アウシュヴィッツ強制収容所

 No way back, No way out, No way home
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当時は両側の柵(さく)の電線には高圧電流が流れていた 「囚人」の建物は国籍、人種民族で分けられた (正面奥は監視塔)

子どものための人権シリーズA
アウシュビッツきょうせいしゅうようしょ
ご注意: このページにはたいへん残酷(ざんこく)なシーンがたくさんあります 小学生以下は保護者がついて見てください

Latest update: Sept.5, 2016



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柵(さく)のそばにはドクロのマークに「止まれ!」と表示がある(右)


(C)Photos:Central State Archive of Documentary Film and Photography

連合軍によるアウシュビッツ解放直後の収容者たち


(C)Photos:Central State Archive of Documentary Film and Photography, courtesy ofUSHMM

解放後、生き残った子どもたち、だぶだぶの大人用「囚人服」を着せられている 1945年旧「ソ連」軍(Red Army)が収容所に突入後発見された 


この子たちにどんな罪や責任があるのだろうか?!

1945年1月27日、雪の中、連合軍(旧「ソ連軍」)によって
アウシュヴィッツが解放され、幸運にも生き残った
子どもたちが助け出された しかし、この日を待たずに
飢えや病気などで亡くなった子どもたちもたくさんいた
ナチに殺された子どもは全部の収容所で150万人とも言われる

(アメリカ・ワシントン・ホロコースト記念館公式サイトより転載)

(C)United States Holocaust Memorial Museum


「いわゆる反ユダヤ主義というものは、人道上の問題ではない
それはノミやシラミ退治と同じく衛生上の問題である」


 
第三帝国ナチ親衛隊SS指導者 ハインリヒ・ヒムラー
 
"Arbeit macht Frei "
アルバイト マハト フライ
「働けば自由になれる」



収容所正門の上には「
働けば自由になれる」のスローガンがあるが、
この文句(スローガン)が大ウソだったことは歴史が証明している
ほとんどの者は生きてはここから出られなかったのだ
関連リンク(英語)"Arbeit macht Frei"


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ユダヤ人たち収容者の死体を焼いた焼却炉(しょうきゃくろ)の施設 半地下式になっている(筆者写)




アウシュヴィッツの死体焼却釜(したいしょうきゃくがま) 今は死者を弔(とむら)うロウソクが燃え続ける

参考写真: <死体焼却釜と残された焼死体>(ダッハウ強制収容所)

(C)US Holocaust Memorial museum

解放直後、焼却釜に焼死体が残っているのが発見される(1945.4)



<内部項目へのスピードリンク>
下をクリックすると説明が出ます

ヒトラー、人生・思想 くわしい説明 裁判・戦後処理
資料集 そして今
<項目リンク>
アウシュヴィッツはどこにある? 空から見たアウシュヴィッツとビルケナウ 生き残り目撃者の証言
アウシュヴィッツのドイツ側関係者たち 「ユダヤ人はドイツ国民の永遠の敵」 読者・生徒の意見・感想集 

 

参考写真

ガス室の入り口の鉄製ドア
上部に「のぞき穴」がある 


(マイダネック強制収容所)


(C)the United States Holocaust Memorial Museum

ここで何が行われたのか?

(おことわり) 一部、場所不明の写真があります
ドイツ兵が笑いながら寄ってたかって棒でたたき、オノで殺す
(場所不明・館内展示写真)

ドイツ兵に射殺される直前の母と幼児
(母は子どもをかばって背中を向けている)
(場所不明・館内展示写真)

(C)together.net/~wbaker/ aneye.htm

(C)www.leksikon.org/html/ dk/auschwitz.htm
ゴミのように積まれたやせこけた死体
(アウシュヴィッツ収容所)

ロシア赤衛軍の検査を受ける生き残った男性
(アウシュヴィッツ収容所1945)


