるカンチャナブリをまわり、帰国の前日、最後のバンコク市内観光をしていた。歩いて中華街からチャオプラヤ川方面へ向かって、市場風の道を歩いていた。突然、路地の奥から一匹の犬が唸りながら走ってきて、私の右足首をガブッと噛んだ。ほんの一瞬のことで、何がなにやら分からなかった。吠えるとか、唸るとかの「予告」も何もなかったのだ。犬は噛んだ後、しばらく私を睨んでから何もなかったように帰っていった。
 
 私ははっと我に返ると、頭の中に「狂犬病」という文字が浮かんできた。旅行前に調べたデータでは、東南アジアは「狂犬病」が多く残っていると書いてあった。ただひとつ「不幸中の幸い」は、Gパンの上から噛んでいたことだったが、ズボンを上げると、はっきり足首に歯形が付いていた。消毒用アルコールを取り出し何度も拭いたが、頭の中では不安が渦巻いていた。発病までに潜伏期間があるのは知っていたが、できるだけ早くワクチンを打たなければならない。だが、いったいこの街のどこに行けばいいのだろうか?。それに私は、タイ語がまったく話せないので、説明ができない。病院も分からない。警官がいたら聞こうか?どうしょうか?しばらくは、いろいろ考えてみた。そして出した結論が、<明日日本に帰るので、帰ってからワクチンを打つのがベター>というものであった。その日の残りの時間は、観光しても「上の空」であった。

 
噛まれた翌日、長く感じられた帰国の飛行機の搭乗時間であったが、やっとのこと関西国際空港に到着した。パスポート・コントロール後にある「検疫」部の職員に、タイであったことを説明した。すると、制服を着たその職員はこう言った。「ここには薬やワクチンはありません。税関を出たら、医者が常駐する(メディカル・センター)がありますので、そこに行ってください−と言った。調書やフォームにも記入はなかった。これは意外だった。そのそばには、<アフリカや東南アジアに行った方で、下痢をされたり体調の悪い方は申し出てください>と書いてあったのだが・・・。

 仕方がないので、言われた所に行ってみた。確かに医者はいたが、私の話を聞くとこういった。「
余り需要もないし、日本にはない病気なので、ここにワクチンは置いていません。この近くでワクチンが打てる病院を探してみましょう。ちょっと、待ってください。」しばらく待っていると、彼は帰ってきてこういった。「お待たせしました。大阪では○○市の□□病院です。そこへ行くと、ワクチンが打てます。でももう今3時過ぎですので、明日になりますね。」
 
 医者はさらに、「このワクチンは一回ではすまないようです。時間をおいて計3回打たないといけないらしいですよ。」と言った。私は、もともとその日のうちに岡山に帰る予定であったので、「大阪に泊まって次の日に病院に行くよりは、岡山に帰って注射をしたい。それに何回も大阪には来られない。」と言った。医者は、「岡山でもワクチンは打てるでしょう。保健所に確認してください。」 こうして、関空で何にもできずに、岡山に帰った。

 
帰った日の晩、私はすぐインターネットの「ヤフー・ジャパン」で調べた。そうすると、下のような「国立感染症研究所」のページがあった。これを見て、あらためて発症すると命がない怖い病気と分かった。

国立感染症研究所
の狂犬病解説ページ
■狂犬病 rabies
病原体:狂犬病ウイルスrabiesvirus
好発年齢:特になし
性差:なし
分布:世界的に分布(一部の地域を除く)
狂犬病の背景
■疫学状況
●日本、英国、スカンジナビア半島の国々など一部の地域を除いて、全世界に分布する。
●キツネ、アライグマ、スカンク、コウモリ、ジャッカルなど、野生動物に感染サイクルが成立している。
■病原体・毒素
●ラブドウイルス科の狂犬病ウイルス。
●ウイルス粒子は砲弾型でエンベロープをもつ。ゲノムは(−)鎖RNA。
■感染経路
●通常は罹患動物による咬傷の部位から、唾液に含まれるウイルスが侵入。ヒトへの感染は終末感染。実験室感染では経気道感染もありうる。
■潜伏期
●平均30日(2週間〜1、2年)。
診断と治療
■臨床症状
●前駆期(2〜10日間)にはかぜに似た症状のほか、咬傷部位に掻痒感、熱感などの異常感覚がみられる。次の急性期には不安感、恐水症状、興奮性、麻痺、精神錯乱などの神経症状が現れ、2〜7日後に昏睡期に至り、呼吸障害により死亡する。
●急性期の神経症状がみられずに麻痺が全身に拡がる例もあり(麻痺型)、特にコウモリに咬まれて発病したケースに多く、死亡までの病期は比較的長い。
■検査所見
●抗ウイルス抗体の検出(脳脊髄液、血清)。蛍光抗体法(FA)によるウイルス抗原の検出(皮膚、角膜)。
■診断・鑑別診断
◎確定診断
●脳脊髄液や血清中抗ウイルス抗体の検出、皮膚、角膜などからウイルス抗原の検出。
●死後の診断では脳組織中のウイルス抗原の検出、あるいはウイルスの分離。
◎鑑別診断
●恐水症状などの定型的な症状を示さないケースがしばしばあり、症状や経過だけでは種々の神経疾患との鑑別が困難で、原因不明の神経疾患として死亡した患者の中に、死後の病理組織学的検査により狂犬病と診断されることがある。
■治療
●発病後の有効な治療法はない。
●罹患動物に咬まれた場合の治療として、ワクチン接種および抗ウイルス抗体の投与により発症阻止が図られる。
■経過・予後・治療効果判定
●発病後数日以内にほぼ100%が死亡する。
■合併症・続発症とその対応
●最終的には呼吸麻痺。
■2次感染予防・感染の管理
●通常はヒトからヒトへの感染はない(終末感染)。
●イヌ・ネコへのワクチン接種や輸入動物の検疫の強化

