思い出のむかしのコンサートティケット
あまりに古すぎて若い人は知らないアーティストばかりでしょうね


 
 ウン十年前、社会人初めてのコンサートは、左上の
ヴァツラフ・ノイマン指揮のチェコフィルでした。すでに大学の時よりカレル・アンチェル指揮のドヴォルザークの9番(スプラフォン原盤=日本コロンビア盤)をLP盤がすり減るほど聞いていました。この演奏は今でも心に焼き付いています。残念ながらアンチェルは、「プラハの春」事件でカナダへ亡命しており、来日は後任のノイマンでしたが、それでも弦のいぶし銀のようなビロードのようなすばらしい音、木管の人間味のある音に感動しました。彼らにとっては、同国人ドヴォルジャックの9番などは、ソラでひける「手(掌)の中に入った曲」のような気がしました。「生はすばらしいものだ!」と知らされた夜でした。帰宅後しばらくは寝付かれませんでした。

(付録・
カレル・アンチェルの墓参り2003/3)・・やっと念願を果たしました



 この小さな券がヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニーによる「第20回大阪フェスティバル」の初日のものです。岡山から新幹線に乗って大阪中ノ島まで行きました初日ですから、雅楽のセレモニーが最初にありました。曲はブラームスの4番でした。あのカラヤン独特の世界が広がりましたが、後ろの壁際の安い席だったので、音がこもって抜けの良い感じではありませんでした。それでも田舎のホールで聞くのとは違って、指揮者楽団員共々力の入った演奏で、「流していない」感じでした。やはり東京や大阪で聞くほうが、演奏は良いのだと気がつきました。演奏がすんで何度出てきてもカラヤンはアンコールはしませんでした。やがて出てこなくなったので、楽屋に行きサインをもらおうとしましたが、すでに隣のホテルに帰ったとかで、仕方なくコンマスのミッシェル・シュヴァルベにサインしてもらいました。シュヴァルベは優しい人でした。(DGG、カラヤン=ベルリンフィルの古い録音「シェヘラザード」のソロは彼です。甘い音色です。)

1977/11/6 第20回大阪フェスティバル (初日)
フェスティヴァル・ホール
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ブラームス:交響曲第4番他




 上にあるのが、旧ソ連でNo1の歴史と実力を持つ
レニングラード・フィル(現サンクト・ペテルブルク・フィル)です。私はすでにこのオケは聞いていましたが(ティケットは未掲載)、若い指揮者だったものですから、「いつかはエウゲニ・ムラヴィンスキーで聞こう」と思っていました。そしてやっと彼が来ることになりました。大変喜んだものです。ティケットの写真も彼のものです。しかし直前になって、病気のためまたもや若い指揮者に変わり大変落胆しました。長くこのオケを振るムラヴィンスキーは、完全にこのオケを掌握し、その冷徹なまでの指揮はしびれるほどのすばらしいものだったのです。(実際はレコードでしか知らない=古いがDGGの実況録音でチャイコの4,5,6番がいい。後にLDで練習風景まで見られたがかれはまたショスタコーヴィッチの作品をほとんど初演していました。こうして「生」の姿にはとうとう会えませんでした。



 もう一つ忘れられないコンサートがあります。それは、倉敷市民会館の「こけら落とし」に呼んだユージン・オーマンディーフィラデルフィア管弦楽団のムソルグスキー「展覧会の絵」の演奏でした。岡山県初の音楽が演奏できる会場で、あの華麗なサウンド=分厚い金管が鳴り響いたときは、本当に鳥肌が立ちました オーマンディー以来、倉敷市民会館には地元の山陽放送が創立20周年記念ということもあってか、どんどんオーケストラが来るようになりました。


 
 今までの岡山市民会館は、戦後もしばらくあった「岡山市公会堂」(現在の県庁敷地内駐車場あたりか?)よりは音はマシでしたが、なにせ多目的ホールで音はこもりひどい音がしていました。倉敷も「多目的ホール」ではありましたが、音響の専門家が設計したとかで、当時は感心する音でした。こういうところで初めてあの名門
ウィーンフィルを聴いたのです。当時は新進気鋭のクラウディア・アッバードが「未完成」とベートーヴェンの7番を振りました。ウィーンフィルのこなれた音に感心しました。音楽が流れていきました。