貨車に乗せられてここで「処分」された
(ビルケナウ収容所)(注:アウシュヴィッツと一体化された収容所)
裸にして殺した死体を焼却する
(場所不明)

アウシュヴィッツはどこにある?
    → ポーランド

MSN Encarta - World Atlasより転載
「アウシュヴィッツ」の衛星写真と地図(外部リンク:Google) 
「アウシュヴィッツ」(現地名・オシフィエンチム)の位置と行き方
 上の地図を見てください ヨーロッパの中央部にEU(欧州連合)がありますが、その中心の位置にドイツ(上地図左)があります その東どなり(右)がポーランドで、ポーランドの南どなりにはチェコとスロバキアがあります ポーランドへはヨーロッパ各都市からの国際列車、航空国際線、それに自動車道路があります
 

 ポーランドの首都ワルシャワ
(上地図右上黄色)から南南東(左下)の方角に旧ドイツ名アウシュヴィッツ現在のポーランド名は「オシフィエンチム」)があります (上の地図で下中の、下の地図で印)

 下地図の真ん中右のワルシャワ(WARSZAWA)
から列車で下方のクラクフ(KRAKOW)でローカル線に乗り継ぎ、4時間半くらいで行けます (列車はワルシャワから行くより、ウィーンやプラハから直接向かう方が便利かも知れません)

                            
参考資料:現地の宿の取り方とオシフィエンチム駅から「収容所」への行き方


(地図はwww.pl-info.net/en/explore/map.shtmlより転載加工)


  くわしい説明  UP  


アウシュヴィッツ収容所博物館の現在の写真

以下の写真はすべて収容所博物館にて筆者撮影・モノクロ写真は館内の展示写真を撮影したものです
(C)2003 March・版権所有・無断使用・無断転載等禁止
(C)2003 All Rights Reserved by Kenji Kakehi ・(C) The Original Copyright by Oswiecim State Museum, Poland

正門付近・上にかかった「働くと自由になれる」の文字が悲しい
国旗を持った団体はイスラエルから来たユダヤ人学生たち
二重の柵には高圧電流が流れていた(中央は監視塔)
右はユダヤ人からはいだ衣服や
猛毒チクロンBの倉庫だった



仲間の脱走を助けて見せしめに公開処刑(絞首)された犠牲者の写真 つるし首にした死体のそばでニヤニヤで笑うナチSS将校


「ブタ!」女性の首にカードをかけ「さらし者」にする突撃隊員 数多くの展示の中のアンネ・フランクの部分
内部リンク:「アンネの家・訪問記」(オランダ・アムステルダム)

アウシュヴィッツのすぐとなりのビルケナウ収容所の空からの写真 貨車に乗せられ収容所に送られる小学生、子どもでも容赦(ようしゃ)はなかった
ガス室に入る直前の写真(トレブリンカ収容所?)



「シャワー」と偽って裸にされた彼女たちは直後の自分の運命を知らない
幼児子供も含む彼らの生前最後の写真となった


死体の山の中の若い女性の死体 →→→→
違う時代だったらどんな幸せな人生だったのだろうか



ドイツ兵に射殺される直前の母と幼児
(母は子どもをかばって背中を向けている)
左にはすでに殺された父親の死体がある
(殺される前に自分の墓穴を掘らされている)
公開処刑死体の前の右端女性の表情が印象的である
この後殺される彼女たちも縄でつながれている
「耐える悲しみ」・・人間は悲しすぎると涙も出ない