 もうひとつの「稲垣動物病院」のホームページにはこう書いてあった。


 発病した場合には100%死亡すると言われる恐ろしい病気である
4)。主たる症状は筋肉の反射亢進や痙攣で、その結果として特に液体の嚥下困難がおこり、やがて水を見ただけで痙攣発作を起こすようになる。これを恐水病と呼ぶ。狂躁期から昏睡期を経て、最後には呼吸中枢が侵されて死亡する5)発病を防ぐにはワクチン以外の方法はない

 狂犬病の報告のない国(1980年)は、オーストラリア、ニュージーランド、ニューギニア、北欧三国、ポルトガルなどの小数の国々と、イギリス、日本、台湾、シンガポール、グアム、ハワイなどの小さい島々だけである。これに反し、東南アジア、インド、中東アフリカ、メキシコを含む中南米諸国では、経済、宗教、習慣などによる障害のため対策も不徹底で、野放しの地域も多いため、イヌ、ネコの狂犬病が多くなり、ヒトの狂犬病も極めて多くなっている。

 フィリッピンでは年間25,000頭もの犬が狂犬病で死亡しており、インドでは年間20,000人ものヒトが死亡している。ラオスの隣国であるイにおける犬の飼育頭数は、1,000万頭以上(人口は約5,000万人)と言われ、毎年14万人以上が狂犬に咬まれ狂犬病の治療を受けており、そのうち200〜300人が死亡している4)

 日本では1950年に狂犬病予防法が施行され、1957年以来発生はみられない。(以下中略)

Stanford University HospitalのTravel Medicine Service (以下はスタンフォード大学の許可を得て日本語に翻訳)

 狂犬病は希であるが,これに感染した哺乳類の唾液に接触することで感染する,例外なく致命的な脳の感染症です.この病気は,世界中の野生動物,特にイヌ,キツネ,スカンク,コウモリに見られる病気です.危険の高い地域はタイ,インド,ネパール,南米,アフリカです.こうした地域では,飼い犬の多くが感染しています.危険性の高い地域を旅行したり滞在する人,そして獣医やフィールド・ワーカーは予防接種を受けるべきです.

  • この予防接種を受けた人の内,20%ほどは軽い頭痛,吐き気,筋肉痛などの症状がでます.
  • 狂犬病のワクチンは3回の注射で,1日目,7日目,21日目あるいは28日目に行う.
  • 追加の接種を2,3年毎に行うのが望ましい.希に神経の病気が起こることがあります.

 上記の文中の「
危険の高い地域はタイ・・・・。」という行は、ますます私を不安にした 噛まれて三日目、朝早く岡山保健所に電話をかけた。担当者は「少し待ってくれ、調べるから・・。」と言って電話を切った。その後で分かったことは、1.保健所にもワクチンは置いていないこと 2.大阪にワクチンを置いた施設があること 3.岡山の病院でも取り寄せて接種可能なこと−などであった。
 
 そこで、家から通いやすい岡山日赤病院に電話して、「ワクチン取り寄せは可能」なことを確認してから、車を飛ばした。内科へ回された私は「定年」間近らしい医師に、今までの経緯を説明した。彼は、「
狂犬病か。ワシも医者やって長いけど、実際に扱ったことはないからなあ。先輩から聞いたことはあるけど・・。」と不安になることばを言った。わたしが、「先生、ワクチンは?」と言うと、「どこで手にはいるか、薬局に聞こう。」そこで私は、関空医務室で聞いた大阪の病院の名前を伝えた。

