カナダの日系人収容所
アメリカ、オーストラリア以外のもう一つの「強制収容」
Japanese-Concentration-Camp during WW2 in Canada

       
        
タシュミ(Tashme)日系人収容所(1942-46)の模型

 第二次世界大戦の戦局が太平洋に移ると、総数約21000人と言われた日本の血をひくカナダ人はブリティッシュコロンビア州沿岸部から強制的に立ち退かされ、海岸から167km(100マイル)以上離れて暮らすよう強制された。そのような一時的強制収容所であるタシュミは、ブリティッシュコロンビア州ホープのおよそ25km東方に急造され、約2600人の男女や子どもたちが収容された。
      
                (展示の英語解説より) 
収容所模型はJCRFの承認による(1992)


                 はじめに

 「日系人の強制収容所」といえば、山崎豊子の小説や、戦後作られたハリウッド映画にも登場するアメリカのマンザナー収容所がよく知られている。それ以外にも「収容所」は合衆国内に10以上も存在した。またオーストラリアにはカウラに設けられた戦争捕虜収容所に開戦当時残留していた真珠養殖者など日本民間人も収容されたことが知られる。
 
 カナダでも開戦後、アメリカに合わせるようにヴァンクーヴァーなど西海岸在住者が強制的に内陸部の収容所に集められた。彼らの財産は没収され、その後に彼らが舐めた辛酸は計り知れない。

 NAJCなど在加日系人たちの努力によって、第二次大戦後久しい1988年やっと当時の首相が戦争中の「行政措置」の過ちを認め、十分ではないにしても補償が行われた。

 今回日系カナダ人の歴史が分かるグレーター・ヴァンクーヴァーにあるバーナビー市の「日系プレース」のナショナル日系人博物館(資料館)を訪ねたので、そこの展示内容と売店で入手した「収容所」関係の本の内容の概要を少し紹介したい。


           <内容> カナダの日系人博物館(展示)






日系プレース
現在日系の人が集まる場所で戦前の資料展示もここにある
戦争中の日系人に対する処置への賠償の一部で作られた




パウエル・ストリート
 戦前日系人が多くいた一帯であるが、第二次大戦時の「強制収容」により日系人口は激減した。
今は中国系が多くやや寂れた印象である。右の「ヴァンクーヴァー佛教会」の建物だけが
その名残を示している。 ヴァンクーヴァー市のガスタウン(Water st.)に隣接する。



 日系プレースへの行き方 

グレーター・バンクーバーの地理的な中心、バーナビー市のキングスウェイと
スパーリングの交差点にある。
スカイトレインのエドモンズ駅からは約3ブロック。




関係リンク

日系プレース(バーナビー市)

ナショナル日系人協会・NAJC (National Association of Japanese Canadians)
(ウィニペグ市)

Japanese Canadian National Museum, Burnaby, B.C.
日系カナダ市民協会「JCCA」(ヴァンクーヴァー市)
「ヴァンクーヴァー新報」 在日カナダ大使館 在日カナダ商工会議所

阪南大学「多様なる国カナダの魅力」 
『日本・世界の再生』・世界は今



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