第八日目(Day 8, Aug.14) ミニルヤ 発 (晴れ)  巨大アリ塚現る!
Minilya (WA)〜Sandfire




 朝が寒く、やや寝不足であったが、すぐに出発した。この辺から、アリ塚が出現する。大きなものは3m以上もある。車を停めてたたいてみるが、大変硬い。蹴ったら足が痛かった。アリ塚に飽きた頃、牛の一家やエミューのファミリーや1m以上ある大トカゲが、道路を横断してブレーキを踏ませてくれる。おかげで道中の単調さを防げた。彼らに感謝!。




無限に続くあり塚 Ant-hills


国道一号線を「我が物顔」に占拠する牛たち  Cattle on the road
 車の天井の「空気抜きのふた」が風圧で外れたので、ハザード・ランプをつけて停まって修理。いつの間にか、パトカーがやってきて、「何しているのか?」と聞く。男女の二人組で、オーストラリア製のTVドラマと同じ感じである。かっこいい!「妻が服を替えている」と言ったら、行ってしまった。ほとんど無人の道中、安心ではある。考えてみると、どうも「ハザード・ランプ」の使い方が、日本と違うようだ。それとも、例の「殺人事件」の関係かな?

 北に向かうにつれて、気温は上昇する。車内はすでに30度Cを超しているが、ボロ車なのでオーバーヒートをおそれて、意識的にエアコンはつけていない。コレは、ややキツイ。これで「冬」なのだから、おそらく夏は「地獄」だろう。この辺りには、夏は来るものではない。妻は暑さと疲れで、気持ちよさそうに寝ている。

 656km走ったあと、この辺りピルバラ地方の中心地、ポート・ヘッドランド港に到着。この町は人口11000人、鉄鉱石と羊毛の積出港だ。久しぶりに見る「都会」で、空港や長い貨物列車、工業地帯、大きな港と鉄鉱石の山などの景色が珍しく感じられる。BHPというマークがついた鉄鉱石は、日本にも大量に輸出されているという。
    
長い長い貨物列車  Long Freight Train across the continent

 街中心部の観光案内所で、絵葉書やシールを買う。観光バスに乗った老人の姿が多い。この国では引退後、自分のトレーラーで国内を巡るらしいが、運転できない歳になったら、こんなツアー参加するのだろう。車を満タンにして出発。ロードハウスに、「ロード・トレイン」と呼ばれる長いトレーラーが、停まっていたので並んで写す。オーストラリア仕様の大トラックで、一台のトレーラーが3台の荷車を牽引する。小回りはできない車である。長い物は50m以上あるが、これを追い越すときは大変である。いつも苦労した。

陸の王者「ロード・トレイン」Road train of 55m-length
 非常用に持っていった携帯電話は、広い国なので、中規模以上の町しか通じない。日本よりそのネット・ワーク網ははるかに粗いらしい。仮に通じても、町から数km離れれば通じにくくなる。電話が一旦通じると分かると、妻はいつもメルボルンへ電話していた。
                                      
  またもアリ塚が出始める。これ は、多い!。道の両側はもちろん、地平線の向こうまで続いている。全部のアリの数はいったい何匹だろうか?と変なことを考える。途中の道端で、アボリジニーの若者が二人座り込んで、いつ停まるか分からない車を、ヒッチハイクしていた。最近、バロウ・クリークで殺人事件があったので、仲間以外は誰も停まってはくれないだろう。「気の毒に...。」と言いながら、私たちも停まってあげなかった。実は、レンタカーの保険契約に「誰も乗せないこと。乗せて事故があっても、保険金は下りない。」という一項があったのだ。世知辛い世の中になったものだ。

 サンドファイアー・ロードハウスで泊まる。ここは小さな集落なので、携帯は通じない。妻が電話ボックスで電話していると、ドイツ人が話しかけてきた。「その4WDは何人乗りか?、トイレ、シャワーはついているか?」何でもドイツのミュンヘン郊外の町から、5人家族でヴァカンスに来て、ベンツとキャンプ・トレーラーを借りたらしいが、いちばん行きたいオフロード(未舗装路)に行けないのが悔しいらしい。彼の英語は訛っているが、奥さんの英語はきれいだった。国際電話の安いかけ方を聞き、情報交換などして「アオフヴィーダーゼーエン(さようなら)、グーテ・ライゼ(良い旅を)」といって別れた

                                                本日の走行距離 1192km/day!= My life record)