 医者は早速、看護婦に私が渡した大阪の病院の番号に電話をかけさせた。
「もしもし□□病院ですか?わたしは岡山日赤病院の○○○ですが、狂犬病についてお聞きしたいので、担当の先生につないでもらえますか?」

「アー今診療中ですか?ちょっとだけ繋いでもらえませんか?」

「アー、もしもし、わたしは岡山日赤病院の○○○という医師ですが、今タイで犬に噛まれた患者さんが来ているので、狂犬病についてお聞きしたいのですわ。フンフン・・・・・」


こうして、5分以上たずねたり聞いたりして電話を切った。そして私の方に振り返って、

「ワクチンは病院の納入業者からでも、手にはいるそうだ。1日目、7日目、21日目の3回打たんといけないらしい。大阪の方には、海外旅行で動物に噛まれた人が来とるそうじゃ。アライグマや吸血コウモリらしいな。野生の動物はかなり危ない言っとった。」

 そこで彼は薬局にインターフォーンして、あれこれ打ち合わせして、最後にこう言った。「ワクチンは取り寄せだから、明日来てくれ。明日なら打てるから。」 私は不安ながらも、ワクチンが打てそうだという安堵感で帰宅した。

 噛まれて四日目、やっとワクチンが打ってもらえた!!!
先生の言った「一日目」ではないが、なんとか助かるかも・・・


 それにしても、何と時間と手間がかかるのだろうか。あれから二年経っても生きているので、結果オーライだったが、伝染病にはもっと急を要するものもたくさんあるはずだ。日本人旅行者が、年に千数百万人も海外に出ている時代だ。もっと実効的な対応、体制があってもよいと思った。

 あの空港の医師が言った、
「日本にない伝染病だから、ワクチンは置いていない。」などは、逆ではないのだろうか? だいたい日本は、「危機管理」がまったくできていない国だ。戦争に負けて55年も経つと、「平和ボケ」になるのだろうか、それとも「お役所」のシステムが悪いのだろうか? 「厚生(厚労)省」はスモン病、エイズ、ハンセン氏病、最近では「狂牛病」などで、後手後手の対応で、多大の禍根を残してきた。

 さて、三度全部の注射がすんで、関西国際空港のホームページを見ていたら、関西空港検疫所の各種の予防接種案内が載っていた。そこには、なんと「狂犬病」が書いてあった!。しかし何度見ても「治療用(暴露後)」ではなかった。

 
海外へ出る者全員がいつも「予防注射」をするとは限らないし、これらを全部するわけにも行かない。来るかもしれない「危機」に対して、各種のワクチンくらいは国費(厚生労働省)で常置するのが筋であろう。本当に怖かったのは、「海外」ではなく、「国内」だったのだ
外務省・海外安全ホームページ・「狂犬病」

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参考:関連ニュース(後日注
2006年11月16日のニュース:
36年ぶり狂犬病発症、京都の男性が比でかまれ重体
厚労省によると、男性はフィリピン滞在中の8月末、野良犬に手をかまれ、11月1日に帰国。9日に風邪のような症状が出て、京都市内の病院を受診。その後、幻覚症状、水や風を怖がるなど狂犬病特有の症状が出た。国立感染症研究所が調べたところ、男性の唾液(だえき)から狂犬病ウイルスが見つかった。狂犬病は人獣共通感染症で、アジアでは犬が主な感染源。有効な治療法がなく、発症すると100%死に至るという。かまれてすぐにワクチン接種を受ければ、ほぼ100%助かるが、この男性は接種していなかったとみられる。 (YomiuriOnLine) (筆者注:後日この男性は死亡した)
2006年11月22日のニュース:
横浜でも狂犬病、60歳代の男性が重体
フィリピンのマニラに滞在、家族のいる横浜市内に10月22日に帰国していた日本人男性。15日に発熱や倦怠(けんたい)感などかぜのような症状があらわれ、19日に同市内の病院で診察を受けた。同日夜、呼吸困難に陥り、20日に再び受診したところ、風や水を恐れるといった狂犬病の症状がみられ、市内の別の病院に転院。国立感染症研究所に検査依頼があり、21日夜、狂犬病と断定された。男性は約2年間からマニラ近郊に滞在。8月に居住地近くで、飼い犬に右手首を咬まれたが、現地で狂犬病のワクチン接種を受けていなかった。
(SankeiWeb)

関連サイト転載:


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