旅に纏わる話(20) アンネ・フランクの家
Anne Frank Huis, Amsterdam, Nederland

 
アンネ・フランク

「アンネ・フランク・センター」公式サイトより転載
(C)Anne Frank Center, NY, USA

西教会そばのアンネ像(部分・筆者写)
 
 アンネ・フランクと一家の隠れていた家は、今は立派な博物館である 駅から市電で行くと、Westermarktで降りる その前にある西教会は大きな教会で、塔は85mとアムステルダム一の高さである レンブラントはここの共同墓地に1669年に葬られたという あんなに活躍した「人間国宝」的彼が「共同墓地」は悲しい ウィーンのマルクス墓地のモーツァルトを思い出してしまった この教会は他には、ベアトリクス現女王も、ここで結婚式をされた由緒ある場所だ 

 大きなドアが閉まっていた 二匹のダックスフントを連れて散歩していたインテリそうな中年紳士に訊いた そうすると、「今日は日曜日で自由には入れません わたしたち"We"は今日は礼拝も公にはしていません」という たぶん神父様だろう 道理で話し方に説得力がある 聖書でも「神は七日目に休まれた」のだ

 犬の一匹が、なぜか私の足下で背を地面につけて「愛嬌」している かわいいので撫でながら「かわいいですね」と言ったら、「それでもこれは狩猟犬ですよ」とさらりと言った このあたりが客観的な物言いの方だ ふつうの日本人なら、自分の犬をほめられてこういう言い方はしない 日本のように、犬がただの「愛玩」犬に成り下がっていないからだろう


西教会わきのアンネ像

 その西教会の壁際に「アンネの全身像」があり、足下にバラの花束がさりげなく置いてあった 通りすがりの観光客が皆カメラで撮ってゆく 私も撮った あるグループは像と一緒に、記念写真を撮っていた 彼女がいかに世界中の人に知られ、愛されているかが分かる その像が上写真である そのあとに、同じ筋にある彼女の家に向かった


「アンネ・フランク・ハウス」入場のため並んで待つ人々

 アンネの家「アンネ・フランク・ハウス」は教会と同じ運河沿いで、ほとんど傍である 地図を持っていなくても、場所はすぐ分かる 日曜日ということもあろうが、教会辺からひとが同じ方向にむかっているのだ そのひとたちはレンガの建物の前に集まる 上の写真である 入場者は建物の半回り弱である 日本の美術館の特別展はこんな物ではないが、ヨーロッパでは珍しい方だ

 しばらく並んでから入場 料金は7.5ユーロ(日本円で約1125円) 中はなるほど狭いしきれいではないが、もともとアンネの父の会社(倉庫など)であるので仕方がない それにひとも並んでいてゆっくり進むので、余計に狭く感じる 写真で有名な隠れ家の入り口は想像していたより広い

 写真を・・と思ったが、監視カメラが睨んでいる それに入り口で尋ねても「ダメ」といわれていた 話はもどるが、その入り口にある「監視テレビシステム」はすごい 係りがかかりつけで、1秒ごとに各部屋のカメラを切り替えて見ている 客のおかしい動きがあると、トランシーヴァーで部屋ごとの担当に、「ポール!・・・・・・!」とか指示を出している けっこう「怪しい奴」はいるみたいだ

 話はもどる 階段は思っていたより広いし、つながった部屋も思っていたより広い しかし8人も隠れていたのだから、妥当な広さだろうか ふつうは開けられなかった窓からは、中庭やそこに生えている木やよその窓が見える  ということは反対からも見えるのだ 部屋の家具類や壁に貼った当時の「アイドル」だっただろう映画スターの写真もあった 

 展示の日記の一部や生活用具などよく保存されていると思ったが、あとで読んだここの公式本「ものがたりのあるミュージアム」によると、「・・1944年8月4日の逮捕後、隠れ家はドイツ占領軍の命令によって家具などの備品がすべて持ち去られましたが、(戦後)隠れ家時代の様子をより鮮明に伝えるため、建物前面と裏の家に家具を入れて、撮影したカラー写真もカタログに掲載しました ・・・・」 蛇足ながら、この本は日本語版を含め、多くの言語で売られている 一部10ユーロ(日本円約1500円)である 因みに私たちは日・英の二部を購入した

