「赤穂事件」 通称「忠臣蔵」 関連写真集
旧暦元禄十四年三月十四日(1701/4/21)>旧暦元禄十五年十二月十四日(1703/1/30)

赤穂事件
とは?
(Wikipedia)


赤穂藩・浅野家筆頭家老 大石内蔵助良雄
山科・
大石神社 (京都市山科区)
旗本高家筆頭 吉良上野介義央
臨済宗 華蔵寺 (愛知県西尾市)
 
赤穂藩・浅野家筆頭家老 大石内蔵助良雄
赤穂・大石神社 (兵庫県赤穂市)
赤穂藩・浅野家筆頭家老 大石内蔵助良雄
曹洞宗 泉岳寺
 (東京都港区)




「赤穂事件」の舞台・江戸城 大手門 (現皇居東御苑入り口) 手前の高麗門と右は渡櫓門 (東京都千代田区)




江戸城 本丸 「松之大廊下」跡 浅野内匠頭長矩が吉良上野之介に斬りつけたといわれる現場跡 礎石さえも残っていない (東京都千代田区・現皇居)








曹洞宗 萬松山泉岳寺 中門 徳川家康創建・赤穂浪士縁 (東京都港区高輪)






泉岳寺 境内の赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助




泉岳寺
 赤穂四十七士墓所の門(奥) 旧浅野家上屋敷裏門(明治期に移築) 赤穂義士記念館脇から見る




泉岳寺 墓所の門側から見る赤穂義士記念館(右)







泉岳寺 「赤穂事件」の中心人物 赤穂藩主(広島浅野家分家) 浅野内匠頭長矩の墓
左傍らに大石内蔵助はじめとする「赤穂浪士」たちの墓が並ぶ



浅野内匠頭長矩 (Wikipediaより転載)





泉岳寺 播州赤穂藩筆頭家老 大石内蔵助良雄の墓(右端)
上写真の藩主の墓に屋根がないのに家老の墓には屋根が付く不思議




泉岳寺 「赤穂事件」の「赤穂浪士」たちの墓が整然と並ぶ
全墓表面の上部には「
」の一字が彫り込まれる 墓の並びは下記を参照されたい



「赤穂浪士」たちの墓見取り図 (泉岳寺掲示板)




吉良泉岳寺 上野介の首を洗った首洗井戸(写真左下) 寄進の川上音二郎は「オッペケペー節」で知られる




泉岳寺 血染めの石・血染めの梅
掲示には「
田村邸内浅野公自刃の場に有りしものなり」とある 田村は一関藩初代藩主の田村建顕のこと この屋敷で内匠頭は切腹




泉岳寺 浅野長矩弟浅野長広(通称:大学)
事件後、長広は広島浅野本家お預けとなるが、後に
綱吉死去で大赦となり五百石の旗本となった 享保十九年没 のちこの家系も断絶
なお、「討ち入り」がこの大学による浅野家跡目相続が認められなかったことが原因-というのはよく知られる





赤穂城 城主:浅野内匠頭長矩 大手門と三の丸大手隅櫓(復元) (兵庫県赤穂市)




赤穂城 本丸にある天守台 実際に天守閣は造られなかった 手前は本丸御殿部




赤穂城 三の丸にある赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助良雄宅跡の長屋門(現存) (兵庫県赤穂市)






赤穂城 大石内蔵助良雄宅跡に造られた大石神社 参道両側に討ち入り四十七士像が並ぶ (兵庫県赤穂市)




赤穂城 大石神社(祭神・大石内蔵助以下四十七士) (兵庫県赤穂市



(説明板に陰影があります)




曹洞宗台雲山 花岳寺 播磨国赤穂藩 藩主浅野家・永井家・森家各歴代城主菩提寺 (兵庫県赤穂市)






花岳寺本堂 淺野家菩提寺 (赤穂市史跡) (兵庫県赤穂市)