館内は処刑、銃殺などの写真が延々とつづく・・あまりにも多い死体の写真・・ さらに、ドイツ兵による銃殺、しばり首、ナタでたたき殺す写真が続々と・・
「囚人たち」が着せられた囚人服 水洗式の囚人用のトイレ
他の収容所では穴を掘って木を渡しただけのも多かった
藁を敷いた「三段ベッド 別棟の寝室のようす
数え切れない人たちが銃殺された「死の壁」(向こう側)がある中庭
真後ろの灰色の部分には無数の弾痕が残る
半地下式の「ガス室」と死体焼却炉(左)と絞首台
地元の学生が生き残り(生き証人)の話を聞いている
絞首台(右)と死体焼却炉(左・半地下式)と煙突
焼却炉設備の外にあった「ガス室」の説明図(三カ国語の掲示板)
猛毒殺人ガス・チクロンB使用後の空き缶の山
これで何人が殺されたのだろうか?
多くの人が殺されたガス室内部、見上げるとガスの出る穴が上にある
ここから
猛毒の殺人ガス・チクロンBが出てきた
壁には死ぬ直前に書かれたと思われる文字もあった
死体を焼いた焼却炉(かま)のくち
冥福(めいふく)を祈るためか、それぞれに火のついたロウソクがあった
焼却炉の内部(高さ80cm位、幅60cm位、奥行き2m50cm位)
この中で焼かれた何千人ものユダヤ人たちの体脂が
ススとなって壁に張り付いている(炉の中にカメラを入れて撮影した)
焼却炉のある同じ部屋の死体処理関係(焼けた死体を外に出す)
焼却後の人骨の山の写真・下中央に頭蓋骨が見える No way back (帰り道なし アウシュヴィッツで鉄道は途切れる 
この先には線路はない 
線路はもう必要ないのだ
「囚人」から切り取った髪とそれで織った布
他の部屋には山のような大量の髪があった
数え切れない「処刑者」の靴の山
見ていると、無性に悲しくなってくる
死体から外された義手義足や松葉杖(まつばづえ)の山
5,60年たっても妙に生々しい
殺されていた人がつけていためがねの山
一体いくつあるのだろうか?
やせこけたが助かった若い女性(髪を切られている)
女性の長い髪は編まれてランプの傘になった
米軍進攻による終戦で一命を取り留めたユダヤ人
収容所では餓死させる実験や病原菌を植え付ける実験が行われていた


     くわしい説明    

 アウシュヴィッツ強制収容所のドイツ側関係者 

(C)"shoa.de"

"Wikipedia US"

(C)"shoa.de"
アウシュヴィッツ
強制収容所長

ルドルフ・ヘス
ナチ親衛隊SS中佐
ゲシュタポB4責任者

アドルフ・アイヒマン
ナチ親衛隊SS
隊長(総司令)

ハインリヒ・ヒムラー
 注:ナチ副総統のルドルフ・ヘスとは別人  上の名前をクリックするとくわしい説明がでます

アウシュヴィッツ強制収容所長:ルドルフ・ヘス

 
1941年夏、・・・私は突然、ベルリンのヒムラーのもとへ来るようにという命令を・・・受けた。このときヒムラーは、・・・副官も遠ざけた上で、およそ次のような意味のことを言った。
 

 総統(注;ヒトラー)は、ユダヤ人問題の最終的解決を命じた
。われわれSSはこの命令を実行しなければならない。東部にある既存の虐殺施設は、この大がかりな計画を実行できる状態にはない。従って、自分は、アウシュヴィッツをそれに当てることにした。理由の第一は、交通の便がよいこと、そこなら一定区域を遮断、偽装するのも容易であること。
 
 自分は最初SS高級幹部をこの任務に当てようとした。しかし・・・・中止。今は、君がこれの実行に当たらなければならない。これは厳しく重大な仕事で、その任にあたる者は全員、いかなる困難にもひるまぬことが要求される。・・・・
この命令については、君は絶対の秘密を守り、上長にも絶対に洩らしてはならないアイヒマンと打ち合わせたあと、自分は予定の計画書を君に送る。
 

ユダヤ人はドイツ国民の永遠の敵であり、殲滅(せんめつ)し尽くさなければならない。われわれに手のとどくかぎりのユダヤ人はすべて、現在のこの戦争中に抹殺(まっさつ)されなければならない。今、われわれがユダヤ民族の生物学的基礎を破壊するのに成功しなければ、いつかユダヤ人がわがドイツ国民を抹殺するであろう。
と。
                  