 ということは、建物と日記・写真等の展示品は本物だが、家具什器類は当時の物(その時代のもの)であって、置いてある金ダライもアンネが顔を洗ったそのものではない しかしだからといって、そこの価値が下がる物ではない もちろんTDLやUSJとはまったく別物である このたびの旅で訪問した「レンブラントの家」も「ルーベンスの家」も、厳密には当時の物ではない 修理、修復したり展示品を他所から戻している 

 だからこういう「生家とか住んでいた家」は、「タダ行きました」・・ではなく、訪問の目的や訪問者の「生活、人生で訪問がどういう意味があるのか」という「見る側の人生観、価値観」が問われるのである そうでなければ、あまり意味のないことである また見学した後の行動がさらに大切である

 わたしは前段では「家」の細かい説明らしい物をつけたが、もともと、家の解説が目的ではない もっと上手に説明される作家とかレポーターがいくらでもいる 要は、このくらい「貴重な象徴的な物」はあまりないということである

 実際の所、アンネのような「不幸な少女」は、ナチの時代には「掃いて捨てるくらい」いた それが日記という記録、それを本に出来た生き残った父と仲間、それに戦後すぐの「反戦、反ファシズム」の平和志向、そして最大のものはバックにある世界有数のお金を持ったユダヤ人組織の存在という条件が整っていたからだ

 広島では原爆で壊れた家は何万件もあるのに、「原爆ドーム」だけが「生き残った」 長崎では浦上天主堂であろうか 沖縄戦でなくなった未成年はたくさんいるのに、「ひめゆり部隊」が特に有名になった ベルリンではそれがカイザー・ヴィルヘルム教会である 未だにベルリン陥落時のままである それでも構わないのである これらすべてが「平和のシンボル」であり、それが戦争の記録、反戦の記念碑、人類の不幸な歴史を風化させない記録なのである

 私は数年前にポーランドの元アウシュヴィッツ収容所に行った そこには多くのユダヤ人も見学に来ていた イスラエルから学生集団が国旗を持って見学に来て、ガイドから熱心に話を聞いていた その時の写真類をまとめて、親HPに載せている このように私はことさら「ユダヤ人関係の施設」に多く見学に行っている しかしだからといって、「ユダヤびいき」というわけではない 私はアラブの国アルジェリアに3年住んでいた 友人も多い いい人たちばかりである

 話を「アンネの家」にもどそう 館内にこういう意味の案内プレートがあった 「アンネ・フランク財団の活動にご協力下さい この財団はNPOで皆さまの協力が私たちの活動を支えます 私たちはすべての差別に反対する活動をしています・・」 

 戦後60年以上経ったいま、世界は相変わらず、戦争、テロ、差別などが絶えない その中の一つに「パレスティナ問題」がある むかし差別され虐殺されたユダヤ人が現在、圧倒的武力を持って隣り合ったパレスティナ人(アラブ系)を殺している それがパレスティナ側のテロがあったからといって、その殺戮の事実は消えない 自分たちがされたことを他の民族にするのでは、あまりにも悲し過ぎる まことに人間の業(ごう)は深い  


運河の観光船からも見える「アンネ・フランク・ハウス」

(この項はブログ「このたびのたび」2006/9/26より転載しました)

もうひとつの「ユダヤ人の隠れ家」:コリー・テンボーム博物館

<関係リンク>
「アンネの家」公式サイト(アムステルダム・英語)

「アンネ・フランク・センター」公式サイト(ニューヨーク・英語)
「アウシュヴィッツ強制収容所」(ポーランド・当管理人サイト)
ハーレムのユダヤ人の隠れ家-「コリー・テンボーム博物館」

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「ユダヤ人の隠れ家」:コリー・テンボーム博物館 (ハーレム)
アムステルダムの「アンネの家」と同じく、ハーレムにおけるユダヤ人の隠れ家のひとつである
時計店をしていたテンボーム一家は、地下組織レジスタンスとともに、ユダヤ人をナチスから守る
運動をしていたが、1944年2月に家宅捜査を受け、家族他40人が連行された 父や姉を収容所で失い
ひとりぼっちになったコリーは戦後、執筆活動などで戦争の悲惨さなどを訴えつづけた
1988年になって、この店が博物館になって当時の様子を伝える活動をしている
(「地球の歩き方」から要約)


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