 ザンデルリンクドレスデン国立歌劇場を聞きました。音楽大国のドイツでも名門オケですが、当時はまだ「東ドイツ」のオケで地味なしかし正統的な音でした。


 
 
ロリン・マーゼルベルリン放響の「オイレン・シュピーゲル」を聞きましたが、オケとしてはウィーンフィルよりはオチルようでした。



 このころもう一つ伝統的オーケストラを聴きました。戦前の日本にも馴染みがあったアムステルダム・コンセルトヘボウです。指揮は長くこのオケを振ることになったベルナルト・ハイティンクでしたが、彼のダイナミックな指揮に引き込まれました。こうしてこの頃までには、ヨーロッパのメジャーオーケストラをかなり聞き耳が肥えてきました。



 あの帝王カラヤンよりも前にベルリン・フィルの先任指揮者であったチェリビダッケが来日、読響を振るということで、岡山から新幹線に乗って横浜まで行きました。この指揮者はテンポをものすごく遅くとるので有名でした。ブラームスの交響曲4番はホントにゆっくりでしたが、何せオケの出来がもう一つで気の毒でした。



 この頃3人のピアニストの音も聞くことができました。当時ソ連のリヒテルを聞いて感心しました。いままで私の周りにいたピアノを引く人たちは、あんなスゴイ音は出しませんでした。別の世界を覗いたような気がしました。ただリヒテルは気むずかしい人だったようで、直前にならないと曲が発表されないと聞きました。確かではないのですが、当日はアンコールでブラームスのインテルメッツォを弾いてくれました。



 当時東ドイツのアンネローゼ・シュミットは女性とは思えないダイナミックな演奏で迫力がありました。この人の演奏はオープンリール・テープでモーツァルトの26番「戴冠式」のコンツェルトを家で聴いていて馴染んでいました。



 後にソ連からイギリスに亡命したユダヤ人のアシュケナージは、ロンドンのレコードでよく聞いていましたので、すんなりと聞けました。あとで楽屋で色紙にサインももらったので、特に馴染みがあります。彼のチャイコフスキーの協奏曲一番とラフマニノフ二番は大好きです。私はなぜか雨の日になると、このラフマニノフが無性に聞きたくなります。



 ドイツを代表する当時若手のエッシェンバッハはすっきりした印象が残っています。ベートーヴェンあたりが得意ではないでしょうか?私はDGGに早く入れた彼の協奏曲一番が若々しくて好きです。



 ドイツを代表するオーボエ奏者で指揮者のヘルムート・ビンシャーマンはわたしの好きな音楽家。家でもバッハのオーボエ協奏曲をたいへんよく聴いておりました。彼のバッハは堅苦しくなく「楽しいバッハ」です。そのためわくわくしながら聴いていたのを覚えています。



 イ・ムジチ合奏団はトップが好きなフェリックス・アーヨではなく、ロベルト・ミケルッチだったと思います。それでも弦がきれいでした。



 ヴェニス合奏団(イ・ソリスティ・ヴェネティ)は大変有名な合奏団ですが、なぜか印象がありません。イ・ムジチのほうが好きだったからでしょうか?



 スメタナ弦楽四重奏団はおなじみ「アメリカ」だったと思いますが、聞き慣れていたので心に染みました。好きなグループでした。テープではチャイコフスキーの弦楽四重奏曲もよく聴きました。



 ジャン・ピエール・ランパルは「天才」と呼ばれていましたから、どんな演奏だろうと思って聴きました。なるほどどんな曲でも楽そうに吹いてしまいました。ただオケが悪く、とても気の毒でした。

後日談:パリに行った時にランパルの墓参り(モンマルトル墓地)をしてきました

国内はまだまだありますがこのくらいで・・

 海外はほとんどの場合旅行中に行くので、日時があわなかったり、シーズンをはずれていたりして、希望する割には鑑賞した実数は少ない また希望の演目が取れないことも多いが、S席でも日本円換算5、6000円以下のことも多いので精神衛生上大変良い クラシックの本場から遠い日本とはいえ、コンサート・チケットの値段が高すぎると思う
 海外のコンサートではお金がない学生などには立ち見の天井桟敷席があった クラシック音楽がスノービッシュではいけない

1980年バイロイト音楽祭 ヴァーグナー「パルジファル」の幕間休憩の様子
全員が中庭でワインを飲んだりお喋りして次の幕を待つ 全三幕でもたっぷり5時間かかる
(写真上でタップしてください)



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