          
ヘス著「アウシュヴィッツ強制収容所」 p183 1 ユダヤ人をどう処理したか
   

 
  *筆者注:このあとのページに殺人ガス「チクロンB」が使われるようになったいきさつがくわしく書かれています
ルドルフ・ヘス著「アウシュヴィッツ強制収容所」(サイマル出版会・片岡啓治訳)から部分抜粋(引用)
 
(原題:"Kommandant in Auschwitz von Rudolf Hoess")


     くわしい説明   

地図と航空写真

ユダヤセンター公式サイト (C)Jewish Center

アウシュヴィッツ(下)、ビルケナウ(上)、ユダヤセンター(下右)の位置
アウシュヴィッツより「ビルケナウ絶滅収容所」の方がはるかに大きいのが分かる



(C)"Auschwitz 1"
アウシュヴィッツ強制収容所の空撮写真
上はソラ川・・一枚上の地図では下方にある 写真下に行き止まりの線路が見える/正門は線路中央部の上方



(C)www.bdp.it/~copc0001/ebraismo/ auschwitz-air2.jpg
アウシュヴィッツと一体のビルケナウ絶滅収容所の空撮写真
上中央左と右上が毒ガス室・中央やや左に縦に走っているのが行き止まりの線路



ナチ親衛隊SS隊員募集ポスター
無数にあった強制収容所
s
「ある中尉の手記」サイトより転載
許可済
ヨーロッパ各地に強制収容所はあった
(館内掲示の地図の部分・筆者写)
(地図中がアウシュヴィッツ−ビルケナウ)

(参考)ナチによる「KZ強制収容所」の一つ:ポーランド・クラクフ・プヴァシュフ強制収容所の見取り図

 ユダヤ人に出された命令書
 1939年9月1日、ナチス・ドイツ軍はポーランド領に侵攻しました。同9月3日イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、ここに「第二次世界大戦」が始まりました。同年10月6日、ドイツと「ソ連」は実質的にポーランド全土を占領しました。その40日後に、ユダヤ人に出された「命令」が下の物で、時間からして、このような「計画」が前もって用意されていたことがよく分かります。
「ユダヤの血が入った12歳以上
のすべての者」に対する「命令書」




上半分がドイツ語、下半分がポーランド語
1939年11月18日付
クラクフ地区ドイツ軍司令官発令


(ワルシャワ・ユダヤ博物館蔵・筆者写)


左の命令の日本語部分訳
(多賀照子訳)

指 令
クラクフ地区におけるユダヤ人の標識
1)ユダヤ教共同体に所属する人
または所属していた人
2)父親または母親がユダヤ教共同体に
所属するか、していた人
目じるしとして服やヤッケの二の腕に、
白地に青の
シオンの星*をつけた腕章を
付けるべきである。白地の幅は少なくとも
10センチ以上なければならない。
シオンの星は(この間文字読取困難)
少なくとも8センチ離れた大きなもの
でなければならない。

*シオンの星」=
*ダヴィデ(ダビデ)の星とは?
(C)the United States Holocaust Memorial Museum

(関連参考写真)
ポーランド占領直後、
首都ワルシャワを行進するドイツ兵


10月5日、ヒトラーの観閲のもと、ワルシャワ市中心部のウヤズドフスキェ大通りをパレードするドイツ兵。この写真はレニ・リーフェンシュタールによって撮影された。パレードの間、ドイツ要人の暗殺を避けるためワルシャワ市民は外出を禁止され、412人の民間人が人質にされた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ポーランド侵攻」より
    くわしい説明     



アウシュヴィッツ収容所博物館公式サイト
The official web-site of

(上をクリック)
この収容所博物館の公式サイト(英語)をのぞいて見ましょう
公式サイトだけに大変内容が濃いサイトです
英語がよく分からなくても、写真などひととおり見ると勉強になります
英語の好きな人や高校生・大学生はぜひ内容にもトライしてみてください







