4 中央墓地 (1) Zentral Friedhof
 Simmeringer Hauptstrasse 234
                      
衛星写真と地図(Google)

中央墓地の正門である"Tor2" 大きな花屋があり献花用の花が買える 門脇の守衛室で下記の本が購入できる (筆者写)

 マルクス墓地から同じ71番路線の電車で、10個目の停留所で降りる。大きく高い塀に囲まれ、中央に大きな正門(Tor2)がある。門の前に 電車の停留所があり、門に向かって右には、大きな花屋がある。前回も今回も、ここで花を買った。花を供える墓が多いので、準備が大変である。

 墓地のホームページによると、この墓地は1874年にカール=ミリウスらフランクフルトの建築家ティームによって設計されたという。ヨーロッパでは、ロンドンの「シティ オブ ロンドン」墓地に次いで第2位だそうだ。面積は2.5kuもあり、250万人が33万の墓に葬られているということだ。

正門を入った場所から見たメインストリートとカール=リューガー博士記念教会 左の建物は霊廟 (筆者写)

  正門脇に守衛室があり、2人の守衛がいたので、「ここの墓地の本はないか」と聞くと、嬉しいことに、「ある」と言う。ドイツ語版と英語版があったので、英語版を買った。タイトルは、「ヴィーン中央墓地の名誉墓」(左下、以後GHと呼ぶ)というものだった。これは本当に便利な本だった。あらゆる職種の「有名人」の墓の位置、生年−死亡月日、職業主な略歴や解説などがずらっと並んでいる。本の前書きは、ウィーン市長が書いている。

ウィーン市発行
の公式ガイド
    
左の本中にあった
園内地図(部分)


32a
地区が
音楽家のセクション

 
「19世紀の後半になると、ヴィーンは市の城壁を越えるほど発展したので、墓地も足りなくなってきた。いくらか墓地が郊外に作られたが、すぐに実態に合わなくなってしまった。そこで1874年になって、中央墓地の作業が開始された。ヴィーン市の第11区にあったこの墓地は、もともと400万人の帝国の首都の需要に合致するよう設計されたものであり、現在はヨーロッパで第2位の大墓地になっている。およそ300万人の死者が、250万平方メートルの区域に33万の墓の中で眠っている。計画段階での重要な決定は、信仰、国籍の別を問わず、死者は永遠に安らぎの場所を与えられるべきであるということ、そして卓越した人物でも乞食でも、ヴィーン市が用意したこの場所に、安らかな眠りのために安置されるということであった。さらに、ヴィーン市やオーストリアのために顕著な貢献をした芸術家、政治家、役人、科学者、医者・・・が<名誉墓地>に埋葬されることとなったのである。・・・(以下略)」 (GH)                                         

 さて、メインストリートを教会に向かって約200mほど進むと、やがて左手に
「32A」というブロック(現地ではGruppe=英語のgroupeの意−と表示)が現れる。一回来た所だから、ゆとりをもって辿り着ける。途中出会う数少ない人々は、墓参りの家族や犬を連れた散歩の人や、ジョギング中の学生というような地元の人ばかりで、観光客は見かけられなかった。シーズンからはずれているからだろう。   


  この一角は、後に移転してきたものが多く、始めからここに埋められた人は少ないらしい。音楽家を含め、建築家、作家、俳優、極地調査家、彫刻家、政治家など多種多様な人がいる。ほとんどが
「名誉墓」(Honour Graves)である。今回は、特にこの32Aの音楽家のブロックを中心に、他のジャンルの人たちも交えながら見てゆこう。

               
「名誉墓32aブロックの地図」(32a地区の有名音楽家の墓)
 
<赤色>

 28 シューベルト

 29 ベートーヴェン

 55 モーツァルト


<青色>
 
 10 フーゴ・ヴォルフ

 15 ヨハン・シュトラウス(父)

 16 ヨーゼフ・ランナー

 26 ブラームス

 27 ヨハン・シュトラウス(子)

 31 ズッペ(スッペ)

 42 エドゥアルト・シュトラウス

 44 ヨーゼフ・シュトラウス

 49 グルック
 
  (注:記述されていないものは音楽家以外または日本人には有名でない音楽関係者の墓)
   (墓地図:ウィーン市発行ガイドブックより転載)

 はっきりここへ移転して来たと言えるのは、書いてきたように、
ベートベン、モーツァルト、シューベルト、ヨーゼフ=シュトラウス、グルック、サリエリである。残りについては、残念ながら資料がない。GHの本にもはっきり記述がない。いずれにしても、ヴィーン市民が、これらの人たちを誇りに思い、墓を「集めて」きている印象がある。これはクラシックファンや忙しい観光客には、一カ所で見られて有り難いことではあるのだが・・。

 上記のような例は、他にいくらでもある。少し挙げてみると、ロンドンのウェストミンスター寺院の床や壁に、イギリスが生んだ歴代の王、女王たち、歴史上の人物、有名人物の墓が多くある。その中に、文豪
シェークスピアのものもあった。しかし、私も行ったから知っているが、彼の本当の墓は、故郷ストラトフォート・゙アポン・エイヴォンの聖三位一体教会(St. Trinity Church)の床下にあるのだ。また、数カ所に「分骨」している例も数多くある。後で出てくるが、あのジョルジュ=サンドとの恋で有名なショパンは、墓がパリ(ペール・ラシェーズ墓地)にあるが、心臓だけが故郷のポーランドにある。文字通り、「我が心は我が故郷に」ということであ ろうか。比喩的である。



 
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