校門の校名は日本国内では見られない日・アラビア・仏の三カ国語併記 (筆者写) |
校舎と学校遊具・鉄棒 砂場も中央にあった 塀外はゴミ捨て場を兼ねた空き地だった やや臭う場所だった (筆者写) |
校門(右上)とスクールバス乗降場所 バスに乗る短い時間にも寸暇を惜しんで友と遊んだ (筆者写) |
校舎と中庭(校庭) 狭かったが、自宅外には出られない子どもたちには 遊び時間、体が動かせる数少ない場所だった (筆者写) |
校舎から見える風景 丘上のモスクのミナレットからはいつも 「アッラーハアキベル・・」で始まるアッザーンが聞こえていた (筆者写) |
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←実際に掛かっていた 校舎入り口の表札 |
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「遠い海を越えて」より転載 |
■在外教育施設の認定取り消しおよび指定解除■ (文部科学省告示第57号、2002年3月29日付) 文部科学省は、在外教育施設の認定等に関する規程(平成3年文部省告示第114号)第20条の規定に基づき、小学校および中学校の課程と同等の課程を有するものとして認定した在外教育施設のうち休校中であった以下9校の認定取り消し(文部科学省告示第56号)、ならびに中学校の課程に相当する課程を有するものとして指定した在外教育施設のうち休校中であった以下13校の指定解除(文部科学省告示第57号)を、3月29日付で行った。 これにより2002年4月1日現在、日本人学校数は96校から83校となった。
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<月刊「海外子女教育」5月号>海外子女教育ニュースより
旧アルジェ日本人学校は上記の様に<文部科学省告示第57号、2002年3月29日付>で消滅しました。学校は1977年4月に開校して以来、多くの卒業者、在籍者を出しました。残念ながら、アルジェリア国内の事情から1993年に休校するまで16年にわたって存続しました。これも初代校長市原和夫氏以来、大使館をはじめ学校運営委員会、日本人会の絶大な支援の賜でした。 あの校舎も狭い中庭も、薄暗い「集会所兼体育館」も二度と帰ってはきません。しかし、私たちの「思い出」や「青春」は、確かにそこにあったのです。朝早くから同じスクールバスに乗り、厳しい環境の中で励まし合った生活は、いつまでも私たちの脳裏にあります。物や形は消えても、記憶は永遠に残ります。「アルジェ日本人学校」は心の中で永遠に不滅です。 現地からの便りによると、事態はすこしずつですが、平静に向かっているようです。アルジェリアに「本当に平和」が蘇り、彼の地を安全に再訪でき、アルジェリアの友人たちと会える日が、早く来て欲しいと思います。終わりになりましたが、関係の皆様のますますのご健康とご活躍をお祈りいたします。 |
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<リンク集> (2002.7撮影) (2002現在) |
想いでのアルバム |
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アルジェリア関係リンク アルジェリア情報リンク集 アルジェリア・イスラム・アラブ情報箱 |
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L'Ambassade du Japon, Alger (The Embassy of Japan in Algiers) 1 Chemin Al Bakri Ben−Aknoun,Alger (1 Chemin Macklay, El Biar, Alger) TEL:213-2-912004 FAX:213-2-912046 |
アルジェリアの首都アルジェは、ユネスコの世界遺産に指定されたカスバのある港街で、マルセイユを夜出航してフェリーが翌朝アルジェに近づくと、靄の中に白く浮かび上がる丘陸地帯に広がる街並みが大変美しいと評判です。そのアルジェの高台に在アルジェリア日本大使館は位置しています。 1990年代初めから政治体制が不安定化し、困難を経験したアルジェリアですが、上下両院選挙、大統領選挙の実施により民主化プロセスを終了し、現在は教育、司法、行政分野での改革、インフラ整備、雇用創出など経済・社会問題に積極的に取り組んでいます。 天然ガス・石油などの天然資源が豊富に存在し、歴史的に多くの日本企業が開発に参加しています。また、南部砂漠地帯にはユネスコの世界遺産に指定されたオアシス都市もあります。このように天然資源や観光資源が豊富なことに加え、アフリカ大陸の一員として、イスラム諸国の一員として、そしてEUという大きな経済圏に隣接する地中海の国として、アルジェリアはこれからますます国際的な存在感が高まり、日本との結びつきも強くなっていくことでしょう。 |