収容所入場ティケット(2003年当時) 正確には寄付である




参考資料集

<資料> アウシュヴィッツ「生き残り」の証言
元アウシュビッツ収容所博物館長 カジュミン・スモーレニ氏の証言
(右上の下線部をクリック)
「ホライズン」HPリンク・2003・認証済)


             <当時の関係者の証言> 
ドイツ第三帝国ナチス親衛隊帝国指導者ハインリヒ・ヒムラー
 「いわゆる反ユダヤ主義というものは、人道上の問題ではない。
 それはノミやシラミ退治と同じく衛生上の問題である。」

★ニュールンベルグ裁判の時の連合国側のある検事の言葉
 「彼ら(ナチ)は、家族を愛し、犬を可愛がり、音楽などの芸術を好む。
 だが、その一方で大量虐殺に手を染めているのだ。
 その辺の彼らの神経が理解できない。
 これでは、 音楽や芸術を愛しているからといって、
 その人が善人だとは言い難く、 人間不信に陥る。」

★旧ソ連反戦映画「狼たちの午後」のナレーター
 「彼らドイツ兵はとてもハンサムで賢そうだ。
 だが、彼らのポケットの中には、彼らの愛する家族の写真に混じって、
 我らが(ソ連人)同胞の虐殺現場の写真が誇らしげに保管されているのだ。
 このような写真と家族の写真を一緒に持ち歩くとは・・・・・」

            *この欄はすべて.「ある中尉の手記サイトより転載(2003認証済)



ドイツ国内にあった別の収容所(現記念館)の写真
内部リンク: ブッヘンバルト強制収容所



6000人のユダヤ人の命を救った
「日本のシンドラー」杉原千畝
すぎはら ちうね
「在カウナス日本國領事館」(リトアニア)
(上クリック)

読んでくださった方に

みなさんはこのホームページを読んで何を感じましたか?
知ることは次の行動につながります。
今あなたたちにできる
ことは何でしょうか?また将来できることは何でしょうか??
生徒さん、学生さんからの、感想、質問、疑問を受け付けています
「ここの説明がまだむずかしい」という人もむずかしいところを具体
的に書いてくれればお答えします また一般の方の投稿、現地に
行った方の感想も歓迎いたします
その際、お名前(実名)はかならずお書きください
(生徒は中高など校種別と学年、大学生、社会人はその記入も
よろしくお願います)

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May all the souls shot and killed in the German concentration camps during WW2 sleep in peace.
May all the souls wounded and killed outside the concentration camps by NAZI sleep in peace.

このような大量殺人、殺戮(さつりく)はいずれの国であれ、二度とあってはなりません
収容所内外で殺されたすべての方々のご冥福(めいふく)を心よりお祈りします 世界に平和あれ

イラクのクルド人虐殺(ぎゃくさつ)写真 (現代)



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アウシュヴィッツ強制収容所
No way back, No way out, No way home
「帰り道も出口も家路もなし(英題)」
Written and Photos by Kenji Kakehi
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この「アウシュヴィッツ」を書いたサイト・オーナーのその時の「旅日記」
ポーランド・チェコ旅日記
 ことばにならない「アウシュヴィッツ
 むかし強制収容所に入れられた老人のこと


当サイト内の<戦争・収容所等>関連リンク
 アンネの家・訪問記」(オランダ・アムステルダム)
 むかしナチ収容所にいた老人(ポーランド)
 大韓民国・京城・西大門刑務所(大韓民国)
 戦争で人生が変わったアメリカの日系人たち(合衆国)
 カナダの日系人収容所(カナダ)
 霧社事件(霧社抗日事件)
 
カウラ戦争捕虜収容所(台湾)
 戦場にかける橋(タイ)
  第二次大戦博物館(タイ)
 