花岳寺 義士墓所(遺髪塚) 中央奥が浅野内匠頭、その左右が大石内蔵助主税 外縁部が四十七士の 本墓は東京・港区高輪・泉岳寺




花岳寺 同義士墓所(遺髪塚) 中央奥が浅野内匠頭、その左右が大石内蔵助大石主税




花岳寺 宝物館・義士木像堂入り口




花岳寺  赤穂藩・二代藩主・浅野長友墓 内匠頭長矩の父




花岳寺 赤穂藩初代藩主(藩祖)浅野長直墓 前常陸国笠間藩主 内匠頭長矩の祖父





大石神社
 祭神:大石内蔵助良雄 (京都市山科区)
赤穂城引き渡し後、江戸に出る前に内蔵助が隠棲した山科旧居近くに1935(S10)年に創建







(説明板に陰影があります)



大石神社 忠臣蔵宝物館 大石良雄像 (京都市山科区)





臨済宗妙心寺派 鳳源寺 三次浅野家菩提寺 浅野内匠頭正室阿久利姫父、浅野長治像 
寺には
大石内蔵助良雄手植の桜が残る (広島県三次市)




鳳源寺 阿久利姫(瑶泉院)遺髪塔 (広島県三次市)



尾関山公園 赤穂藩主・浅野内匠頭長矩正室 阿久利姫(瑤泉院) (広島県三次市)




泉岳寺 赤穂藩主・浅野内匠頭長矩正室 阿久利姫(瑤泉院)墓 広島・三次・浅野長治の娘 (東京都港区高輪)





天城(あまき)池田家墓所 天城池田氏第二代・池田由成墓 天城池田氏は備前国岡山藩の家老職
由成娘の熊子が播州赤穂藩家老の大石良昭に嫁し、のちの大石内蔵助良雄が生まれた したがって由成は外祖父である
墓地は現在の現天城高校運動場端の裏山(お桜山)にあり、他に池田家三代以降の墓と夫人の墓がある
なお初代
由之の墓は海禅寺(同藤戸町)にある 内蔵助母熊子の墓は京都市の浄土宗聖光寺(下写真)にある (岡山県倉敷市藤戸町天城)




浄土宗聖光(しょうこう)寺 赤穂藩筆頭家老・
大石内蔵助良雄生母・松樹院・熊(熊子)の墓
熊は備前国岡山藩家老・三万二千石天城陣屋・池田由成の娘
因みに隣に安田善右衛門(通称:天野屋利兵衛)の墓がある 
(京都市下京区)





静光(じょうこう)寺 大石良雄祖母(熊子母)の墓所 「赤穂事件」のためか今となっては上部墓石もないが、五輪塔だったという説もある
元禄事件当時の領主が大石内蔵助の従兄弟ということで、此処天城池田氏も三万二千石がら三万石に減俸され明治に至る (岡山県倉敷市藤戸町天城)



「赤穂事件」のもう一人の主役 吉良上野之介義央



臨済宗 華蔵(けぞう)寺 
吉良上野之介義央菩提寺 (愛知県西尾市吉良町)






華蔵寺駐車場にある吉良義央騎馬像




華蔵寺 吉良上野介義央の墓 吉良家墓所 周辺は先代や家族、殉死した藩士たちの慰霊塔などが並ぶ
上野介は水害防止の土手「黄金堤」築造(現存)など地元では名君と呼ばれる




同華蔵寺 吉良家墓所 殉死した藩士たちの慰霊塔「吉良公家家臣供養塔





江戸 吉良上野介義央の上屋敷跡 (東京都墨田区両国)
「赤穂事件」後しばらくして、幕府は吉良の呉服橋の屋敷から本所の松平登之助の上げ屋敷へ屋敷替えを行った







上屋敷跡にある吉良上野介義央




上屋敷跡にある「みしるし洗いの井戸」




同上屋敷跡の吉良家家臣二十士慰霊碑




上屋敷跡近辺の商店に貼られた紙 地元では「元禄」が今も生きる (東京都墨田区両国)


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