J.E.A.T.H戦争博物館(タイ)
  カンチャナブリ連合軍共同墓地(タイ)
 バグダッド便り(イラク・寄稿)

   くわしい説明   


 資料並参考、引用文献、引用したウェブ・サイト
(References) は中心的に引用、転載したもの はリンクあるいは部分的引用をしたもの

書物名・サイト名 著者編集者
(敬称略・順不同)
発行所・サイトURL・その他
アウシュヴィッツ収容所 ルドルフ・ヘス
片岡啓治訳
サイマル出版会
世界各国史・ドイツ史 林健太郎 山川出版社
地球の歩き方A17
ウィーンとオーストリア
「地球の歩き方」
編集室編
ダイアモンド社
ダイアモンド・ビッグ社
地球の歩き方A26
チェコ ポーランド スロヴァキア
同上 同上
旅に出たくなる地図(世界編) (五訂版) 帝国書院
New Universal World Atlas Rand Mcnally 1995 USA
アウシュヴィッツ-ビルケナウ
国立博物館(英語)
http://en.auschwitz.org/m/
ある中尉の手記 *  冴島 歳三 http://members.tripod.com/~prettyevita/holo.html
アウシュビッツ絶滅収容所訪問記 アミューズ和田 http://www2u.biglobe.ne.jp/~zeturin/index2.html
shoa.de ドイツのサイト http://www.auschwitzluege.de/auschwitz.html
アウシュビッツ収容所元館長
カジュミン・スモーレニ氏の証言 *
株)ホライゾン
東京都知事登録
旅行業第3-3515号
http://www.aht.co.jp/ (許可をいただきリンクしています)
広島平和記念資料館公式サイト
広島平和記念資料館 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
フリー百科事典
ウィキペディア(Wikipedia)
非営利団体
ウィキメディア財団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3
%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
アウシュヴィッツ
ユダヤ・センター
(英語)
http://208.184.21.217/index.asp
アメリカ合衆国
ホロコースト記念館
http://www.ushmm.org/
独立行政法人
情報処理推進機構
(IPA)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/index1.html
ドイツ現代史を訪ねて  * 現代史研究者
清水正義
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/index.html
Infos.aus-germanien.de (ドイツのサイト) http://infos.aus-germanien.de/
"ARBEIT MACHT FREI" (ドイツのサイト) http://www.inidia.de/arbeit_macht_frei.htm

     

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資料集 そして今
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 空から見たアウシュヴィッツとビルケナウ 生き残り目撃者の証言
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参考資料:「一人旅でアウシュヴィッツに行く方へ」
 
現地の宿の取り方とオシフィエンチム駅から「収容所」への行き方

 オシフィエンチム駅前の大通りを右方に歩いて大きな交差点で左折し(標識が出ています)、計2kmほどで収容所入り口の駐車場に着きます 途中は片側(左)に塀が続きます 直ぐに分かりますから、「ひとり旅」でも大丈夫です 同じ収容所の「
ビルケナウ」は左折せずにそのまま行きます(これも標識があります) バスはありますが本数は少ないようです

 「見学」は施設・展示が大きいので、丸一日は必要です 折角行く人は駆け足にならず、時間をたっぷりかけたいですが、帰りの列車時刻だけは確認したいものです 宿はカトヴィッツェには少ないので、観光スポットが多いクラクフが良いでしょう オシフィエンチムの町は小さくて、夏場は「飛び込みの宿確保」は事前予約でもしない限り難しいかも知れません 

 お薦めする「一人旅」の場合は、あらかじめクラクフに宿を決め、大きなカバンは部屋に置いたままで、カメラとデイバッグだけで往復するのが身体が楽で安心です 蛇足ながら、ポーランドでは公共交通機関の料金は安いので、無理に「レールパス」購入の必要はありません
            

 
<注:収容所内(博物館管理棟)には地下にコインロッカーなどがありますが数は多くありません>


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 くわしい説明